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東海北陸道のナゾと、国語力検定 (2008年07月09日)

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7月9日夜、新橋での飲み会。



こんなお店で飲む。



道路とはスダレで仕切られただけの、いわばオープンカフェ形式のヤキトン酒場である。



野郎3人で、焼酎かっくらってヤキトンを食う。

いいなあ、こういうオープンカフェ形式飲み屋。

ところで、カフェとは正反対に、飲み屋の場合、オープンカフェ形式であるほど、オシャレから遠ざかっていくところが興味深い。



ジル・A・フレイザー『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)読了。



この書によれば、非正規社員だけでなく、正規社員もひどい状況ですね、アメリカは。いくつか引用しようかと思ってましたが、よしときましょう。読んでみてください。

日本も徐々にこうなっていくのだろうか。すでになっている!と感じる人もいるでしょうね。

経営者へのインタビューからなるビジネス書では、たとえばこのブログを書いているツールにかかわるアメリカ企業などは、そこで働く人にとってもすごくステキなところのように見えますが(みんな楽しく働き、創造性を発揮している、とか)、どうやら違う見方もあるようです。ま、いろんな角度から見ておけばよいでしょう、ということで。

しかし、会社の利益拡大、というのはわかるんだけど、その利益が顧客でも社会でも会社自体でもなく、CEOを含むトップへ流れる、というのでは、従業員は納得いかんだろうね。

業績向上のために人件費を削減します、といって、その削減分の利益がトップの報酬になるようなもんだからねえ。

あ、でも、一箇所だけ、おもしろい表現があったので引用。

「スットクオプション」。

ストックオプションの誤植なんですが、なんか可笑しみを感じてしまった。タバコ、スットク〜?オプション。



りんかい線国際展示場駅前で見つけた看板。



どういう意味かは、わかりますよね?

フンを「落し物」と言い換えているわけです。

国語力的だなあ。

毎小連載のネタにしようっと。

東京国際ブックフェアの続き。

7月11日金曜日は、やたら多くのZ会スタッフが遊びに……じゃなく、視察に……でもないか、よそのブースの見学ついでに、うちのブースに立ち寄ってくれる。20人以上は来てくれたのではないか。ありがとうございます。

まあね。金曜日だもんね。翌日はお休みだもんね。東京でちょっと遊んで直帰かあ、と、少々うらやましい。

ところで、東京国際ブックフェアでは、入場の際、受付で、首から下げる入場証のようなものを受け取る。

その受付だが、「書店」「出版社」「印刷・製本業」「学校・教育機関」「法人ユーザー」「一般ユーザー」などに分かれ、それぞれの受付で受け取る入場証的なものにも、「書店」云々と記載されている。

つまり、来場者は、自分がどこに属するかに応じた入場証を受け取り、出展者は、来場者それぞれがどこに属するかが入場証を見ればわかる、という仕組みである。

ただし、誰か第三者が客観的に「キミが属するのはここね」と決めるのではなく、あくまで来場者が自分の所属を判断する、というのがミソである。ミソでもないか。

いや、来場者それぞれの自己規定がここに現れるのかと思うと、ちょっとおもしろいなあ、と考えたわけです。何をしているのかと問われて、「石を切っている」と答える人と、「大聖堂を作っている」と答える人がいる、という話が載っていたのは、ドラッカーの本だったか。 

ちなみに、その多く訪れたZ会スタッフの自己規定は、どのようなものだったか。

「出版社」あり、「学校・教育機関」あり、「法人ユーザー」ありと、人によってバラバラであった。

おもしろいね。……組織としては、あんましおもしろいことでもないのかな。

さて、今回の出展では、「学校・教育機関」の来場者、つまり学校や塾の先生への、国語力検定の告知、というのが我が研究所にとっての主たる目的であった。

「学校・教育機関」の入場証を下げた人に、「先生、国語力検定はご存知ですか?」と声をかけ、パンフレットを手渡す。

お。向こうから、また「学校・教育機関」の入場証を下げた人が来たぞ。

せんせ……ん? やたら若いな。新人か? いや、新人どころじゃなく若いな。

……おいおい、中高生諸君。たしかに所属してはいるけどさ、キミらは「学校・教育機関」の入場証じゃねーだろ。



地方公務員採用にからむ諸々の事件。

県議が口利きをするのは「ふつうの政治活動だ」という旨のコメントもあったが、県議から採用担当者へは、金品は渡らなかったとしよう。

でも、口利きを依頼した人から県議へ、一切の金品の提供はなかったんだろうか。

見返りが全くのゼロ、せいぜい「次の選挙で投票しますよ」ぐらいで口を利いてくれて、それが「ふつうの政治活動」でお咎めナシならば、みーんな口利きを依頼に行くと思うんだけどなあ。

