[2008年09月30日(火) ]
みなさんは勉強にどの程度時間を割いているのでしょうか。
僕は中学、高校生の時は如何にして勉強の時間を減らすかに苦心していました。
勉強は集中してやれ、とはよく聞く話ですが、いったいどうやって集中すればよいのでしょうか。
これは、学生を悩ませる大きな問題です。
だらだらと机の前に座っているだけで、勉強した気になっただけで実際ほとんど身についていない、ということはよくあります。
まず集中できるかどうかは意識の問題だと思うのですが、そうは言っても集中しやすい環境、しにくい環境というのはあります。
[2008年09月29日(月) ]
皆さんお元気してますか?
僕は今日帰省先から東京に戻ってきました。
旧友と飲んだり、学校に顔を出したり、何より親兄弟の顔を見ることができて、うれしかったです。
大学三年生にもなると皆がそれぞれいろいろな体験をしているので、たまに会って話を聞くのは本当に刺激的でした。それに加えて僕は最近、日本酒やビールのうまさがようやく分かってきたので、友人と喋りながら飲むのは本当に楽しかったです。
また学校に久しぶりに顔を出し、恩師に挨拶をしてきました。先生方はみな変わりなくお元気そうで安心しました。その中でも特に年配の英語の先生は相変わらず矍鑠(かくしゃく)としていて、かっこいい年の取り方だなあと思ったものです。
でも一番良かったのが親兄弟、そして祖母の顔を見ることができたことです。普段は何の音沙汰もない親不孝者ですが、たまに顔を出すと喜んでくれて、僕には何よりそれがうれしい。なんて柄にもなくセンチメンタルなことを書いてしまいましたが、まあいいや。
とにかく120%充電完了しました。
明後日からまた大学で精一杯やっていきたいと思います!
[2008年09月27日(土) ]
昨日は100マス計算の話をしました。
しかし100マス計算にだって色々と批判はあります。
その中でも有力なのは、思考力の鍛錬にはならないというものです。
それはモットモです。
だって計算力トレーニングだもの。
それでも「ゆとり教育」の嵐の中では、計算能力だとか暗記能力は目の敵にされていました。
以前にも書いたと思いますが、東大に教えに来ていた先生は、「暗算能力なんて100円の価値しかないよ!100円均一で電卓買えるじゃない!」などとのたまわっておりました。
まぁ彼は「Mr.ゆとり教育」とか「歩くゆとり教育」とか呼ばれた筋金入りのゆとり教育派だから仕方がないとして。
偏見なく言えば、次世代の子供は創造的な能力を伸ばすべきだというのが「ゆとり教育」の主眼でした。
ではそういう創造的な能力というのはどうやれば可能なのでしょうか。
来週に続く
[2008年09月26日(金) ]
久しぶりにブログを見直していたら、9月1日に100マス計算の話をして、「説明が長くなったのでこの話は明日に続きます。」とか書いていたのに翌日はすっかり忘れて負の数について書いていたので、ここで今更ですが100マス計算の話の続きをば。
ま、以前説明したように、100マス計算とは10×10個の数字をそれぞれ交差するマスに足すなり引くなり掛けるなり割るなり、指定された計算方法で計算して、できるだけ早く100マス埋めるという計算の練習です。
多分みなさんはなじみがある人も多いのではないでしょうか。
100マス計算が学校の授業で有名になったのは非常に新しく2000年ごろからだと思います。特に2003年に100マス計算の本を出した陰山英男さんが有名です(100マス計算を「陰山メソッド」という風に呼ぶ人もいます)が、元々は更に20年ほど前に考案されていたらしいです。
小学生が算盤(ソロバン)を習わなくなり、暗算能力が落ちてきたのもこの頃だったのでしょうか。
計算能力は、こういう地道な反復トレーニングでしか伸ばすことができません。上手い計算法も、応用できない問題の方が多いし、あてはめること自体に結構時間がかかるのです。
算盤できないならせめて100マス計算でトレーニングしましょう。
[2008年09月25日(木) ]
中高一貫校の教育が歪むこと、その問題の一つが履修漏れです。
一昨年くらいでしたっけ、かなり問題になりましたよね。
僕はぎりぎりセーフでしたが、僕の一つ下の学年は丁度入試前なのに履修漏れのあった科目の補習が入って大変だったと聞きます。
あれは国が決めた指導要領の中でも特に受験に必要なところだけ早くやってしまおうとするためにどこの進学校もやっていたようで、関係者や生徒の間では公然の秘密みたいなものでした。
だって家庭科教室がない学校もあるんですよ。
受験に関係がないから、と平然と家庭科や体育、果ては公民などまで無視するなんてことは、受験の効率だけしか考えないような仕組みになっているからです。こういうことをすれば、確かに受験だけでみれば良い結果が残るかもしれませんが、人間的に何か大事なものが賭けてしまうものです。
東大だって、頭は良い(=テストで点が取れる)けれど協調性がなかったり、生活力がなかったり、他人の気持ちを思いやることができなかったりするような人間が一杯いますよ。いや、東大 「だから」 なのかもしれませんね。
皆さんは学歴は高くても価値のない人間にならないように。
[2008年09月24日(水) ]
昨日も書いたように、高校受験は中学での勉強を歪めてしまうことがあると僕は考えています。それでも中高一貫校の教育も歪んでいることが多々あります。
例えば多くの中高一貫校は5年、長くても5年半で6年分のカリキュラムを終わらせてしまい、最後の一年は問題演習だとか復習だとかに回すというようなことをしています。
そのような駆け足の教育をするとどういうことが起こるか?
