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大野芳『8月17日、ソ連軍上陸す――最果ての要衝・占守島攻防記――』(新潮社)読了。



昭和20年の、8月17日から数日間、千島列島の最北端にある占守島という島で、旧日本軍と(これも旧なのか?)ソ連軍との戦闘があったなんて、恥ずかしながら知りませんでした。

当時ソ連は、あっという間に千島列島なんか占領して、あわよくば北海道まで占領しちゃえ、アメリカが来る前に、というハラだった由。

千島列島は占領されちゃったけど、北海道までは占領されなかったのは、このときの戦闘も一つの要因だった、ということらしいです。

あっという間に占領なんかさせなかった、むしろ「戦闘」という面では旧日本軍が勝っていたから。

しかし、ソ連軍って、実はそんなに強くなかった……てことはないんだろうけど、「戦闘」という面では、上手じゃなかったんじゃないか、というのが感想。



今朝の朝日新聞スポーツ面。

中田英寿さんの写真が掲載されていた。

あくまでその1枚の写真を見る限りでの感想なんだが、中田さん、ちょっと肥えましたかね。

ま、現役を退いたら、そうなるのはやむを得ないと思いますが。

時の流れ、というやつを感じたのでありました。

竹内謙礼『御社のホームページがダメな理由』(中経出版)読了。



さて。この本のタイトルも、どこかで見たことがありますよね。

そう、『御社の営業がダメな理由』という新書が、ちょっと前に売れました。

してみると、

「品格」「インド式」「B型」

に加え、

「御社の〜がダメな理由」

も、流行りのタイトルか。

あ、そのほか、「人は〜が9割」ってのも、結構見かけたな。

なわけで、次に出す本のタイトル案。

「国語力の品格」
「B型人間のための国語力ドリル」
「御社の国語力がダメな理由」
「人は国語力が9割」

……ダメか。

これはどうだ!

「インド式国語力ドリル」

インクにカレースパイスが配合してあり、ページを開くとほんのりカレーの香りが……全然ダメですね。

えーと、『御社のホームページがダメな理由』から、いくつか引用。

《中途半端にお金をかけてホームページを運営するぐらいであれば、インターネットを事業の補足的な役割、広報的な役割に特化させて、できるだけ低予算、低労力で運営するスタイルに切り換えたほうがよいケースが多々あるのだ。》(p76)

国語力検定ホームページ運営に際し、参考にさせていただきます。

《メールマガジンは読者を集めることにお金がかかり、なおかつ執筆するのに手間と時間がかかるので、実はインターネットの販促戦略の中で、「もっとも効率が悪い戦略」なのだ。》(p113〜114)

……ちっ。そうだったのかよ。どうしよう、国語力検定メールマガジン。

《これからは「ホームページで利益を上げる」というリスクの大きいことを考えずに、いかにコストを抑えて、効率よくホームページを運営できるかということに重点を置いて、インターネット事業に携っていくべきなのである。》(p147〜148)

ていうか、ホームページにせよメールマガジンにせよ、その運営、その発行自体が目的化してしまうのが問題なんですね。

当初は、「……のための」ホームページやメールマガジンだったのに。

何のためにやっているのか、今一度見直し、ムダをなくしたいと思います。

あ、どこからか、「ブログもね」という声が。そのとおりでございます。

《気持ち悪いくらい楽天市場を褒めて、まるで楽天市場の“公式本”でもあるかのような発言を繰り返しているが、今、日本のインターネットで物品販売をする場合、楽天市場の売上を上回るほどの売上を出せる市場はほかにないというのが私の結論である》(p176)

へーえ。おれ、楽天市場で買い物したこと、一度もないけどな。楽天トラベルは使うけど。でもそれは、「旅の窓口」が楽天に買収されただけで。

楽天会員が2800万人とも書いてあったが、楽天トラベル会員のワタクシも、いつの間にか楽天会員だったわけね。

しかし、最初は楽天に出店するとしても、利益が出るほどのリピーターがつき、そこそこの評判も出れば、わざわざ楽天を介さずとも、直で顧客と遣り取りしたほうがいいような気もするんだけどな。

