Z会では、ときに、関連企業へ社員を出向させることがある。
通常の人事異動と同じように発令されることもあれば、公募制度によって出向社員を決めることもある。
先日、「出向社員の社内公募」のお知らせが出ていた。
おお、なかなか楽しそうではないか!
……いや、今が楽しくないってわけじゃありませんよ。
しかーし。
今回の応募資格の1つが、「40歳以下の者」であること。
むう、残念。
……いや、別に異動したいわけじゃありませんよ。言ってみただけです。
でも、3年前、というのは冗談です、3年前だと資格的にはオッケーなんですけどね、じゃなくて、5年前、というのも冗談です、そうだな、10年前にこの公募が出ていたら、きっと手ぇ挙げただろうな。
……なことを書いてると、誰も手を挙げなかった場合、「じゃ、キミね」となったりしてね。
いや、ぼくには、漢検のそれをしのぐビルを建てる野望が(→明日の伏線)。
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今野真二『消された漱石 明治の日本語の探し方』(笠間書院)読了。
国語力ネタを探してやろうという意図が大きかったんですが、やっぱ漱石まで遡っちゃうと、なかなかないですね。小学生・中学生・高校生が耐えうるレベルのネタは。
なわけで、国語学に興味関心のある人限定かな、この本は。4800円もするし。
一応、おもしろかったところをいくつか引用。
《過去の日本語の表記においては、一つの語は必ず一通りの書き方しか許されていなかったのではまったくなく、漢字を使用する場合もさまざまなやり方が存在し、そうしたことが認められてきている。むしろそうした状態が一般的であったとみるべきであろう。》(p260)
てことは、日本語表記は過去に比して貧しくなっているってことですな。
《その場合さまざまな書き方の中のある一つの書き方が「おもしろい」と捉えられることはあったのだろうか。そこに機知のようなものを感じることはあったとしても、それはことさらに称揚されるようなものであったか。漱石のある書き方を採り上げてそれを積極的に「評価」するということは現代日本語表記からの「みかた」ではないのか。「おもしろい」とすれば例えば明治期が現代と比して「おもしろい」のではないか。それは一つの語の書き方は一通りでなければならないと強く感じている現代の「つまらなさ」が逆に照射して強調してしまった「おもしろさ」ではないか。》(p260〜261)
現代の「つまらなさ」、とまで言っていますねえ。ぼくなどは、表記の統一に割と無頓着ですが、そうじゃない人……ていうか組織か、多いです。そこにエネルギーを使わんでも、という気もしますが。ま、いろいろ理由があるんでしょう。
でまあ、漱石の当て字が、漱石のユーモアとも解される点について。
《「漱石のある作品」ではなく、漱石そのものを起点とした「評価」を目にすることは少なくない。(中略)まず漱石に対してのたかい「評価」があり、(意識的にせよ無意識的にせよ)それを起点としてまっすぐに表記方法の「評価」に向かっている点において、森田草平から現代までがいわば共通した「価値観」の中にあるようにみえる。》(p367〜369)
この構図は、漱石に限らず、しばしば見られることで。
えええ、これ、おもしろいのか?と感じること、よくありますよねえ。
とりわけ、お笑い系。