たねちゃんの中3向けブログ

     
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後期合格への原動力
[2008年09月26日(金) ]

大学受験の時、私はここでもライバルにお世話になりました。

高校3年の2月。待ちに待った前期試験でしたが、私は自分の力を発揮できずに終わりました。
試験後に予備校のホームページにアップされた解答例をもとに、自己採点をしました。
結果は合格最低点に遠く及ばず、不合格を意識しました。

翌日、私は気晴らしに学校に行ったところ、一緒に東大を受験したライバルも学校に来ていました。
彼に出来を聞いたところ、どうやら合格の可能性は濃厚のようでした。


自分の合格可能生が極めて低いことを彼に告げたところ、彼はこう言って私を鼓舞してくれました。

「お前が不合格なんて信じられない。合格を信じてる。でも、万が一不合格だったら、必ず後期で合格してこい。一緒に東大に行こう。」

私はこの言葉によって奮い立ちました。
後期の倍率が前期よりも高く、また苦手な論文試験であることを知っていた私は、前期で失敗した時点で半ば浪人を覚悟していました。なかなか後期の勉強をスタートさせる気力が沸き上がりませんでした。


しかし、ライバルのこの言葉により、一度冷めかけた熱がもう一度沸き上がり始めました。
それから後期までの10日間、後期試験に向けて猛勉強に励み、合格を勝ち取ることができました。

この10日間の猛勉強を支えたのは、何よりもライバルの存在でした。
「彼に追いつきたい。彼と共に合格したい。」という思いが、入試までのすべての原動力になりました。


情報の一元化
[2008年09月24日(水) ]

ライバルからの助言。
これが、私の勉強に対する姿勢を大きく変えました。

まずは基本を徹底するために、教科書の内容は徹底的に暗記&理解すること。
そして、教科書に載っていない重要事項は、教科書に書き込んで情報の一元化を目指しました。


それまでに買った数多くの参考書は、ひとまず棚にしまいました。

まだこれを使う時期ではない。
今するべきことは他にある。

そう考えました。


この変化は、自分にとっていい方向へとつながりました。
まず、8月のセンター模試の世界史で早くも結果が出ました。
6月は60点前後だったのが、85点取れたのです。


教科書を徹底することで、25点上がりました。
また、間違った問題は、教科書の暗記不足に起因するものでした。
このセンター模試で、私は

「センターは教科書で満点とれる」

ということに気がつきました。


また、教科書に情報を一元化することで、(それまで思考があちこちに飛んでいたのが)教科書を軸に問題を考えることができるようになりました。

”特別なことは何もしていない”
[2008年09月23日(火) ]

「特別なことは何もしていない」
彼の言葉は、基本を忘れていた当時の私の心に強く響きました。


彼は、世界史に関しては、彼は教科書と学校の授業で使う図表と用語集しか使っていませんでした。
これをひたすら読み込み、自分の頭の中で咀嚼する。
自分の頭で、自分の言葉で表現できるようになるまで、この繰り返し。

彼の教科書はぼろぼろでした。
教科書に全ての情報が書き込まれ、それだけで自分オリジナルの一つの参考書になっていました。

英語も、数学も、理科も、基本的には教科書と授業で扱う問題集と、あと付け加えてもせいぜい1冊か2冊の問題集のみ。
どの教科でも、全ての基本となる知識は教科書に書き込み、ぼろぼろになるまで読み込んでいました。


それまで、あちこちに手を伸ばしてきた私にとっては、彼の勉強法は天地がひっくり返るほどの衝撃でした。

私は、それまでの勉強が全て無駄だったとは思いません。
しかし、勉強すればするほど、彼との差は広がっていく一方でした。

このままでは彼に追いつけない。
合格できない。


私はそう思い、勉強に対する姿勢を大きく転換しました。

ライバルから受けた衝撃
[2008年09月22日(月) ]

少しずつ秋の涼しさが感じられるようになってきましたね。

さて、話題は先週に引き続きライバルについて。

夏前に受けたセンター模試で、ライバルとの実力の差を痛感した私は、初めてライバルに教えを請いました。


どうやって勉強をしているのか?