それはダメってことになってんでしょうかね、契約上。

昨日、釣りの状況を「おもしろいように釣れるのだが、全然おもしろくない」と表現したが、「全然おもしろくない」ときに「おもしろいように」という形容は、国語力的にちょっとヘンか。

「うるさいぐらいに釣れる」。

でも、目的の魚が釣れて釣れてしょうがないときにも、多少の自慢も込めて「うるさいぐらいに釣れてさー」と言うことがある。

なかなか難しいですね。

さて、釣りから帰った後、しばらく身体をあたためてから、ホームセンターへ行く。

プランターと土と野菜の苗を購入。

たっけーなー、日本デルモンテの苗、と思いながら、「驚くほどの収穫!」というキャッチにひかれて、つい買ってしまう。

種から育てたミニトマトも順調に成長中だし、おお、今年の夏は野菜自給自足生活だな。

でもさ、と、またカミサンが突っ込む。

「ここ2年の収穫実績を鑑みるに、労働を除くコストだけ、つまり土やらプランターやら肥料やらのコストだけを見ても、八百屋さんで買ったほうが安いんじゃないの?」

完全無農薬絶対保証なんだよ、ウチの野菜は。

と、反論するも、農業における「規模の経済」ってやつを、はからずも再認識する。

Z会小学1・2年コースでは、エダマメ・ミニトマトを育てるという「体験学習」の教材がある。

おそらくは理科的な観点からの教材なのであろうが、そしてもちろんそれも重要であるが。

「さて、このエダマメやミニトマト、肥料などの材料費やかけた時間を考えると、もしお店で売るとしたら、いくらにすると赤字が出ないでしょう?」

まあ間違いなく、八百屋さんで見かける値段よりもはるかに高くなるだろう。そして。

「どうして八百屋さんでは、あんなに安い値段で売っているのでしょう?」

「どうして中国産やアメリカ産の野菜は、あんなに安いのでしょう?」

ということも考えさせれば、とっても深い教材になるのではないか。



吉村典久『部長の経営学』(ちくま新書)読了。



オビには《課長も必読!》、カバーには《「長期的コミットメント」をもちうるプレイヤーとして、「ミドルに注目します。》の文字が。

国語力研究所といっても、Z会の1セクション、課レベルのセクションなわけです。そこの代表といったら、どういう立ち位置になるか、推して知るべし。

というわけで読み始めたこの本。

えーとですね、ミドルマネジメント層はどうあるべきか?というのがメインテーマの本だと思ったら、肩すかしを食らいます。

そのテーマについて書かれているのは、そうですね、全体の1〜2割といったところでしょうか。

むしろ一般的な企業統治、ガバナンスってやつですかカタカナでいうと、がメインテーマの本なんじゃないか、と思いました。

「まえがき」を読んだ時点では、「ははあ、ミドル層への提言の書か」と思うんですが、この本、もし「まえがき」ナシで全部読んで「タイトルをつけよ」、という問題を出された場合、「部長の経営学」なんて答えたら、確実に×ですね、国語力的に。

と、思いながら、末尾にある「謝辞」を読むと、企画スタートから出版まで2年半、とある。

ははあ。

なんとなーく、わかってきたぞ。

元々は別のタイトルの予定だったんだけど、そしてそれに沿った内容だったんだけど、かなり直前になって編集者がタイトル変更を主張し、執筆者もそれを受け入れ、「まえがき」をそれに合わせて書き、変更されたタイトルに沿った内容を追加したんじゃなかろうか。

タイトル変更を主張した編集者のセリフは、多分これ。

「今、『はじめての課長の教科書』って本が売れてるんですよ! 次に来るのは、部長の本ですよ! 決まりっすよ!」

あくまで推測ですよ、推測。

でも、「企業統治論」なんて素っ気ないタイトルよりも、「部長の〜」としたほうが、確実にマーケットが見込める、というのは、多分正しい。

というわけで、ミドルにはあんまし関係ありませんが、おもしろかった箇所をいくつか引用。

T型フォードを作った、フォードさんの話。

《大衆からの喝采を受けたフォードでしたが、ただしその開発は大衆の求めに応じてはじめられたものではありませんでした。フォードはつぎのように語っています。/「もし私が顧客にほしいものは何か、と聞いていたら彼らはもっと速く走れる馬を、と答えていただろう」/「企業の存在意義は?」と問われれば、顧客が認識している価値、さらには認識していない価値までをも提供する、というのが答えとなるでしょう。》(p32〜33)