さて、これ、どこまで徹底的に深く広く追及して、どこまでをバツとするんですかね。

全都道府県、全市町村にまで広げて、追及されるんだろうか。

何だか、ちょっと前の未履修問題的広がりを見せて、ちょっと前の特待生問題的幕引きがなされるような気がしないでもない。

また、これも、マスコミの「驚いたふり」のような気がしないでもない。

100万200万を贈るのは、みんなやりすぎだと思っただろうが、地方公務員採用はコネとカネで決まるって話、少なくともぼくが新卒のころは、ふつうに耳にしたけどなあ。

だから、「校長先生の子どもは先生になる」というのを、全然不思議に思わなかったわけで。

そうか、それをナアナアにしてきた側、「ま、そんなもんじゃないの」としてきた側、そこには当然ぼくも含まれるわけだが、それもまた問題なわけだな。

この4日間、何をしていたのか。



東京ビッグサイトで、東京国際ブックフェアに出展していたのである。

7月9日、荷物搬入、ブースセッティング前の様子。



それから、本を並べたりポスターを貼ったりする。



ちょっと寂しい。

寂しいと思いつつ、その晩はそのままムラさんオザさんと新橋で通院、じゃなくて痛飲。やきとん酒場で焼酎→アイリッシュバーでウィスキー→博多ラーメンでシメ、という黄金コース。気がつけば山手線を一周後、ホテルへ帰る。

10日朝、これじゃブースが寂しいということで、ポスターを追加。



こんな感じで、本番スタート。

10日は、かなりしんどい。ふだん、立ち仕事じゃないゆえ。しんどいしんどいと思いつつ、その日は三島へ帰る。

11日、相当しんどい。ふだん、立ち仕事じゃないゆえ。で、焼肉屋でそんなに激しくは飲んでないのに、多分山手線一周してホテルへ帰ったわけです。

12日、午前中はもうぐだぐだ。ふだん、立ち仕事じゃないゆえ。なさけないけど、こりゃ、一日もたないんじゃないか、と、マジ思ったもんね。イーさんに、「今日、飲み行きます?」と言われたけど、「いや、やめといたほうがいいんじゃない」って言っちゃったほど。

ところが、である。

午後になって、復活。慣れって、あるんだなあと思いました。立ってるのが、そんなに苦じゃない。

なわけで、イーさんに「やっぱ行きましょか?」となって、痛飲。

もっとも、疲れは疲れとしてあったみたいで、何だかよくわからないんだけど、「山手線内回り最終、品川止まりです〜」という電車に乗っていたのでありました。

13日は、慣れを実感。立ってるのが、全然苦じゃない。身体にラクな立ち方とかを、学習するんですかね。

もっとも、攻めのハットリさん、攻めのアーさんなどの若手に後を任せて、今日は早上がりさせてもらったんですが。あ、ハットリさんは若手じゃないか。

東京国際ブックフェア、初めての出展でしたが、初めてゆえの不備ありまくりでしたが、イベントとしては、悪くないっすね。『ほんとうの「国語力」が身につく教科書』、多くの方々に手にとって見ていただいて、「へー、これ、おもしろいね」と買っていただけたし。

(東京国際ブックフェア編、続く)

今日も激しく仕事である。

前述のとおり、かなりぐだぐだになっている。

しかし、今日は若い営業マンが3人もいるのである!

国語力検定特級ホルダーの営業ミー君。

同特級ホルダーの営業ナカ君。

同特級ホルダーのクボ君。

……えーと、実は特級を確認しているのはミー君だけで、あとの2人は未確認です。成績表の入った封筒を開けられないゆえの「未確認」かもしれない。冗談だよ冗談。

でも、営業オーさんが2級に沈んだ中で、ミー君の特級はえらい!

もう成績表発送後だから発表するが、「中学3年生以上」というカテゴリの母集団中、特級獲得者の割合は7%台だからね。

Z会の社員が受検して、特級・1級・2級にバラける、それが国語力検定の難易度レベルです。

つーことは、中学生で特級って、スゴイな、よく考えると。

さて、ぼくはぐだぐだなのだが、若者たちは元気である!

