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ヤバイ米と北の湖理事長と「集団自決」裁判と、国語力検定

[2008年09月06日(土) ]

ヤバイ米が食用として転売されちゃった事件に関して、農水省は、

《「今のところ安全性に問題はないと考えており、転売先などについては、混乱を招く恐れがあり公表できない」としている》(9月5日21時57分配信 毎日新聞)

そうですね。

逆から読むと、これ、公表すると混乱が起きかねないメーカーに転売しちゃった、ということか。

零細メーカーじゃなくて、かなりのシェアを持つナショナルブランドメーカー。

速やかに公表して、同時にメーカーも情報公開したほうが、後々のことを考えると、いいような気がしますけどね。

ま、ぼくは米焼酎じゃなくて芋焼酎だから、大丈夫か。



相撲界も、また大変な騒ぎになってますね。

9月5日19時47分配信 毎日新聞より、北の湖理事長の発言。

《「(陽性と出たら)同じ検体を、別のところで徹底して調べたらいい。警察の再捜査の対象になっても構わない」と話し、警察の捜査結果が出るまで、両力士への処分は下さない意向を示した。》

理事長。

てことは、もし陽性と出たら別のところで徹底して調べ、そこでも陽性と出たらまた別のところで徹底して調べ、そこでも陽性と出たらさらに別のところで徹底して調べ……ということですかね。そのうちに問題の力士は現役引退、と。

それよりも、もし陽性だった場合、大麻を持っていたら犯罪だけど、大麻を吸うだけなら犯罪じゃないんだから、相撲協会としてはお咎めナシ、だって警察も何もできないでしょ、ざまあみやがれ、としたほうが、キッパリしていていいのではないでしょうか。倫理的にはともかく。世間一般がどう反応するかもわかりませんが。

《両力士の秋場所出場については「本人が『やっていない』と言っている以上、構わないのではないか」と、8日にも出る精密検査の結果にかかわらず、現時点では出場を認める考えを示した。》

理事長。

結局、処分は下さないご意向ですね。

でも、もし検査結果が陽性だった場合、周囲の力士、やりにくいと思いますよ。そのあたりを汲んであげるのも、国語力かと。

生意気なことを申し上げて、申し訳ありませんでした、理事長。



中村政則『昭和の記憶を掘り起こす』(小学館)読了。



先週(8月31日)の朝日新聞書評欄には、《終章が「オーラル・ヒストリー」の方法的まとめに向けられているのは、やや肩透かしの感がある。》とありましたが、いや、終章に至るまでの内容で、十分だと思いますよ、この本。

沖縄、満州、広島・長崎については、ある程度読んでいたつもりでしたが、現場で直接体験した人の語りには、圧倒されました。

沖縄「集団自決」は、裁判中でもあることだし、ここではあまり触れないとして。

……でも、触れてみる。引用はしませんが。

証言を読む範囲では、座間味島に限っては、裁判が起こるまで、島民と元隊長との関係、そんなに激しく険悪ではなかったのではないか。

むしろ、「ある特定の個人が悪いわけじゃなく、言ってみれば戦争が悪いわけだから、大江さんも、何もそこまで書かんでも……」と感じていた島民も、あるいはいたのではないか。心情的には、大江さんよりも、元隊長寄りというか。

そういう命令をしなければならなかった元隊長も、広い意味で、あの戦争の犠牲者であった、といったような、いわばオトナの対応。元隊長が「申し訳なかった」と言えば、「あの時代では、しかたなかったよ、そんなに気に病みなさんな」と返すような関係。

そのままで、よかったのに。

でも、裁判を起こす心情も、わからんではないのである。国語力的に。

いくら戦争自体や時代が悪かったというコンセンサスが当事者間にあったとしても、命令を下した直接の責任者としての名前は、歴史に残る。

人生の残りも少なくなって、自分が死んだ後のことを考えたとき、それが耐えられなかったんだろう。

以上、あくまで、この本を読んだ範囲でのぼくの感想(というか想像)です。人によって感想(想像)は違うでしょうから、興味のある方は読んでみてください。

さて、それ以外にも印象に残った箇所を、いくつか引用。

満州へ移民、日本敗戦後、中国軍で看護活動をした人の話。

《本スエコの話を聞いていて、印象に残ったのは、中国人(八路軍幹部)に媚びる様子はなく、毅然としていることだった。「なぜですか」と聞くと、「喧嘩してわかり合う。これが私の生き方でした」「尽くせば通じる。口だけではダメ。ともかく一生懸命働いた」という。「中国人だろうが、アメリカ人であろうが、日本人だろうが、目の前に患者がいれば、助けるのが看護婦の役目です。(中略)それで何人であろうが、一生懸命尽くしたのです」と言った。》(p130)

すげー。つえー。カッコいいっすね。

長崎で被爆し、家族全員を失って、一人だけ生き残った人の話。

《「この木は爆心地で被爆しながら六〇年以上も生きているのです。この木と同じように、人間は一人で生きていくことはできません。助けられたり助けたり、支えられたり支えたりして生きているのです。(中略)今は死ぬより生きるのがむずかしくなりました。私も何度死のうと思ったかわかりません。でも周りの人に助けられて今まで生きてきました。私は自分に負けなかった。自分に負けたらそれで終わりです。皆さんも友だちをつくって、がんばって生きてほしい」。》(p243)

ここ、思わず泣いてしまいました。

原爆投下後の広島に入り、看護活動をした人の話。

《八月下旬に入院してきたM少将は、ながらく大本営報道部長をしていた人で、白血病の最重要患者であったが、看護婦二人が二交替で二四時間付き添い、毎日リンゲル、ビタミン、増血剤などの大量の注射を受け、食料も栄養の高いもののほかにレバーなどを与えられ、そのおかげで生き延びたという。その人は敗戦後の一九五六年には国会議員に当選し、「憲法を改正し、自衛隊を日の当たる場所に出す」が第一声であったという。「あれだけ手厚い看護を受けていれば、被爆者の多くは助かったのではないでしょうか。命に位があったのです」》(p260)

命に位があった……はたして、過去形で語れるだろうか。

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