戦略とは差別化の謂であるが、その差別化の2つのパターンについて。

《1つ目のパターンは、「たいしたものだ」「さすがだ」「あれはいい」などと高く評価されるものです。(中略)2つ目のパターンは、「バカな」「あれでおしまいだ」「なんであんなことをするんだ」(中略)と言われてしまう違いの出し方です。》(p70)

どちらが大きな成功につながる(可能性がある)と思います?

そう、後者なんですね。

前者は競合によってすぐに模倣されてしまいますが、後者は《成功してはじめて「事後の合理性」が周囲に理解される戦略である》(p71)ゆえ、競合は少なくとも一定期間は模様眺めとなるわけです。

《もちろん、事前の合理性が成立しない「バカな」戦略を成功に導くのは容易なことではありません。成功への過程では、「失敗」や「回り道」があることがほとんどでしょう。/その意味で、リスクは非常に高く、短期での利益獲得は望み薄です。しかし、企業内の人々が新たな知識や認識を獲得するには、こうした失敗が重要なのです。リスクをいとわず、中長期の視野で事業に取り組む過程で、失敗を組織学習の機会とする姿勢を貫いていく。これが、大きな成功を獲得するには必須です。》(p72〜73)

まとめると、誰も認識していないような新たな価値を提供することは、周囲からは「バカな」戦略とも見えることがある。実際、非常にリスキーだし、短期的には不利益となることが多い。しかし、であるからこそ、中長期の利益を目指すのであれば、「バカな」戦略のほうに分がある。

いやあ、いい本だ。なーんてね。

4時半に起きて静浦へ釣りに行く。

マメアジが釣れると聞いて行ったんだが、キンギョ(と呼ばれている魚)がおもしろいように釣れる。

おもしろいように釣れるのだが、全然おもしろくない。

キンギョは、リリースする魚ゆえ。

おまけに、寒い。

先週はTシャツ+半袖シャツで仕事に行っていたので、まあ海だからちょっと寒いとして、その上にブルゾンぐらいで十分だろう、と考えていたのだが、風がピューピュー吹いて、寒いの寒くないの。寒いんですよ。

トレーナー+ブルゾンぐらいが必要だったな。

身体が冷え切ってきたので、1時間ぐらいで退散。

朝の通勤ラッシュ前に帰宅していたのでありました。

しかし、静浦でも、オッチャンたち、自分が釣りをしているまさにその場所で、平気で放尿しているねえ。便所まで遠いのはわかるけどさ。さすがにあれはちょっと、自分にはできんな。



ロバート・ジェラテリー『ヒトラーを支持したドイツ国民』(みすず書房)読了。



かなりの読み応え。5200円以上の価値があるんではないか。

ヒトラーやナチス関連、その時代のドイツに関する本はかなり読んだが、それらの中でも、非常に多面的な分析・考察がなされていると感じた。

ので、逆に、あるテーマに絞って、深く突っ込んで、というのを求める向きには、物足りないのかもしれないが。巻末の出典・参考文献も非常に充実しているので、そういう向きには、そこから個別のテーマへと進めばよいんではないだろうか。

強制収容所や絶滅収容所については、ご存知の方も多いだろうから、それ以外のところで「ふーん」と思ったところを、いくつか引用。

《一九三八年四月四日、ヒムラーはクリポにたいして「非社会的分子」を「かならずしも犯罪者でなくても共同体に敵対的な行為によって」集合体に「適応しないことを示す者」と定義する指令を発した。》(p117)

この「非社会的分子」の具体例として、今で言うところのホームレスであるとか「売春婦」であるとか「性病感染者」が挙げられているわけですが、「え?」と思ったのは、その中に「泥酔者」も含まれていること。

なに? 泥酔者も非社会的分子?

