5月15日の夜は、品川で某大学教授と飲む。
ここ。オイスターバー。
白ワイン2本は、ちょっとやりすぎたか。
とてもここには書けない話を、いろいろとする。
翌日16日は、朝イチの飛行機に乗る。
到着したのが、
ここ。
この写真だけでわかった人は、かなりのツウですね。
やきとり弁当号。
やきとり弁当といえば、ハセガワストア、ハセガワストアといえば、そう、函館です。
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今井清一編著『日本の百年6 震災にゆらぐ』(ちくま学芸文庫)読了。
いわゆる教科書上の歴史には出てこない、ミクロな視点からの記述もふんだんにあって、興味深かった。冒頭が、「うんこをもらすこども」だもんね。関
東大震災後数年たっても、そのときのことを話すと、恐怖がよみがえって脱糞しちゃう小学生がいた由。
ところで、関
東大震災といえば、東京下町の被害がクローズアップされることが多いんですが、横浜とか鎌倉もほぼ全滅、だったんですねえ。火災よりもむしろ、倒壊によって。
かつて住んでいた、鎌倉・小町も、全滅だったそうな。
そこでふと、疑問に思ったこと。
狭い路地や行き止まりの道が残っているような街について、「ここは第二次大戦で戦災に遭わなかったから、だから区画整理もされなかった」というような話を聞く。
鎌倉の街に、行き止まりの道があることについても、「鎌倉幕府があったころ、軍事上の理由でそういうふうにしたのが、第二次大戦で戦災にも遭わなかったから、そのままになっている」と聞いたことがある。
でも、関
東大震災で、戦災に遭ったにも等しい被害を受けたんだよねえ。
そこから復興するときに、なぜ、「こんな行き止まりの道なんて、もういいでしょ」とならなかったんだろう。
ここは、余韻を残して、次の話題へ。
この本、関
東大震災だけを取り上げているのではなく、その後の日本社会についてもかなりのページ数を割いています。
その中で、「ほう!」と思った箇所を引用。
1930年に書かれたもので、関西の私鉄の、当時のサービスぶりです。
《終点近くなるとたなの上の荷物をいちいち車掌がおろしてくれるなどという取り扱いぶりには、不幸にして東京の人間にはあまり経験のないことであるだろう。》(p239)
さすが関西。
それよりも、もっとステキなサービスが、これ。
《私などは仕事の関係上夜が更けて、というよりもじつはもう翌日の夜中になっている午前一時前後によく電車に乗って帰ることがある。そういうときには、ついいい気持になって電車が出ると寝てしまう。すると親切な車掌が、どの駅でお降りでございますか、芦屋まで、よろしゅうございます、芦屋へ参ればお起こししますから、どうぞごゆっくりお休みください、などということがときどきある。》(p240)
ブラヴォー!
こんなサービスが、横須賀線や東海道新幹線にあればなあ。
カミサンに叱られる回数も、ちっとは減ったのに。
JRさん、これ、考えてみてくださいよ。
有料でもいいと思いますけど。
あ。でもこれ、タクシー業界が猛反発するかもしれませんね。