[2007年11月30日(金) ]
昨夜、晩飯を食いながらニュースを見ていると……あら。昨日と同じ書き出しだ。「むかしむかし、あるところに」「今は昔」みたいなもんか。と、ちょっと国語力ネタを。
それはともかく、ニュースを見ていると、フィギュアスケートの話題になった。
それを見ながら、カミサンが言う。
「フィギュアの女子選手ってさ」
「ん?」
「シンクロの選手とかもそうだけどさ」
「んん」
「なんか、目が離れてる人、多くね?」
「魚眼レンズで見たような顔ってことか?」
「いや、そこまでは言わんけどさ」
確かにそう言われると、そういう傾向がないでもないような気もする。
「ありゃ、きっと、小さな子どもの頃から、髪の毛をギューッてひっつめてるからだよ」
「ははあ、纏足みたいなもんか」
と、応えてはみたものの、ホントのところは、どうなんだろう。髪の毛の両側を後方にギューッと引っ張り続けることが、顔の造作に影響を与えるのだろうか。
続いて、政治のニュースを見る。
特捜部の人たちが、ザッザッザッザッザッザッと歩いて、防衛省の中へ入っていく。
あの人たち、いっつもあんなに背筋をピーンと伸ばして、胸を張って歩いているんだろうか。なこたぁないよな。テレビカメラ意識してるよなあ、あれ。疲れて肩落として駅から自宅へトボトボ帰る、ということもあるでしょ。
まあでも、大事なお仕事へ向かうところです、がんばってください。
引き続き、証人喚問をめぐるあれこれ。
「泥仕合」「恐怖政治」といった言葉が飛び交っていたが、不思議なのは、どうしてあんなに証人喚問を忌避するのか、ということだ。
事実を包み隠さず話せばいいだけのことだよね。それを「全会一致じゃなきゃダメだ」「そっちがそうするなら、こっちは参考人招致だ」とやっているのを見ていると、国会は「みんなスネに傷持ってんだからさあ」的集団なのか、と、(オトナは漠然とそう思っているが)次代を担う子どもたちにまで思われてしまうのではないか。
「全会一致」の根拠として「慣例」が持ち出されているのも、次代を担う子どもたちに、あまりよろしくない影響を与えるのではないか、と思う。「慣例」が生まれた(そして今も生き続けている)納得性のある背景・根拠まで示してあれば別ですが。それ抜きに「慣例」が特権的な位置を占めてしまうのは、いかがなものか、と。
さて。11月20日の記事で取り上げた、デイヴィッド・リンドリー『そして世界に不確定性がもたらされた』(早川書房)。