私は、きっと他の人とは違うすごい勉強法を開発しているはずだ、と勝手に想像していました。
いつになく真剣な眼差しで尋ねる私に、彼も真剣に答えてくれました。
彼の答えは至ってシンプルでした。


(正確には引用できませんが)
「何も特別なことはしていない。
ただ基本に忠実に。そして自分の頭で、自分の言葉で考えるようにしている。」
こんなことを言っていました。


特別なことはしていない、という言葉にハッとさせられました。
「やられた!」と思いました。
初めて敗北を自覚しました。


私は受験という途方もなく大きな目標を前にして、一番簡単なもの、そして一番大切なものを忘れていました。

ライバルに学ぶ
[2008年09月20日(土) ]

高校3年の6月頃だったでしょうか。

私は2回目のセンター模試を受け、900点満点で730点(8割強)くらいをとりました。

判定はD判定。
東大合格を目指すならば、800点は欲しいところなので(東大は2次試験重視ですが)、合格ははるか遠く、という状況でした。


そのとき私は、得意科目としていた世界史で、60点前後しかとれず、一瞬大きな不安を覚えました。
しかし、家に帰る頃には、あまりに「細かい」知識が問われたのだと開き直ってしまい、課題に本気で向き合おうとはしませんでした。

しかし、私のライバルは、そのとき100点を取っていました。

これはあまりに衝撃でした。
彼が世界史が得意だとは知っていたけれど、あまりの大きな差に愕然としました。


いつの間にこんなにも差がついてしまっていたのか?
なぜ?


こんな思いが膨らみ、私は(ようやく)自分の勉強法を疑うようになりました。

そして、それまでプライドが邪魔して聞けませんでしたが、そのとき初めて、彼に教えを請いました。

努力の天才
[2008年09月19日(金) ]

高校時代のライバルは、努力の天才でした。


「ただ頑張るだけではいけない。
目標に結びつく努力をしなければ意味がない。」


という当たり前なことを彼から教わりました。


高校3年時、私は平日5時間以上、週末12時間以上(授業時間は含まず)という勉強量をこなしていました。

しかし、そこそこの成績はとれるものの、あと一歩が出ない。

高校3年時には学校で一桁の順位の成績を取れるようになったけれども、トップには遠く及ばない。
そんな状況が続いていました。


当時の私は、成績を上げるには量をこなすしかない、と考え、ひたすら量を追求していました。
沢山の参考書を買ってひたすら読み込み、問題集はぼろぼろになるまで解きました。

それでもどうしても彼に勝てませんでした。

なぜ彼に勝てないのか?
彼はどのように勉強しているのか?


気にはなっていたものの、自分のやり方への(根拠のない)自信とプライドが邪魔してなかなか聞けませんでした。


”あいつには負けられない”
[2008年09月18日(木) ]

「ライバル」

漢字では、「好敵手」と書きます。

私と高校時代のあるクラスメイトは、まさに好敵手でした。

私にとって彼はよき友人であると同時に、よきライバルでもありました。
また彼も私のことをライバルとして見てくれていることが、会話をしていてよく伝わっていました。


ただ、(昨日も書きましたが)彼は常に私の少し上を走っていました。

受験勉強というものがあまりう好きではなかった私は、よくスランプに陥っていました。
問題が解けないことにイライラし、そんな自分が嫌で勉強を放棄したくなる衝動に駆られることが何度もありました。

「あー解けねー」
「数学難しいー」
「もうやめてしまいてー」

何度あきらめようと思ったことか。


でも、決して投げ出すことはありませんでした。


「あいつには負けられない。」


この思いが、あきらめそうになった自分を何度も救いました。

受験時代のよきライバル
[2008年09月17日(水) ]