外で飲むときのおれも、非社会的分子?

《この視点からは仕事をしたがらない者、つまり「前科にかかわりなく労働義務を逃れ、公的援助に依存する者(労働忌避者、泥酔者、仮病使い)」は非社会的分子とみなされた。クリポは以上の広い定義にあてはまるとみなす者はすべて逮捕する権限を与えられた。》(p118)

うーむ、泥酔して二日酔いになって、仕事を休んじゃったりしたら、非社会的分子か。

と、続けて、また気になる記述が。

《市長、町長のなかには、この考え方に同調して、クリポに、評判の悪い酔っ払いを非社会的分子として逮捕するよう要請した。》(p119)

評判の悪い酔っ払い?

おれは、そんなに酒癖は悪くないほうだと思っているんだが。

しかし、それはあくまで自己認識であって。

「あいつ、タチ悪いよ」と思われている可能性もなきにしもあらず。

当時ドイツにいたら、逮捕されたかもしらんのか。

で、クリポはどうした?

《だがクリポには、それは警察の仕事ではなく福祉機関の仕事だといわれた。》(p119)

ふう。よかった。

えーと、ここまでは前フリです。

テーマは変わって。

《たくさんのドイツ人女性は、ポーランド人労働者との関係が公式に禁止されているのに、これを無視した。(中略)一九四二年一月、早くもナチ党は「少なくとも二万人」の非嫡出子の父親が外国人だったと推定している。》(p218〜219)

そりゃ、若いドイツ人男性が兵隊にとられて、みんな前線に出てたからねえ。

労働力を補うために連れてきた外国人と、若いドイツ人女性がくっつくのは、ある意味必然でしょう。「人は、半径50メートル以内にいる人と結婚する」というのが持論のぼくにとっては。

当時のドイツ政府、そんなこともわからなかったのかな。

えーと、これも前フリです。

「ふーん」と思ったのは、次の箇所。

《「民族共同体」という新しく宣言された連帯の社会理念にかかわらず、個人的利益が密告をさかんにしたようだと結論できるだろう。(中略)密告者は、ゲシュタポを使って自分たちの敵、競争者、その他を排除、抹殺するために内報した。(中略)密告はおなじ社会階級の内部で、近所で、自分のアパート内で、家族内でさえおこなわれることになった。》(p233)

ドイツ人が、ユダヤ人やポーランド人を密告する、というのは、よくわかる、ていうか、まあさほど不自然ではないような気がする。「民族共同体」という理念があったから。

しかし、タテマエはその「民族共同体という理念のため」に、同じ民族の普通の市民が、個人的利益のために「あいつは民族共同体の理念に反する行為をしている」と互いに密告しあうという、この逆説。

実際、ゲシュタポが「いい加減にしろよ」というような密告もあったようで。

反体制的言動を密告する、ということに関しては、ゲシュタポが市民を利用した、という側面と同時に、市民がゲシュタポを利用した、という側面もあったということです。

まとめ。

《不服従の表現の「唯一の前提条件」は、「社会・文化空間」が存在して、それが多かれ少なかれ保護された飛び地を提供し、そのなかで、不満をもち、抑圧を受けた集団が会合し、議論し、動員し、行動する場所があることだ。多くの一般市民が、警察の目となり耳となったのだから、抵抗できた人びとは、組織し、連帯を結ぶために集うことができなかった。》(p314)

ということです。

今日の朝日新聞読書欄。

「売れてる本」というコーナーに取り上げられていたのは、『B型自分の説明書』という本。

70万部も売れているらしい。へー。ベストセラー、ですね。

と、ちょうどその裏にあたる面の、青志社という出版社の広告には。

『B型人間の頭の中』という新刊の宣伝が。「発売たちまち重版!」だって。ホントか?

