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[2008年07月23日(水)
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先日、大学の刑法の先生に勧められて、『真実の行方』(リチャード•ギア主演)という映画を観てみました。
これは、シカゴの敏腕弁護士ベイルが、市内で起きた大司教殺人事件の容疑者アーロンの弁護を引き受け、死刑確実と言われたアーロンの潔白を主張して検察と争う、という裁判ドラマです
この映画を観て感じたのは、真実は「神のみぞ知る」ということ。
よっぽどの証拠でもない限り、真実を見極めることは人間にはできないのだと感じました。
日本ではたびたびえん罪事件が報道されています。
本当は無罪なのに、死刑判決を受けた人もいます。
報道ではそればかりが取り上げられている気もしますが、その逆もあります。
すなわち、本当は有罪なのに、無罪判決を受ける人もいるということ。
日本では、「疑わしきは罰せず」という原則があり、十分な証拠が得られない限り、有罪判決を下すことはできません。
また、犯行時に容疑者に精神障害があったと認められた場合には、容疑者を有罪にすることはできません。
人間が判断する以上間違えは避けられない、と言ってしまえばそれまでですが、やはり間違えはあってはなりません。
裁判は人の命を左右するのですから。
さきほど、真実は「神のみぞ知る」と書きましたが、正確には容疑者も知っていますね。
自分がやったのか、やってないのか。
自分に精神的に障害があったのか、なかったのか。
無罪の人を有罪にしては絶対になりませんが、有罪の人を無罪にすることも絶対に許されません。
『真実の行方』では、真実を知る容疑者に惑わされる人々の姿が描かれ、知らず知らずのうちに、観ている側もそれに惑わされています。
真実を見極めるのは難しいことです。
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