まず付いていけなくなる人が一定程度出ます。
そういう人は学校を辞めたり、成績を上げる努力をしなくなったりして、本人にとっても不幸な学校生活を送ることになってしまいます。
熱心な先生は補習などを組んで丁寧にフォローアップしてくれることもあるでしょう。
僕の学校を含め地方の進学校(公立含め)は比較的そういうのを丁寧にするところが多いと聞きます。
しかし大都市圏の有名新学校などは生徒のフォローなどは殆ど関知せず、余分な勉強などは塾に任せっぱなしのようなところもあるようです。
この話は明日も続きます。
[2008年09月23日(火) ]
このブログは中高一貫校の中学一年生向けとなっているので、中高一貫校の話を少しずつしていこうかなと思います。
まず、中高一貫校は多くが受験=大学受験のための進学校です。
それは、高校で受験をしなければならないといろいろ中学で出来ることが制限されてしまう(=高校受験で点数が取れるような勉強しか出来なくなる)ので、中学高校の6年を通して教育を組み立てるという考え方をしているからだと思います。
それは間違っていません。全く正しいと考えます。
僕の中学高校もそうでしたし、僕自身そういう学校に通って良かったと思っています。
しかし、そうした教育もまた歪んでいることを知らないといけません。
つまり、大学受験で点数が取れるような勉強の組み立てだということを自覚しておかなければ苦労することも多いのです。
それについては次回から順を追って考えて見ましょう。
[2008年09月22日(月) ]
部活や学校の都合でなかなか帰省できていなかったのですが、今日から一週間程度は田舎で羽を伸ばしておいしいものを食べようと思っています。お盆とかに帰省していた友達に会えないことは唯一残念ですが、まあ学校にも顔を出してみるつもりだし、楽しみなことに変わりはありません。
東京の生活は忙しいことが多いので、のんびりしたいですね〜
そして英気を養って、また東京のスピード感溢れる生活に飛び込んでいくというわけです。
若いうちは東京の生活は刺激的で充実限りないのですが、多分歳を取ったら僕はダメです。山奥か農村にでも引っ込みたいです。なんて覇気のないことを言ってみたり。
大学生として都会で一人暮らしするのを楽しみにして勉強している人もいると思いますが、家族がいる、友達がいる故郷の生活も大事にしてほしいものです。
以上、大学生からとは思えない話でした。笑
[2008年09月20日(土) ]
昨日は背水の陣勉強法などと大層な名前をつけましたが、実際にこれは結構効果がある勉強の原理なのです。
勉強は、何か高い動機があると大変はかどります。
一般に社会人のほうが学生より勉強に熱心なのは、これが原因です。
資格があったり外国語が喋れると、会社で昇進できる、給料が上がる、というプラスの動機と、そのために高い金を払ってわざわざ資格学校や語学学校に通い、自分の自由時間をけずっているのだから勿体無いことはできないと言うマイナスの動機が両方あるわけです。
その点学生は、勉強すればそりゃ成績が上がってちやほやされるかもしれませんが結局はそれだけなので、そういうのに魅力を感じない人は勉強する動機がなくなってしまいます。そりゃ教養や知識が増えることに悦びを見出す渋い学生もいるでしょうが。
また学生は、親の金、国の金で勉強しているのでマイナスのモチベーションはあまりないのです。例えば自分の小遣いから学校や塾に行かなければならないとなったらもっと必死にやるでしょう?
そこは学生の甘さなのです。甘えなのです。
親と国に感謝しましょう。
[2008年09月19日(金) ]
世の中で紹介されている勉強法にはいろいろユニークなものがありますが、その中でもよく半分笑い話のようになっている勉強の方法があります。
というのは、辞書でも何でも良いのですが、記憶したページから食べてしまうというものです。
え!!紙なんて食べて大丈夫なのか!!とか思いますが、まあハードカバーの硬い紙でなければ大丈夫なんじゃないのかな。腹を壊したとかいう話は聞きませんね。
というのは置いておいて、この勉強法はどういうことを狙っているのか。
(…というかそもそもこれは勉強法と呼べるのか。笑)
それは食べてしまうことによって二度と見ることができなくなるので、必死に覚えるハズだという非常に単純な理屈です。
だから別に食べなくても、破って捨てるだけでも良いのです。
ただ食べてしまうところに大きなインパクトがありますよね。
良い子は…真似して良いかどうかを自分で判断してください。
僕は知りませんが(笑)