とりわけ、今年入社のナカ君。どこからそのパワーとスピードが出てくるのか。

さすが、ぼくよりハタチも若いだけはある。

……ありゃ。ハタチも違うのかよ。

いつのまにか、老人になってしまった気分である。

明日はユンケルでも飲んで働くかな。

焼肉で疲労と、国語力検定

[2008年07月12日(土) ]

今日も仕事である。

明日も仕事なのである。



目の前に、こんな着ぐるみがいるところで仕事をしている。

おそらく彼もだろうが、ぼくもかなりぐだぐだである。

昨夜は、ちょっとスタミナをつけようということで、



レバ刺しとキムチを食ったり、



ツラミを食ったりする。

が、それ以上に、激しく飲むために、スタミナどころではなく、ぐだぐだになってしまうのである。

今日は仕事の後、ゆっくり休むぞ。

「新脱亜論」と、国語力検定

[2008年07月11日(金) ]

渡辺利夫『新 脱亜論』(文春新書)読了。



明治維新から昭和の敗戦までの歴史をざっとさらった人には、それほど目新しい記述はないと思われます。事実関係のそれに関して言えば。

ただ、その事実関係の評価において、「この著者の見方は偏っとる!」という人もいらっしゃるでしょうね。リアルな認識という側面もある、と、ぼくなどは思いましたが。そのあたりの判断は、お任せしたいと思います。

ちょっとだけ引用しておきます。いずれも脇筋ですが。

《この闘争〔韓国併合に対する組織的反日闘争〕において、全軍の指揮官李麟栄がいまや進軍と見定めたところに、故郷から父親死去の報が入り、直ちに喪に服するために戦線を離脱してしまったという。「孝を第一の徳目とする李朝の伝統からすれば、それは当然のことだったのだが、全体を統率する指揮者を失った連合軍に、とうていソウル進攻などできるわけもなかった」》(p164)

鎌倉時代に元が日本へ攻めてきたとき、日本の騎馬武士が日本の作法に則り、「わぁれぁこぉそぉわー」と名乗りを上げている最中に、ピュンと弓で射られて戦死してしまった、という話を思い出してしまいました。元の兵士にしてみれば、「何だコイツは? 殺してくれと言ってんのか?」という感じだったんでしょう。

自分のルールというか価値観というか美学というか、それを貫いて、しかも勝利できれば、最もカッコいいんですけどね。

《グローバリゼーションとは、先進国企業の生産力が国内市場では収まり切れないほどに膨張し、この膨張した生産力に見合うようみずからのもてる経営資源を世界の適地に配分し、そうして多国籍企業へと転じたことの帰結に他ならない。》(p279)

戦争=国民国家がある故、グローバリゼーション=国民国家の溶解、グローバリゼーション=善、という図式への、異議申し立ての箇所です。

そういや、ちょっと前に、ヨーロッパの農民の人たちが反グローバリゼーションやってたな。

立場に応じて、彼らを「時代遅れ」と見る人も、「リアリスト」と見る人もいるんでしょう。

なぜこの時間にブログを更新できるのか、不思議にお思いになる方もいらっしゃると思うが、テキスト自体は、深夜とか早朝とかに書いてるわけですよ。この部分に限ってはリアルタイムですけどね。



川崎昌平『若者はなぜ正社員になれないのか』(ちくま新書)再び。



さて、この本、タイトルから「おそらくこういう内容の本だろうな」と思って買うと、つまりタイトル買いすると、予想が外れた!と思う可能性が、極めて高いかもしれない。

「若者」全般について云々した本ではなく、あくまで著者の個人的な就職活動体験記。

タイトルは、編集者の指示なんでしょうかね、想像するに。時流にそくしたタイトルを、ということで。

「おわりに」で、著者は、このようにも書いていますが。

《本書のタイトルである「若者はなぜ正社員になれないのか」という問いかけに対して、僕は自らの個人的な体験をもって答えとしようとしたのではない。この本は、広く一般に当てはまるような「解答」ではなく、「思考の材料」として提出するものだ。》(p220)