なんというか、『〜の品格』とか『インド式〜』とかもそうだけど、あざといなあ、と思うのは、ぼくだけでしょうか。それとも、これぞビジネス!なんでしょうかね。

ちなみに、『B型人間の頭の中』、カバー写真が載っていて、そこには著者の名前がボンヤリと見えるんですが、広告自体には、著者名は掲載されていない。

これは、国語力的に解釈すると、やましさというか、「あんましカッコよくないぞ」感の現われか、とも思ったんですが、単に掲載するのを忘れただけかもしれない。

……『日本語〜』なんか出してるオマエが言うな、と言われそうですね。はい、そのとおりでした。すいません。



最近は何かに追われるようにビジネス本を、という感じで(かなり冗談です、たまたまですよ、たまたま)、西村克己『成功する人はみんな知っている スピード思考術』(東洋経済新報社)読了。



たしかに、すごいスピードで読めました。……冗談です。いや、2時間程度で読めるっちゃあ読める本ではあるんですが。

最初のほうは、右脳と左脳の話。

脳活性化には右脳を解放することが大事、ということらしいんですが、右脳と左脳の関係から始まって、右脳を解放するとはどういう状態のことなのか、また右脳を解放するとこんなにいいことがある!という説明ばかりで、肝心の、右脳をどうやったら解放できるのか、ということは、あんまし具体的に書かれていない。

右脳が大事なのはわかったからさ、じゃあどうすればいいわけ?という思いが湧き上がっちゃう人もいるんではないか、この本。

たとえば、上司に叱られて頭の中が混乱しているのは、左脳ばかりが働いており、右脳が停止している状態の由。

そういうときには、どうすればいいのか、というと、

《こんなときは、気分転換が一番良いでしょう。》(p22)

おーい。そんだけですか。

唯一具体的な右脳活性化方法らしきものはと言えば。

《飲酒は、左脳を休止させ、右脳を解放する効果があります。》(p31)

なんだ、おれ、毎日やってんじゃん。

《発想法の1つに「メイテイ法」というのがあります。酩酊するほどお酒を飲んで発想する手法です。ただし忘れやすいので、メモをとる人が必要です。》(p32)

だってさ。ちょっとクスッとしちゃったけど。

後半は、まあ一般的なビジネススキルについて書かれていますが、ビジネス書をまだあんまり読んだことのない人向けですかね。

ただし、末尾近くの何節かは、改めて「うむ、そうだな」と思えるものでした。

《「やった方がいい」はやらなくてもいいことが多い》(p184)

とか、

《やろうと考える前に「それをやって儲かるのか?」を問いかける》(p187)

とか、

《付加価値を生まない仕事をいかになくすかを考える》(p199)

とか、

《ECRS(やめる→統合する→置き換える→簡素化する)で業務を効率化する》(p202)

とか、

《「アウトプット」基準で仕事を評価する》(p205)

とか。

うむ、そうだな。

昨日書いた「おもしろいネタ」を取り上げる。

5月6日付朝日新聞朝刊の2面。

「食糧暴発」というシリーズ記事の中に、「農水省資料から」として、こんな表が載っていた。

表のタイトルは、「こんなに無駄に(06年度)」というもので、左から、食事の場所、使った食品の量(グラム)、食べ残し・捨てた量(グラム)、無駄にした率(%)、である。

家庭       1122(1人1日あたり) 42  3.7
食堂・レストラン 557(1食あたり)    17  3.1
結婚披露宴   2230(1食あたり)   502 22.5
宴会       1877(1食あたり)   285 15.2
ホテルや旅館  682(1食あたり)    89  13.0

家庭よりも、食堂・レストランのほうが、無駄にした率が低い……どうですか、これ。

なーんか実感と合わない気がするんですが。

吉兆の食べ残し使い回しのニュースが出たとき、「家庭ならともかく、料理屋さんでねえ」という声もあったように、家庭では、晩ご飯の残りをもう一度食べたり、あるいは余ったご飯を冷凍したりして、料理そのものや炊いたご飯をゴミ箱に入れちゃう、ということは、あんまりないような気がします。

この数字、食堂やレストランにおいて、使い回しがそんなに珍しくないということを、いみじくも表しているんではなかろうか。

ホテルや旅館の無駄にした率のほうが、まだリアリティあるような気がします。

さて、この数字を別の角度からも見てみる。

家庭における1人1日あたりの食品量1122グラムから、捨てた量42グラムを引くと、1080グラム。1日2回家でご飯を食べるとして、1食あたりの実際に食べた量は、540グラム。

これ、食堂やレストランの1食あたり食品量から、捨てた量を引いた数字と、ぴったり一致するんですねえ!

