[2007年12月11日(火) ]
昨夜、晩飯を食いながら、テレビで吉兆さんの記者会見を観る。
なんか、カンジ悪い。
いや、吉兆さんじゃなくてね。
あ、吉兆さんは、非難・批判されるべきことをやっちゃったと思いますよ。それはそれとして、記者さんたちの突っ込みが、「なんか、カンジ悪い」と思ったのである。
「なぜ、ウソをついたんですか? 責任逃れをしようと思ったんですか?」
イエスとしか答えられない、しかも質問する側もイエスだと十分わかっていることをわざわざ聞くのは、サディスティックな行為にしか見えなかった。
まあ、記者会見=取材者がサディスト的快感に浸る場、という側面があるんであれば、しょうがないんだろうけど。
「イエスだと十分わかっている」と書いたが、誰だって、ヤバい状況に陥ったとき、一瞬逃げたいと思いますよね。
ホントに逃げちゃうか、それとも「しょーがねーなー、でも責任あるしなー」となるかは、あくまで、その後の判断であり、責任感の有無が現れるのも、この判断の時点においてだろう。
いや、自分は責任逃れをしようなどとはチラとも思わない、責任逃れをしようと思うこと自体が理解できない(というか想像の範囲外だ)、だから「責任逃れをしようと思ったんですか?」と質問したんである、という人がいたとしたら、多分、ぼくはその人とは友だちになれないだろう。
別にぼくと友だちになんなくてもいいっすか。じゃあ言い換えます、ぼくは多分、その人を信用しない。
※《イエスとしか答えられない、しかも質問する側もイエスだと十分わかっていることをわざわざ聞くのは、サディスティックな行為にしか見えなかった。》というところが、今日の国語力関連事項です。
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