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Z会大学受験コース小論文担当O橋君からのメールと、国語力検定

[2008年03月07日(金) ]

Z会の通信教育大学受験コースで国語・小論文を担当するO橋君、ええいこれじゃイニシャルにする意味あんましないな、大橋君から、3月4日付の苅谷剛彦さん関連記事について、メールが届く。

以下引用(使用許諾取得済み)。

《じつは、昨年度(2007年度)の12月に受験科文系小論文(TC)で、「教養」に関する問題を出しました。竹内洋『大衆モダニズムの夢の跡』(新曜社、2001年)の中から、「学生文化と教養主義」という文章で出題しています。》

竹内洋さん……『日本の近代12 学歴貴族の栄光と挫折』は読んだな。てか、珍しく購入したな。おまけにZ会中学コースの仕事をしていたころ、中学生に向けて、この本を紹介したことがあったような……。なかなかシャレが利いてていいでしょ。それをどう受け取るかが、国語力、ということで。

《その問題文で使用している中に、こういうくだりがあります。

(引用始め)
 旧制高校は一九五〇年に廃校になったが、旧制高校的教養主義は、あの大学紛争まで新制大学のキャンパスを支配していた。
 一九七〇年頃までの日本の国立大学には、教養部の授業に旧制高校の建物をそのまま使用しておこなわれていた大学も多い。
 建物だけではない。国立大学の教授のかなりは旧制高校出身者だった。かれらには専門の学問を越え、旧制高校的教養の香りのようなものがあった。戦後の大学生は旧制高校の香りを教授たちから得ることになった。
(中略)
 旧制高校は一九五〇年に終わったのではない。精神や文化として存続した。精神や文化としての旧制高校的なるものが解体されたのが一九七〇年代前後の大学紛争である。
(引用終わり)

……というわけで、竹内氏が書いていることをそのまま受け取るとすると、苅谷氏は、「旧制高校的なるもの」に直接触れることのできた最後の世代、ということになりそうです。/ちなみに、上の文章で竹内氏は、今日の大学のキャンパスを支配する学生文化を「軽い『キョウヨウ』主義」「過剰な現実適応学生文化」と呼び、「旧制高校的教養主義」と対比させています。/そして設問では、「『旧制高校的教養主義』の意義について、今日、大学という場で学ぼうとするあなたはどのように考えるだろうか。五〇〇字以内で述べなさい」と問うています。解答例および解説も、なかなかおもしろい内容になっていますので、一度ご覧ください。》

ほほう。出題自体、なかなかおもしろいじゃないっすか。これを、現在の大学受験生にぶつけるとは。やるね、大橋君&Z会通信教育大学受験コース小論文。解答例と解説も、あとで読ませてもらうよ。

しかし、なるほど。

1970年前後において、大学生、あるいはちょっとマセた高校生であったか否かが、ターニングポイントだったわけね。

旧制高校的文化に接し、旧制高校的教養をさほど違和感なく摂取できたか否かの。

これを読み、今の大学受験生は、どういうふうに感じるんだろう。答案に書く内容とは別に、正味な話ね。

そんな昔のことなんてカンケーねーよ、となるのか、それとも「こんなこっちゃイカン!」と、現状を否定的に見るようになるのか。

……大多数は後者で、少数の後者が、学者さんになるのかもしれませんね。

さて、「1970年前後において、大学生、あるいはちょっとマセた高校生であったか否かが、ターニングポイント」というところから、社会人ワタクシが考えたこと。

苅谷さんが、ぼくより10コ上。1970年当時の大学1年生は、ぼくより13コ上、大学4年生は16コ上ということになる。

この世代って、まさに今、企業なら役員〜社長のような、組織のトップにいる世代なんだよね。

現在、組織のトップにいる世代が、ギリギリ、旧制高校的教養イコール教養、だった世代。

組織のトップは、10年で世代交代するとして、今から10年後、旧制高校的教養イコール教養と考える世代は、組織のトップから、ていうか、組織自体からいなくなる。

あ。定年延長とかあるから、15年後ぐらいか、ホントにいなくなるのは。

そのとき、企業において求められる教養の質が、ガラッと変わるかもしれない。てか、「今の若いモン」と組織トップの教養の質が、さほど変わらなくなるかもしれない。

よかったね、現在小学生のみなさん……よいのか?

旧制高校的教養を全肯定するつもりはないけど、教養のレベルが下がる一方じゃマズいだろ、ということで生まれたのが、国語力検定でもあります。

おお、国語力検定でまとまったね。

コメント

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ご紹介いただきありがとうございます、小論文担当のO橋です。伏せ字で登場いたします(笑)

実際に大学受験生から届いた答案を、私も少しだけ見てみました。やはりご指摘のように、現状に対する何らかの違和感を表明したものが多いように感じました。「学ぶ」ことの重要性自体を疑うような、突き抜けた方向性の答案は、さすがになかったようです。

とはいうものの、《「旧制高校的教養主義」とは結局のところ、同様な学校で同様な本を読み、同様な人格を形成するものではないのか。そこに考え方の「偏り」が見られるのではないか》という、興味深い指摘を含んだ答案も、なかにはありました。ひょっとしたら、このへんが今の大学受験生の実感に最も近いのかもしれないな、と思った次第です。

ちなみに私の出身高校は、私が第3期生という新設校でしたので(私が第3期生です)、学生紛争当時のエピソードというものがまるでありません。垂渓庵先生のご出身校のようなエピソードは、私にはある意味うらやましく思えます。そのような学校の中で、私は友人と一緒に「岩波文庫を安いものから順にしらみつぶしに読む」ということをやっていて、現代文の先生から「お前は今どきの学生じゃない」と褒めていただいた(?)ことを思い出します。
Posted by:小論文担当:O橋 at 2008年03月10日(月) 19:32
垂渓庵です。

アドルノの話の際にコメントしようと思ってそのまま忘れていたのですが、わたしの出身高校では学生紛争の折に生徒によって学校が封鎖されたそうです。当時の高校にもそういう素地があったのですね。教養主義の振り子が逆に振れたかのように、共産主義的教養が席巻していた高校もあったということでしょうか。今はそんな振り子自体がどこかに行ってしまっていますが。
Posted by:垂渓庵 at 2008年03月07日(金) 11:09