こう書いておかないと、読後「おいおい」と思う読者もいるからでしょうね。

《質問を発する側が自ら答えを選んでしまったら、それはもう質問ではない。問いの役割を自ら捨ててしまっている。問いとは、思考の呼びかけである。(中略)さまざまな事象をめぐり、僕は思考した。明確な答えは出せなかったが、しかし、問いかけることはできた。》(p221)

そうかなあ。正しい答えなんてのは、なかなかないとは思うけど、問いに対する「仮説」を立てることは必要なんじゃないかな。それも、十分に「思考の材料」たりうると思うけど。

問いかけだけで終わってしまうのは、よくニュースキャスターが「我々はこのことについて真剣に考えねばなりません」で締めくくるのと、同じような気がする。筒井康隆氏は、このニュースキャスターの常套句を、「思考停止のセリフ」と呼んだのではなかったか。

でも、イマドキの採用面接、中でもグループディスカッション形式のそれは、何て高いレベルを求められるんだろう、というのを知ることができた、という意味で、勉強になりました。

p102から数ページにわたって記されているんですが、データをもとにした、まさに戦略策定のディスカッション。

《売り上げの展望、業界全体の動向、消費者の嗜好、マーケティングの方法論等々、むつかしい用語を織り交ぜつつ、議論はどんどん進展していった。》(p105)

はぁー。すごいっすね。

これを読むと、いや、これ以外の箇所からもそう思うんだが、ぼくの世代の新卒学生よりも、はるかに知識・スキルともに上なんではなかろうか、イマドキの新卒学生。

川崎昌平『若者はなぜ正社員になれないのか』(ちくま新書)読了。



著者自身が、26歳、無職。この本を含めて新書を3冊出しているわけだから、無職でもないような気もするが、まずは引用から。

《さて、何をして働くか。今まで学んできたことを社会で活かして……などと思うが(中略)世の中に役立てられる知識だの経験だのを積み重ねてきたわけでもない。》(p22)

これを読むと、ああ、義務教育だけ終えて、高校へも進学しなかったのかな……と思う人も、いるかもしれない。

さにあらず。

《頭のほうは、まあ、よくはない。(中略)なんとなく中学を卒業し、なんとなく高校に入学し、なんとはなしに大学生になっていた。》

これを読むと、ああ、大学進学率が5割を超えるご時世だもんね、なんとなく大学まで進学しちゃったのね……と思う人も、いるかもしれない。

さにあらず。

いや、なんとはなしに入れるところじゃないと思いますよ、著者の出た大学。

著者、東京芸術大学美術学部卒業、東京芸術大学大学院修士課程修了。大学院入試では、慶応の医学研究科にも合格した由。年齢を鑑みるに、すべてストレート、浪人も留年もなし。

東京芸大って、東大よりも入学するの難しいってイメージがあるんだけどね。

そこに「なんとはなしに」入った、とりわけ何かを学んだこともない、なんて書かれると、なーんかイヤミな感じがしてしまうんだが。著者、日本語の語彙も、かなり豊富だし。

外資系コンサルタント会社の筆記試験を受けるくだりで、

《全ページ、全文、英語で敷き詰められている。(中略)「英語の試験」など大学受験以来だ。約八年ぶりである。》(p49)

とあって、設問(ビジネス即戦力を求めるもの)への解答はともかく、

《英語の意味はおおむね理解し、文意をつかめない箇所などはほとんどない。》(p51)

なんて書いてるし。八年ぶりでそれは、すごいことですぜ。キミは語学の天才か。

ちなみにぼくは、新卒のとき、かなりの数の会社、大学受験的な「英語の試験」で落ちたようです。

「ようです」ていうか、試験のときに「うわ、読めねー」と、自分自身わかったんですけどね。

実際、ある会社に、敗者復活戦的な選考で呼ばれたとき、面接官にハッキリ言われたし。「キミは英語ができないねえ」と。

英検3級だからな。

日本語検定は1級だけど。

(続く)

先週土曜日の朝日新聞夕刊に、「ん?」と思う記事があったので、紹介しておく。

タイトルは「東海北陸道全線が開通 着工から36年」。

本籍が富山県、しかも高岡市にある人間として、愛知県一宮市と富山県小矢部市を結ぶこの道路の開通は、喜ぶべきこと……なのだろうか。なのだろうね。

1兆2200億円かかったみたいだが、モトとれるぐらい、クルマが走ればいいけど。

いや、北陸自動車道を走ったことがある人ならわかると思うが、少なくとも富山の人は、そんなに高速使わんわけよ。ていうか、高速使うような距離のところから富山まで来る人が少ない、というのがホントのところかもしれない。ガラッガラですよ、北陸自動車道。アクセルベタ踏み、リミッターいっぱい、180キロ出せますよ、出そうと思えば。思っちゃいけません、出しちゃいけません、違反だからね。

