梅田望夫『ウェブ時代 5つの定理』(文藝春秋)読了。
これは、読み始めてまず感じたことですが、梅田さん、ビジネス書界における斎藤隆さん的ポジションを狙っていらっしゃるんではなかろうか。
それは措いといて。
半ばぐらいまでは、割とビジネス一般に役立つ内容かなあと思いましたが、なんか徐々に、シリコンバレー教というかインターネット教の書のような趣きに。
そんなに手放しで礼賛していいものなんだろうか。
いくつか引用。
《PCは誕生当初から「個が大きな力を持つことのできる道具」として、個がテクノロジーを使って権威と対抗できる革命的な道具として産声を上げたのです。》(p119)
自由至上主義と、とっても親和性があるそうです、少なくともアメリカにおいては。PCやインターネット。へーえ。
《今でこそ人口の大半がパソコンを利用する時代ですが、仕事で使うとか何か理由がなければパソコンなど普通の人は使わない時代でしたし、しっかり勉強しないとパソコンは使えないものというのが一般の考え方でした。》(p165)
今でも、「仕事で使うとか何か理由がなければパソコンなど普通の人は使わない」と思うんですが、いかがでしょうか。
とりわけ、ケータイが高性能化してきたせいか、みんなPCからケータイに移っているような気がする。メールとか掲示板とか検索なら、ケータイで用足りちゃうもんなあ。
《たとえグーグルの社員たちが本当に「邪悪であってはいけない」と考えながら真剣に仕事をしていたとしても、そもそも「世界中の情報を整理し尽くしてあまねく誰にも行き渡らせる」というミッションは、私たちの社会の現実との間で大きな齟齬をきたすものです。各国の政府の機密保持や統治システムの思想との間でも相容れないし、個人のプライバシー保護の問題とどう折り合いをつけるかも難しい。/そういう矛盾はすべてわかったうえで、それでも「世界中の情報を整理し尽くしてあまねく誰にも行き渡らせる」ことは良いことなのだという信念のもと、社会の現実との間に危ういながらも何とか均衡を保つためには、少なくとも運営側の意識として「邪悪であってはいけない」という倫理がなければ絶対にうまくいかない。それだけは確かなことでしょう。》(p179)
前段と後段の接続が、国語力的にやや気になった。
前段で、「世界中の情報を整理し尽くしてあまねく誰にも行き渡らせる」というミッションに対して、「それって大丈夫か?」という疑問を投げかけるのかと見せつつも、後段では結局、そのミッションは無根拠に「良いことなのだ」とされてしまう。
「そういう矛盾はすべてわかったうえで、それでも」という接続の言葉は、ある種の跳躍なのではないだろうか。
グーグルのマネジメントについて、
《データを徹底的に集めファクトをしっかり把握したうえで行う合理的な思考、情報共有を徹底したうえでみんなの合意によって行う意思決定、質問によって運営することでつくるイノベーションを生む風土――この三つは新しい時代のマネジメントの黄金則だと私は考えています。》(p210)
とある。
これ自体は、とっても素晴らしいと思う。
しかし、いくらデータやファクトをベースにした合理的な意思決定であっても、それを規定するところの最上位のミッションは、不動なんだよな。これに対する質問は、タブーなんだよな。
ふと思ったんだが、「世界中の情報を整理し尽くしてあまねく誰にも行き渡らせる」というミッションは、最上位たりうるんだろうか。
それはあくまで、さらに上位のミッションのための、手段的なものにとどまるんじゃないだろうか。