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自民党新執行部の表情と安倍さんのそれと、国語力検定

[2007年09月24日(月) ]

自民党の役員会の様子をテレビで見た。

新しい幹事長さんとか政調会長さんとかの、「ふふーん、どうよ?」的な表情と、その後のニュースで見た安倍さんの痛々しい表情とのギャップについては、ノーコメントとしておく。

役員会の様子で、「ん?」と思ったこと。

ぼくは喫煙者だが、Z会では15年以上前から会議室では禁煙だし、他社を訪問しても、会議室に灰皿があるところは、ほぼないと言ってよい。

それが時代の趨勢なんだろうな、と思う。ごくごくたまに、訪問した会社に灰皿があると、「珍しいですねー!」と、素直にありがたく思う一方、「いろんな意味で古い会社なんだろうな」とも内心で思う。

いずれにせよ、会議室には灰皿はない、というのが、すでに見慣れた光景なわけである。



自民党の役員会会議のテーブルの上には、「こりゃ高いんだろうなー」というようなクリスタルの灰皿が3つ、鎮座ましましていた。

テレビが映っているところぐらい、片付けときゃいいのに、と思った。

楳図さんの家は「身の毛もよだつ」?と現高1の国語教科書のレベルと、国語力検定

[2007年09月24日(月) ]

昨日の、楳図かずおさんが建てようとしている家の話の続き。

9月1日の朝日新聞の記事によると(《》は記事からの引用)、梅図さん、《大手不動産会社の吉祥寺支店によると、「都内有数の人気を誇る住宅地」》に新築する家の壁を、赤・白の縞模様にしようとしたところ、近隣の住民から《街の景観が壊される》《「乱痴気」「異様な建物」「身の毛もよだつ」》と反発を食らい、建築中止を求める仮処分申請を東京地裁に申し立てられた由。

申し立てをした1人のコメントも載せられている。いわく、《目と鼻の先で朝から晩まで見るのは耐えられない》。ふーむ、朝から晩まで、ずーっとオモテを見て暮らしていらっしゃるのかな、この人、などという余計なことは言わないでおきます。

一方、楳図さんご本人は、冗談ではなく、赤白の縞模様が「美しい」と考えていらっしゃる様子。

朝日の記事自体のトーンは、どちらに肩入れするでもなく、ニュートラルな印象。記者氏が実際に近隣を歩き、家並みの壁の色を調べた結果、《確かに、白、こげ茶、ベージュなど地味な色合いが多い。鮮やかな青、白とえんじの組み合わせ、薄い青紫などもあった》とあるのは、やや微妙だが。

国語力的に言うと、《確かに、白、こげ茶、ベージュなど地味な色合いが多い。しかし、鮮やかな青、白とえんじの組み合わせ、薄い青紫などもあった》と、間に「しかし」を入れたいところだが、それをやると、記述に色がつくかもしれないと(これまた国語力的に)考え、あえて「しかし」を入れなかったものとも考えられる。おお、久しぶりに国語力的な記事になってきた。

さて、第三者は、この対立を、どのように見るのだろうか。

記事では、色彩面における「街の景観」が論点になっているような書き方だが、ぼくは、ホントにそれだけかなあ、と思ったりもする。

たとえば、土地だけは何とか買えたけど、上物を建てる資金が足りなくて、じゃあ、シックな色のテント、あるいはシックな色のダンボールハウスにしばらく住みます!と宣言した場合、近隣住民はどういう反応を見せるだろうか。「なかなかシックなダンボールハウスですね」と、快く受け入れてくれるだろうか。

……決してそんなことはなく、「カネもないのにこんなステキな土地に住もうなぞとは、1万年早いわ!」的扱いを(少なくとも一部からは)受けそうな気がする。

快適な住環境を求める、というのも、もちろん否定しない。でも、こういう場合、オモテにはあまり出てこないけど、資産価値低下への懸念、というのが、一番大きいんじゃないかな、とも思う。

ヘンな家を建てられて・ヘンな人が引っ越してきて、この住宅地の人気が下がり、土地の値段も下がってしまったら困る、といったような。それはそれで、十分理解できる気持ちではある。

今日のことば:石原千秋さんの『秘伝 大学受験の国語力』(新潮選書)より。国語力検定メールマガジン4号では、《大学受験国語が求める「国語力」はひどく貧しいものだ》(p9)《大学受験国語においては、ふた昔前は小林秀雄の文章が「評論」であり、一昔前は中村雄二郎が「評論」であり、現在は鷲田清一の文章が「評論」なのだ。》(p42)という部分を紹介したが、ここでは、別の一節を紹介。

《僕は第一学習社という教科書会社で二十年近く高校国語教科書の編集をしていたが、この「国語総合」の教科書を作るときにはずいぶん苦労した。(中略)高校一年生が使う新しい「国語総合」のイメージがなかなかつかめなかったのだ。/当時の文部科学省もまた抽象的なことしか言えなかったのだろう。教科書会社には「新設される「国語総合」は、これまでの中学校二年生ぐらいの程度を考えてくれ」という説明をしたそうだ。結局、暗中模索をするしかない。(中略)そこで出てきたのが中学入試国語だった。高校一年で国語を教える教材としてそれらが参照され、ほぼこのレベルだろうということになったのである。》(p16)

前回の学習指導要領改訂(に伴う教科書改訂)(に伴う教材の改訂)の際は、ぼくは中学生対象の教材制作にどっぷりつかっていて、恥ずかしながら高校教科書にまで目配りする余裕がなかったのだが、こういうことになっていたとは!

確かに国語は、数学とか理科に比べて、「どう変わったのか」がわかりにくい教科かもしれない。しかし、文科省が教科書会社に「新しい高校1年の国語教科書は、従来の中2レベルで」と説明し、教科書会社がそれを受けて設定した高校1年の教科書のレベルが、中学入試のそれであったとは!

レベル:2003年以降の高校1年の国語教科書=2001年以前の中学2年の国語教科書=その当時の中学入試国語、ということになる。知ってました?

あら。2001年に中2で、2003年に高1だった子にとっては、中3→高1と、学年はアップしたのに、国語教科書のレベルはむしろ低下した、という事態が発生していたことになるな。ふーん。