昨日は毎日新聞から電話取材。今日は朝日新聞から電話取材。
どこかで、ポーンとブレイクしてくんないかな。
さて、久々のお薦め本。
鹿島茂先生の『モモレンジャー@秋葉原』(文藝春秋)。
電車の中で読むには、ちょっと恥ずかしい表紙

なのだが、これがなかなかおもしろい。
いくつか引用しておこう。まずは、「制服フェチの原点」という章から。
《制服の本質とはなんなのか?/それは、個性を抹消することによって、逆に個性を際立たせることである。/制服を着るということは、類似という一点で多様な人間の外貌をひとくくりにすることを意味するが、そのとき現れるのは、じつは、類似ではなく差異なのである。私服のときにはさほど目につかなかった各人の特徴が、制服を着たがために目につくようになる。/制服が学校や軍隊などで真っ先に採用されたのはこの「類似の中で際立つ差異」という現象による。軍隊や学校で、指導者が、何十人、何百人というマッスを一人一人識別し、記憶しておくには、制服という「類似」でそろえ、その中での差異が目につきやすいようにするに限る。しかも、そうした差異は、制服により、より一層突出したものになる。》
と、すると、制服に反対するのは、服装という要素を除いた、純粋な意味での外貌に(意識的にせよ無意識的にせよ)自信のない人間であり、(意識的にせよ無意識的にせよ)外貌に自信のある人間は、むしろ自分も周囲も制服を着たほうがいい、という方向に傾くと思われるが、どうでしょうか?
学校で、職場で、だれが制服に反対し、だれが賛成したか、それ以前に自らが制服に賛成か反対か、胸に手をおいて考えてみましょう。
うーむ、かつて
Z会に女子のみ制服があったとき、おれは「男子にも制服を! コカコーラのアンチャンみたいな、ツナギのやつ!」と唱えていたんだが、深層では、外貌に自信があったということだろうか?

表層的な意識では、「だってそのほうがラクじゃん、スーツ買わなくていいし、ネクタイしなくていいし」だったのだが。
(この項続く)