しかし、36年かあ。ガキのころ、そんな道路を作ってるって話、おぼろげに聞いた記憶があるけれど、周囲の大人は、誰も本気にしてなかったような気がする。作ってもしゃあないやろ、という感覚だったんだろうか。

でも、東海北陸道、できてしまった。これまで、クルマで富山に帰省する場合、鎌倉に住んでいたときは東京まわり、三島に住んでいたときは東京まわりでも米原まわりでも変わらんねえ、という感じだったのだが、これで、三島を起点にすると、名古屋まわりが最短ルートになる。

一宮在住の先輩ゴーさんちでも寄らせてもらって帰省するか。

……というのが「ん?」と思った点ではなく。

記事を引用しておく。

《東海北陸道のうち未開通だった岐阜県内の飛騨清見―白川郷の約25キロが5日開通し、愛知県と富山県を結ぶ全長約185キロ全線がつながった。(中略)北陸道と比べ、東海―北陸間が約65キロ短くなり、時間は乗用車で15分短縮される。》

まず思ったのが、1兆2200億円もかけて、たったの15分短縮かよ、ということ。

もちろん、高速道路の経済効果は、時間短縮だけではないですけどね。1兆2200億円かけたこと自体が、最たる経済効果なんでしょう。

次が、「ん?」と思ったことです。

65キロ短くなったのに、15分しか短縮されないって、どういうこと?

北陸道と比べて、東海―北陸間が65キロ短くなって185キロ、だから、北陸道での東海―北陸間は250キロあったってことだよね。

そのときにかかっていた時間をX分とすると、東海北陸道ではそれが(X−15)分になった。で、乗用車はそれぞれの道路を時速Yキロで走るとして……なんていう複雑なことを考えなくても、つまりは、これまで東海北陸道で短くなった分の65キロを、15分で走っていた、ということになる。

これは速い。速すぎ。

なんと、時速260キロ。

これまで、250キロの距離を約58分かけて走っていたのが、185キロに短縮されて、約43分で走れるようなった、という計算だ。

いくらガラガラとはいえ、いつの間にそんなことになっていたんだ、北陸道。

おまえはアウトバーンか、北陸道。

しかし、いくらガラガラであっても、時速180キロ超を出すときは、コンピュータいじってリミッター解除しなきゃならんかったはず。

そんなことをする人たちがマジョリティだとは、とても思えないのだが。

65キロ短縮で15分短縮って、どういうカラクリなんだろう。

ベランダ菜園のゴーヤ、初収穫。



ゴーヤを育てたのは、生まれて初めてだから、人生初のゴーヤ収穫ということでもあるのか。

もう少し大きく育ったのかもしれないが、加減がまだよくわからないので、早めに収穫してみた。



重さは100グラム。二人で食べる一回分としては、ちょうどいい感じか。



チャンプルにして、さっそくいただきました。苦い。うまい。



ジョン・ラーナー『マルコ・ポーロと世界の発見』(法政大学出版局)読了。



一応、最後まで読みましたが、これは……研究者が読む類の本ですね。本体価格4700円もするし。

マルコ・ポーロの東への旅を描いたものではなく、『東方見聞録』が同時代および続く時代にどのように受容されたかを論じたもの。

『東方見聞録』は冒険譚の類ではない、というくだりがありますが、この本自体も冒険譚ではありませんので、それを期待される向きにはおすすめしません。

印象に残ったくだりを一箇所だけ挙げるとしたら、マルコ・ポーロの時代から中国の人は揚子江のことを「川」あるいは「大きな川」という意味の語で呼んでおり、現在でもそれは同じである、というあたりでしょうか。

固有名詞の一般名詞化ではなく、一般名詞の固有名詞化。

そういや、うちのオヤジ、春に山菜を採りに行く山のことを、「西の山」と呼んでいたなあ、と、ふと思い出した。



その後、映画『大脱獄』を観る。

1970年の映画だけあって、音楽も含めて古い感じがするのは否めないが、結末のどんでん返しには感心した。こういうオチをつけるか。やっぱ娯楽映画はハリウッドだよな。

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