ホテルや旅館では、実際に食べた量は、682マイナス89で、593グラム。

ここから考えるに、平均的人間が1食あたりに食べる食品量は500〜600グラム程度、それぐらいで平均的人間は満足するのであろう、ということがわかります。

ご飯1合分が、大体350グラムぐらいだから、ご飯に換算すると1.5合前後。

サトウのゴハンが1パック200グラムだから、3パック程度。

大体、実感と合ってますね。

そこで、「おいおい」と思ったのが、結婚披露宴や宴会の1食あたり食品量。

結婚披露宴、1食あたり2.2キロかよ。

大食い選手権じゃあるまいし。

ご飯に換算すると、約6.4合。

実際に食べたことになっているのは、1728グラムで、ご飯に換算して約5合。

でも、普通の人がそんなに食べられるわけないんである。

結婚披露宴や宴会での実際に食べたことになっている量には、「お持ち帰り」分も含まれているんでしょうねえ。

あるいは、可能性としては、激しく激しく激しく激しく使い回しをして、捨てる量を抑えている、ということも考えられる。

にしても、結婚披露宴では、1食あたり約500グラムの廃棄量。

ノーマルな食事の、ほぼ1食分である。

こんなデータがあるんであれば、1食あたり食品量の上限1キロまでとか1.5キロまでとか、規制をかけてもいいんではないか、と思った。ホントに食のことを危惧するんならね。

それでも、ノーマルな食事の2〜3倍の量だぜ。

今朝のワイドショーでも、吉兆の「食べ残し使い回し」のネタを取り上げていた。

5月3日の記事で、刺身のツマのうち、菊なんかは使い回したくなるだろー、という趣旨を書いたが、使い回しの中に鮎の塩焼きもあった、という由を聞いて、ん?と思った。

これって、古紙含有率偽装問題と、よく似た構図なんではないか、と。

@古紙の仕入れ量に応じて、A古紙含有率●%の紙が、B●トン生産できる、というのは、おのずと決まる。

これは方程式(関数かな?)のようなもんだからね。

@〜Bのうち、1つが額面どおりではなかったとすると、他の2つは必ず不自然な値をとるはずだ。逆に言えば、他の2つが不自然な値ではないとすると、@〜Bすべてが額面どおりではない、ということになる。

A古紙含有率が額面より低かったとして、@Bを不自然な値としないために可能な方法は、@の仕入れた古紙を捨てることか、Bの生産した紙の一部は公にカウントせずヤミで売る、ことぐらいしかないのではないか。

同じように、あるコース料理に必ず鮎の塩焼きが一尾つくとし、それは使い回されることはないとすると。

@鮎の仕入れ量に応じて、A●円のコース料理が、B●人分提供できる、というのは、おのずと決まる。

そこに、「使い回し」という条件を加えた場合。

「え? これだけしか鮎を仕入れてないのに、どうしてこのコースがこの数、出せるわけ?」

となるはずである。

鮎の仕入れ量を実際よりは過大にカウントして経費を水増しするか、売上を実際より過小にカウントして利益を圧縮するかしない限り。

この話題に関連して、もう一つおもしろいネタがあるのだが、ブログを書くために出勤しているわけではないので、明日にまわすことにします。

高橋博子『封印されたヒロシマ・ナガサキ』(凱風社)読了。



おもしろかったっす。

しかし、アメリカ国民も、核というか放射能が、人体にどういう影響を与えるのかってこと、そんなに知らされてなかったんですねえ。

そのほうが、核兵器開発にとって都合が良い、という理由で。

万一他国に対して核兵器を使うことになった場合、そして核兵器を使われることになった場合も、都合が良い、という理由で。

だから、少なくとも1954年までは、核兵器に対してアメリカ国民がとっても楽天的というか何というか、そういう状態だったわけで。

今でも、一定数の人たちは、それを引きずっているんだろうなあ。

「おわりに」から、一箇所引用。

《核兵器は人類の発明した最悪の兵器だと思っていた。しかし、二〇〇三年一一月にワシントンDC郊外の自宅を訪問した時、ラルフ・ラップ博士はさらに強力な兵器の存在を教えてくれた。》(p276)

何だと思います?

