[2007年02月22日(木) ]
まず、タイトルとは全然関係ない話を。
ベネッセやっちゃったなあ。
うちの朝日新聞だと、週刊新潮の広告がちょうど経済面にあって、その広告の真上に、社長交代が記事として掲載される間の悪さ
、というか、間の良さ、というか、朝日も意地悪だなあ、というか。
新潮の広告見て、「またまた、トバシじゃないの?」とまでは思わなかったが、せいぜいかつてのウワシンの一行情報ぐらいの信憑性か、と一瞬思ったのだが、その真上に辞任の記事だからねえ。なんだ、認めちゃったんかい。
と、思って、朝のワイドショーを見たんだが、さすがにテレビメディアでは、このニュース、大々的にはやらんでしょうね。落としてる広告費
が違うもん。無邪気には叩けんでしょう。代理店の動きを見つつ、メディアもしばらく様子見って感じでしょうか。
彼らは、「国民の安全を脅かすわけでもないし、もっと大事なニュースが山ほどある」という理屈を用意してるんでしょうが、だったら同様のケースの田舎の校長先生も叩くなよ、と思ったりもする。
さて、タイトルに戻る。
「国語力検定」では、ということは国語力研究所としては、もちろん、読書を勧めている。だけど、けっして、読書は、読書それ自体が目的ではない。(えーと、純粋にエンタメ系は、ちょっと別かもしれません。)
作家の重松清さんは、次のように書いている。
《小説なんて、読みたければ読めばいいし、読みたくなければ読まなくてもぜんぜんかまわない。本をたくさん読むよりも、たくさん片思いをするほうが、絶対に、意味がある。》(藤原和博・編『[よのなか]教科書 国語 心に届く日本語』新潮社、p268、重松清さんの言葉)

をするほうがよい。人は、想いがうまく伝えられない状況に放り込まれてこそ、想いをいかに伝えるかを考え始める。(で、ついでにいえば、何度かは失恋
もしたほうがよい。理由は、大人であれば、言わずもがなですね。子どものみなさんは、まあ、だまされたと思って。)
らしいです(鎌倉ミスドの前で会った、というか、見た、うちのカミサン談)。