今日も仕事である。
いや、これを書くことじゃなくてね。
ホントに外仕事。
ああ楽しい。
■
佐藤彰男『テレワーク 「未来型労働」の現実』(岩波新書)読了。
こうやって、日曜日にもブログを更新している自分も、テレワーク労働者なのかもしれませんが。楽しいからよしとしよう。……というのが、著者によれば問題なんだそうです。
印象に残った箇所を、いくつか引用。
日本的能力主義に基づく人事考課について。
《長期の働きぶりを重視し、短期の業績が比較的軽視されるため、情意考課の相対的な重要性はさらに高まる。石田光男によれば、日本企業にとっての「能力」とは「『人柄』『人格』とほとんど同義」なのである》(p55)
能力とは、人柄・人格と同義かあ。
言いえて妙だな。
在宅勤務制について。
《在宅勤務制は、働く側の人びとにとって魅力的な制度かもしれない。しかし、制度の導入を決定するのは企業であり、ほとんどの場合、その判断基準は経済的な利益であることを、忘れてはならないだろう。》(p61)
でも、従業員にとってのメリットしか強調しないんだよな。
社会人のみなさん、広い意味でのリテラシー能力を。
在宅ワーク(請負での在宅業務)について。
《ようやく最近になって、まだ大きな潮流とはいえないながら、パートタイマーの待遇改善がはじまりつつある。その時期にあわせたかのように、雇用者の権利を保障されない在宅ワークが増加しはじめているのは偶然だろうか。筆者の目には、企業社会が在宅ワークを利用して、非正規雇用労働者(派遣社員やパート)よりさらに保障のない「使い捨て労働」のうまみを、あらためて享受しようとしているように思えてならない。》(p156〜157)
在宅ワークという「現場」は、視野の外においちゃえるしね。良心も痛まんだろうて。
「おわりに」より。奥さんへの謝辞。
《これといった才能にめぐまれず、まさに「普通の人」でしかない筆者が、曲がりなりにも研究者の道を歩んでこられたのは、彼女の信頼と激励に支えられてのことである。一瞬たりとも疑うことのない、「あなたにならできるはず」というまなざしこそが、研究の原動力であり続けてきた。》(p201〜202)
これが、国語力的には最もおもしろかったところ。
「研究者」を被雇用者に、「彼女」を雇用者に、「研究」を仕事に、それぞれ置き換えてみよう。
これって、まさに過労死やサービス残業の生まれる構図ではないか!
「キミならできる!」とおだてられて、ムチャな働き方やサービス残業も厭わないサラリーマン、結構いるんじゃなかろうか。
苛酷な労働条件やサービス残業を批判している本の最後に、こういうくだりがあることが、国語力的におもしろかったわけです。