こんにちは。
9月も後半です。
少しずつ秋らしくなってきましたね。


さて、昨日はいいライバルに巡り会えたらいいな〜ということを書きました。

受験勉強に苦しんだ中学3年と高校3年のとき、勉強が嫌になったとき、スランプに陥ったときに私を支えてくれたのは、ライバルの存在でした。

高校3年時のライバルは、クラスメイトでした。
彼は授業中も自習中も、いつも楽しそうにしており、私よりも常に成績が少し上でした。


彼は、(おそらく家では相当努力していたと思いますが)、人前では決して頑張っているような姿を見せなかったし、また自分が頑張っているようには語りませんでした。
勉強量ではおそらく私が圧倒的に上回っていましたが、なかなか彼には勝てませんでした。


そんな私は、よく彼に勝てない自分にむかついていました。

そして自問自答を繰り返していました。

なんで彼に勝てないのか?
自分の勉強が足りないのか?


彼の存在は、私のなかにある向上心を激しくかき立てました。
いくら学校の定期試験の成績が上がっても、模試でいい判定をとっても、常に彼が私の一歩前を行っていたことで、私はいい意味で満足しませんでした。

私はこうして東大に合格した11〜ラサールへの挑戦〜
[2008年06月07日(土) ]

中3の冬には、夏以降の猛勉強の成果が現れてきました。
塾の先生が「夏を制する者は受験を制する」と豪語していましたが、私の場合まさにその通りになりました。

冬に受けた全国オープン模試で、青雲でA判定が出たのです。
さらに、冗談のつもりで書いていたラサール高校(九州では最難関、全国でもトップクラスの受験実績をもつ)でもC判定が出ました。


ラサールの入学試験は1月末、青雲の入学試験は2月末にありました。
青雲の入試対策はそれまでの半年で十分にしているという自信があったので、それから1ヶ月はラサールの入試に向けた勉強を中心にやることにしました。


ラサールの入試問題は、さすが全国屈指の進学校というだけあって、難易度が青雲とは全く違いました。
まず数学。青雲の入試では必ず点を稼げるような基本的な問題が数問出題されますが、ラサールではそのような問題は一切なく、下手すれば0点もとりかねない、というものでした。
英語では、100字程度の英作文や、大学入試レベルの長文読解が出題されました。文法も高校で習う範囲の知識が要求されました。


東大に多くの合格者を出すような私立高校には、灘や開成のような「超」難関校と、青雲や愛光その他多くの高校のような難関校があると思います。
ラサールは、明らかに「超」難関校の部類に入るように思います。

超難関功に合格するためには、それに向けた努力を何ヶ月もかけてしなければならないと思います。
たとえ、普通の模試でいい判定が出たとしても、超難関校の入試問題に対応できるだけの「超」応用力を身につけていなかった私は、ラサール入試では全く歯が立ちませんでした。



私はこうして東大に合格した10〜中3夏以降〜
[2008年06月06日(金) ]

こんにちは。
「私はこうして東大に合格した」シリーズ、久しぶりの更新です。

え〜っとどこまで書きましたっけ?
あ、高校を青雲に決めたところまででしたね。

では、今日は高校受験に向けての勉強について思い出しながら書きたいと思います。

中学3年の夏に志望高校を青雲に決めてからは、塾を中心に猛勉強に励みました。
とは言っても、決して学校を疎かにしていたわけではありません。

学校で基本を学び、塾で応用力を身につけるというスタンスをとことん取り続けました。
塾では問題演習が中心でした。

教材は、英語と数学と理科は、全国の難関といわれる私立高校の過去問を集めた問題集(『コンプリート』)を使いました。
この教材は私立高校を受験する人にとってはとても有用だと思います。
ただ、灘や開成などの超難関高校の受験問題も載っているため、私が受ける青雲には若干難しすぎたような感も否めませんでしたが。


国語と社会はひたすら過去問と基本的な問題集を繰り返し解きました。
この二つの科目については、私立だからといって特に特別な知識は要求されず、基本を徹底的にマスターすることが大切だったからです。

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