昨夜はデザートにケーキ三種盛り合わせをいただく。
ちょっとかじっちゃった後でした。
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何だこれは?
輪ゴムを抱える「まげまげ君」です。
横から見ると、
こんな感じ。冷蔵庫の垂直面に、見事立っております。手足がマグネットゆえ。
ちなみに顔は、アラームクロック。頭がクリップになっていて、メモを挟むこともできます。
さて、東京国際ブックフェア(7月10日〜13日)出展が近づいてまいりましたが、
Z会(
国語力検定)ブースでは、ブックフェア用特別バージョン
国語力検定問題を配布しております。
見事全問正解された方には、この「まげまげ君」をプレゼント。
みなさま、ぜひお立ち寄りください。
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G・ブルース・ネクト『銀むつクライシス 「カネを生む魚」の乱獲と壊れゆく海』(早川書房)読了。
ノンフィクションなんだから時系列で書いてくれればいいのに、と思うのだが、小説的効果をねらったのか、時間も場所もポンポン飛ぶ。一気に読む分には、そんなに気にならないんだろうが、細切れ読書の場合は、これはちょっとつらい。
おまけに、ノンフィクションだから、あんまり後味のよい結末にもならない。現代文学も、予定調和的結末にはならんのが主流かもしれんが。
銀むつ、ほっかほっか亭のノリ弁の上にのっている、フライの魚のことですな、多分。業務スーパーで10枚298円の冷凍白身魚フライの魚も、そうかもしれない。本書に中では、主にマゼランアイナメと呼ばれている。
そのマゼランアイナメの密漁船を追跡するお話です。
密漁船の漁師さんのボスは、スペイン人なんですが、実は彼の感覚(「おれたちが取ったぐらいで、魚がいなくなるわけないじゃん」)も、わからなくもない。
結局、人間が増えすぎたんだなあ、地球上に、と思う。
技術の発達も、水産資源の乱獲につながっているとは思うが、いくら簡単に大量に取れるとしても、買ってくれる人がいなけりゃ、つまり取った魚を消費するだけの人間がいなけりゃ、取ろうと思わないだろう。徒労になっちゃうからね。
脇筋から、一箇所引用。
《「セミクジラの大きな背中を見た新大陸の入植者たちは、優雅で美しい生き物ではなく、動く製油工場だと思った――さらに挑発的な言い方をすれば、自分たちで維持管理する必要がない動く製油工場だと思った」》(p232)
そんなことを考えていた連中が、捕鯨禁止、しかも「クジラはキュートだから捕鯨禁止」だと?……なんていう話はおいといて、でも、現在、捕鯨に激しく反対している人たちは、クジラを保護して、クジラがやたら増えたとしても、クジラを食べないだろう。
牛や豚がいなくなったとしても、海にあふれるクジラは食べないだろう。
牛と豚と鳥がいなくなったとしても、海にあふれるクジラは食べないだろう。
牛や豚や鳥や、その他の陸上の動物性タンパク源がすべていなくなったとしても、海にあふれるクジラは食べないだろう……か。
牛や豚や鳥や、その他の陸上の動物性タンパク源、および魚介類、さらにクジラを除く海棲哺乳類がすべていなくなったとしても、海にあふれるクジラ、食べないのかなあ。まあ、そうなっちゃったら、クジラ自体も生存は難しいと思うが。
これはつまり、地球上に存在する動物性タンパク源が、人間とクジラだけになっちゃった事態を想定しているのだが、それでもクジラを保護し続けるのだろうか、ということである。
という極端なケースはともかく、よっぽどのことがなければ、保護するところのクジラを食べるつもりはなさそうである。保護されているのは、間違いなくクジラである。
しかし、マゼランアイナメの「保護」のほうは、というと。
「こんなに美味な魚を絶滅させてはいけない、この魚をずっと食い続けるために保護しよう」である。
これって、マゼランアイナメの「保護」なのか?
マゼランアイナメを食い続けたい人間の「保護」、のように思われなくもないが。