《それはクラシファイド・スタンプ(機密印)である。》(p276)

あったことを、なかったことにできるからねえ。

なかったことにして、なかったことを前提にコトが進められるからねえ。

一昨日取り上げた『タイガーフォース』の事件も、三十何年かぶりにオープンにされたってことだが、構図としては同じようなもんか。

一昨日、横浜の「海の公園」のことを書いた。

「海の公園」では、無料で潮干狩りができる。

ただ、調べてみると、他の首都圏の潮干狩りスポットは大概有料で、1200円2キロまで、というのが相場のようである。

1200円で2キロ。

100グラム60円。

ふーん。

さて、昨日、帰宅して「エース」の折込チラシを見る。

あ、「エース」ってのは、静岡県東部にあるスーパーマーケット(ディスカウントストア?)チェーンのことです。

その「エース」では、活アサリ(国産)100グラム68円。

ん。

じゃ、「エース」でアサリを2キロ買っても、1360円ってことか。

仲買さんが「エース」に卸す価格、また漁師さんが仲買さんに卸す価格ってのは、もっと安いはずだよな。

100グラム60円ってことは、まずあるまい。

と、すると、だ。

もし2キロ1200円の潮干狩りを、漁師さんが仕切っているのだとしたら、中間マージンは排除できるわ、自分たちの労働をお客さんが肩代わりしてくれるわで、これは非常に賢いというか、随分と割のいいビジネスなんではないか、と思ったのである。

《漁師さんがアサリ漁をする→収穫を仲買さんに売る→仲買さんがスーパーに売る→スーパーが客に売る》

が、

《客がアサリ漁をする→収穫を客に売る》

になるわけだからなあ。

おまけにお客さんは、アサリを買いに来たんじゃなくて、レジャーのつもりで来ていて、楽しんでくれるわけだし。

うーむ、これはビジネスのヒントになるな。

てなことを家で話していると、カミサンがこう突っ込む。

「アンタが釣りに行くのも同じようなもんでしょ。釣りを労働と見做せば、魚屋さんで魚買ったほうが割安だって意味では」

……魚屋さんじゃ滅多に手に入らない魚や、ものすごく高級な魚も、釣れることあるんだぜ、と、弱々しく反論したのでありました。



同じく「エース」の折込チラシネタ。

チラシ上で「永谷園フェア」なるものが紹介されている。

そこに取り上げられた商品の一つ、「生姜香る炊き込みごはん」のキャッチコピー。

《華に抜けていく生姜の香り(中略)がなんともいえない美味しさ》

鼻に抜けていく→華に抜けていく。

これは、誤植などではなくて、わざとか?

だとしたら、悪くないと思った。

10日ほど前に、2年前に入手したミニトマトのタネを、プランターに直まきする。

一昨日の日曜日、芽が出ているのに気づく。

すばらしい生命力!

感動。

感動しやすい今日この頃。



マイケル・サラ/ミッチ・ウェイス『タイガーフォース』(WAVE出版)読了。



ベトナム戦争の映画は、つい観てしまう。

まあ、同じように、つい読んでしまったというわけ。

一時的にパニック状態・ヒステリー状態に陥り、日常では考えられないような行動をとってしまう、というのは、よくわかる……というのは言い過ぎか、理解できなくもない。

が、異常な精神状態が次第に集団全体に感染し、その状態が七ヶ月も続く、というのは……。

まあ、戦争というものがそもそも異常な精神状態じゃなきゃ遂行できない、非日常的な出来事、というのはあるんだろうけど。

程度の問題、ということか。

なかなか、評価のしにくい問題ではある。

でもこれ、ひょっとしたら、「(他の国ならわかるけど、)正義の国アメリカの軍隊がこんなことを!」という意図も含まれてるのかな。

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