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2009/11/24 09:22

ヤフーの検索で「国語力」と入れると、予測変換で「国語力検定」と出るようになった。

スバラシイ。

「1000万人の」と入れると、予測変換で「国語力検定」と出るようになるのは、いつの日か。

20年後ぐらいっすかね。



たまにはワイドショーネタを。

有名な歌舞伎俳優さんが結婚するらしい。へえ、有名なんですね、これだけ大騒ぎするってことは。

結婚相手も、有名人らしい。へえ、有名なんですね、これだけ大騒ぎするってことは。

その話題に関連して、今朝はコメンテーターとして芸能評論家と称する人が出ていた。

アナウンサーとアレコレやりとりした後、この話題の締めくくりとしてだろう、アナウンサーが次のようにたずねた。

「梨園の妻として、一番大切な仕事は何ですか?」

……そういや、ウチのカミサン、昔「ナシエンて何だよナシエンて!」なんて言ってたなあ。あ、これ、国語力検定のネタにしてもいいかも。

それはさておき、コメンテーター氏、次のように即答する。

「男子を生むことです」

こりゃまたストレートというか即物的というか何というか……。

あまりにストレートで、アナウンサー氏も、一瞬「は?」という表情になった。

コメンテーター氏、重ねて次のように言う。

「後継ぎを生むことです」

これでやっと、アナウンサー氏も意味がわかったらしい。

にしても、「一番大切な仕事は?」という問いに、「男子を生むこと」という答えは、国語力的にどうなんだろう。

「家を守っていくこと」ぐらいでもよかったんではないか、と思ったのである。



ダニエル・V・ボツマン『血塗られた慈悲、笞打つ帝国。』(インターシフト)読了。

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原題が《PUNISHMENT AND POWER IN THE MAKING OF MODERN JAPAN》、「近代日本形成における刑罰と権力」ぐらいだから、こりゃまた派手なタイトルをつけたもんですな、編集者さんも売るためには大変だ……と思ったのだが、読み終わってみると、「ほーう、なかなか考えられた、よいタイトルですな」と思いました。「血塗られた慈悲」が江戸時代を、「笞打つ帝国」が明治時代を、それぞれ表しているわけです。

かなり中味の濃い本……だと思いました。

ので、本筋からやや離れたところから、いくつか引用。緊密に組み立ててあるものって、一部だけをうまく切り取るのが難しいんですよ。

江戸時代の法律では、10両以上の金品を盗むと死罪、10両未満だと「敲と入墨」が科されたそうです。

《法律に記されたこの「限界」点が民衆に知れ渡ると、多額の金品を盗まれた者は、被害額を九両二分三朱(分かりやすく言えば九・九九両)と報告するのが通例となった。この習慣が続いたのは、幕府の役人が承知し支持していたからだろう。役人は正式な報告書に被害額を記録するのだから、不自然な数値がずらりと並ぶのを見ておかしいと思わないはずがないからである。》(p69)

厳罰を提示しておきながら適用は緩くする(お上の慈悲と感じさせる)、というのが、制度を長続きさせるキモだったらしい。

江戸時代の大名の、コスト削減策について。

なんと、「契約家臣」なるものがあったそうです。

《これが非常に重要な意味を持つのは「参勤交代」の制度があったためだ。(中略)大名は、江戸で奉公人や家臣を雇うことで、譜代の家臣を何人も引き連れて往復した場合に掛かる莫大な費用を抑えることができた。すでに一八世紀初めには、人宿と呼ばれる専門の口入れ屋が江戸のあちこちに現れ、庶民を武家奉公に斡旋していた。》(p109)

家臣といっても、せいぜい下働きをする人でしょ、と思ったかもしれない。

《武家屋敷へ奉公に来た庶民は、職務を遂行できるよう、刀を二本差す権利など、階級が同じ譜代の家臣と同じ特権を認められるのが普通だった。》(p109)

庶民が、契約によって、二本差しの武士になれるんですよ!

《しかし雇用期間が終了すると、その特権は無効となり、雇われ家臣は普通の町人という以前の身分に戻った。》(p109)

コスト削減のため正規雇用を非正規雇用に置き換えるっていうのは、江戸時代から始まっていたんだなあ、と思った次第です。

さて、明治に入って、囚人は北海道で道路を作らされたり、九州で石炭を掘らされたりしたそうです。

三井財閥は石炭でずいぶん儲けたそうです。

北海道では700キロメートルもの道路が作られたそうです。明治時代に囚人が建設した国道の終点が、網走だそうです。

こうした囚人労働は徐々に減っていったんですが、しかし。

《初期に政府と民間企業が数千数万の拘束労働者を活用していたことが、その後も多くの主要産業で労働者管理に強い影響を残すことになった。特に鉱山採掘と鉄道敷設と道路建設では、経済史学者の田中修、橋本哲哉、山田盛太郎らが明らかにしたように、一八九〇年代以降は囚人労働を穴埋めする形で「自由」労働者たちが雇用されたが、その彼らに与えられた合宿所は、もともと監獄から外役のため連れてこられた囚人を監禁するため建てられたものと非常によく似ていた。こうした合宿所は「納屋」「飯場」と呼ばれたが、ずばり「監獄部屋」と呼ばれることも普通だった。》(p288~289)

囚人への待遇が労働者管理のベースになっちゃったわけか!

ああ、そう言えば……冗談ですよ冗談。

最後に。江藤新平のさらし首の写真が掲載されていて、強く印象に残りました。無念だったろうなあ。
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