[2007年09月23日(日) ]
あと一週間で、2007年度第2回国語力検定の申込受付開始である。と、一応、国語力検定ブログなので、こういうことも書いておく。
それから一週間後には、第1回国語力検定問題の解説・出題結果データを収録した、過去問題集が書店店頭に並ぶ予定である。と、これも、一応国語力検定ブログなので書いておく。
夏休みの予定は、脆くも崩れる。これが厄年なのか。まあ、いいのである。120歳まで生きる予定であるからして。なんか文体がヘンだな。
さて。「漂流教室」というマンガをご存知だろうか。同じ著者の「まことちゃん」という作品のほうが有名かもしれないが、ぼくは断然「漂流教室」を推す。小学生のころに読んで、ものすごく感動した。ていうか、怖かった。のもあるし、泣きもした。毎日小学生新聞の連載(「めざせ!国語力検定 きょうの一問」)で「ふるさと」という唱歌を一度ネタにしたが、そもそもその唱歌を知ったのは、「漂流教室」を通じてではなかったかな。
かつてカミサンと旅行した際、泊まったホテルのマンガコーナーに、「漂流教室」が全巻揃っており、
「これは読むべきである!」というぼくの主張に応じて読み始めたカミサンは、徹夜して全巻読破したものである(ちなみにぼくは、「沈黙の艦隊」を読みふけってました)。
えーと、はい、マンガコーナーのあるホテルなんてのは、いわゆる高級ホテルじゃあありませんね。リッツカールトンとかシャングリラとかコンラッドとか、ないですね、マンガコーナー。置きゃあいいのに。えーと、スーパーホテルとか、そういうとこです。
その、「漂流教室」の著者である、楳図かずおさん。
吉祥寺に家を建てようとしたが、そのデザインというか色が、一部の既存住民から反発を食らい、裁判沙汰にまでなっているそうな。
うーと、この先はそんなに長くないという見通しはあるんだが、酔っ払ってきたので、続きは明日。
今日のことば:一昨日も引用したが、内田樹さんの『狼少年のパラドクス』(朝日新聞社)、「第9章 1966年の日比谷高校生・吉田城と新井啓右の思い出」より。
《かけがえのないたいせつな友人が死んだあとに残されたものには責務がある。それは死者が占めていた場所を「誰によっても埋めることのできない空虚」として、精神的な「永久欠番」のように保持しておくことだ。/「もし、新井君がいたら、この仕事をどう評価するだろう?」「もし、新井君だったら、こういう場面でどういう判断を下すだろう?」そういった問いは新井君の死後もしばしば僕を訪れた。(中略)僕たちには、新井君を記憶する責任、彼がもう存在しないことがどれほどの損失であったかを痛感し続ける責任がある。(中略)そのような仕方で、レヴィナス風に言えば、「存在するとは別の仕方で」、死者は僕たちに触れ続けるのだと僕は思う。》(p224〜227)
うん。ぼくもそう思います。