参考書選び・後編

[2008年03月19日(水) ]

昨日の続きです。

B値段にはこだわらない。
塾や家庭教師に比べたらなんてことのない金額なので、参考書を選ぶときは価格を気にすることのないようにしましょう。中高の学参は高くても3000円以内には収まるものが多いのですが、それでも気になる人は、先輩や友人のつてを頼って手に入れることも可能です。僕は、数学のチャート式という参考書(問題集)を、バラバラに解体してから分野別のページを小冊子にして使うことにしたのですが、もったいないと感じたので私立文系を受験する(=数学の要らない)友人に頼んで、チャート式を一式貰いうけました。

C目的をはっきりさせておく=必要な質量を見極める。
分野もレベルも構成も細かく分かれてくる参考書は、はっきりとした目的、目標を意識しないと、全部買わないといけないかのようなプレッシャーになります。例えば、練習問題が付いている参考書とないものがありますが、別の問題集を使っているなら練習問題は必要ありません。教科書のレベルで理解したいのか、教科書には書いていないような資料集レベルで理解したいのかでも大分変わってきます。山川出版社は世界史の教科書(「詳説世界史」)で有名ですが、似たような名前の「詳説世界史研究」などは歴史好きやマニアにしか必要ないほど細かいことが書いてあります。

D中身はよく見て買う!
これまで書いてきたことをしようとしたら、中身をよく見なければできないのはすぐ分かると思うのですが、最近の参考書は、表紙イラストに有名漫画家を起用したり、題名を工夫したり、カリスマ塾講師などと提携したりしているので、衝動買いする人も少なからずいるようです。
後で後悔しないように、学参コーナーに腰を据えて選びましょう!

参考書選び・前編

[2008年03月18日(火) ]

勉強が好きになってくると、参考書選びは楽しくなってきます。
サッカーで言えばサッカーボール、テニスならラケット、ゴルフならクラブみたいなものですから、これにはまってしまう人もいるくらいです。というか、僕はそのクチでした。笑

ここで参考書選びの重要なポイント
@自分の身の丈に合ったものを選ぶ。
初級とかベーシックと書いてあると、ちょっと馬鹿にされたように感じて一つも二つも上のレベルの参考書を選んでしまう人。もしくは、上級とかアドバンストという表記に怖気づいて、いつまでたっても自分が確実に分かる参考書しか買わない人。よく見かけますが、これでは意味がありませんよ。

A相性の合うものを選ぶ。
友達が使っているからといって、同じ参考書を買う必要は全くないです。僕は寧ろ誰も使っていないようなマニアックな参考書を探し出して悦に入る性格でしたが、自分と相性が合うものを選びましょう。@にも関係していますが、ここでは、筆者の文体(教科書みたいな硬い書き方なのか、語りかけるような軟らかい口語体なのか)や、レイアウトやカラー印刷、表の多さ、大きさ、分かりやすさなども入ってきます。

続きは明日。

学参コーナー

[2008年03月17日(月) ]

本屋に行くと必ず大きなスペースが割かれている、受験対策用の教科書・参考書コーナーに行ったことはありますか?中学一年生のうちはまだ縁がないかもしれないし、中高一貫の受験時に、中学高校学参(学習参考書)コーナーに入ってみたことはあるかもしれませんね。

小学校のときは、まあ、塾で指定されるものをやるとか、過去問系のものをやっていたと思うのですが、そんなに種類は多くなかったのではないでしょうか。そもそも中学受験用なのか普通の自学で使うのか、見れば一目で区別がついたとおもいますし、定番もあったので選びやすかったと思います。例えば「自由自在」シリーズなどは有名ですね。

中高になると、そうした書籍の種類が一挙に増えます。

しかも勉強する分野も量も格段に増えるので、参考書が細かく分かれてきます。
先ほど挙げた「自由自在」などは「国語」「社会」「算数」などという大雑把な括りで一冊完結していますが、これが高校にもなってくると、「古文の単語」だとか「世界史の近代ヨーロッパ」、「数学の指数対数」だとかで一冊だったりします。

目眩がする?
いえいえ、勉強をしていくうちに参考書選びは楽しくなってくると思いますよ。
例えるなら、自分に合ったグローブを探す野球少年の気持ちに近いでしょうか。

参考書の選び方については明日書きます。

友人Nの場合

[2008年03月15日(土) ]

大学は、時間がたっぷりあって、何をするにも(しないにも)使えるところですが、今日は友人Nの大学生活を紹介してみたいと思います。

同じ法学部の友人Nは、まじめで社交的な一見普通の学生です。
でもそんな彼は、普通の人とは一味違うことに励んでいるのです。

Nはバイトを沢山入れています。
社会経験がしたいから?遊ぶ金ほしさ?
惜しい答えですが、違います。

Nは少しでも長い休みに入るとほとんど毎回、先輩と二人、もしくは一人きりで、海外に旅行しているのです。

グアムやサイパン、ハワイ?オーストラリア?
いえいえ、違います。

Nが行くのは言葉も分からないような、中東や東欧、南米やアジアです。
ホテルとかに行かないと英語も通じない地域。

南米に行ったときは、Hola!(やぁ!)とGracias!(ありがとう!)だけ、後は身振り手振りで2週間乗り切ったとか。先日法学部試験が終わったらアンコールワットを見に行くと言っていたので、今頃はカンボジアにいることでしょう。これで48カ国、だそうです。凄い、の一言で、僕は言葉を失ってしまいました。

何をするにしても、ひたむきに突っ走る姿はかっこいい。
そんなNと、また酒でも酌み交わしたいと思う今日この頃でした。

幽霊、エスパー、宇宙人!

[2008年03月14日(金) ]

よくテレビの特番で、幽霊がどうの、超能力者がどうのとやっています。
そこには肯定派のジャーナリストや目撃者とセットで、否定派の科学者がゲストに呼ばれています。彼らは霊魂や超能力を頭から否定することがありますが、本当のところどうなのでしょう。

昨日、科学は仮説だと書きました。
もっと正確には、「現時点で、限りなく確からしいと考えられている」仮説なのです。

幽霊や超能力者、宇宙人は存在しない、これは科学ではありません。
本当に科学的には、幽霊や超能力者や宇宙人は、確認されていない、あるいは、現象としてそれらしいものは知られているが、それを説明できる段階にない、と言うべきです。

いるわけがない、あるはずがないと頭ごなしに否定するのは、科学万能主義と言う名前の宗教の熱心な信者だと言っているようなものです。

こう考えると、実在する可能性がぐっと増えたみたいで面白いですね。

とはいえ、科学で説明できるようになったら、それはそれでロマンのない話になってしまうような気もします。カマイタチ現象は、つむじ風が一部真空状態になることで起こると考えられていますし、金縛りは疲労などによる筋肉の硬直と言われたりしますが、妖怪や幽霊の仕業だったほうが面白いのではないでしょうか。

科学と宗教・後編

[2008年03月13日(木) ]

昨日は科学について書きました。

世の中の仕組みに説明を与えようとする点では宗教も科学と似ていますが、アプローチが全く違います。それは簡単で強力な方法、つまり「神様がそう作ったから」「そういうものだから」というもので、それより奥へは進めない。どうして神様がいるのか、神様は何でできているのか。そういう問いは黙殺されるでしょう。後は信じるしかありません。

別に宗教の価値を否定するわけではないです。
でも、科学と宗教は相容れないものだとは思います。
違いをはっきり認識しておかないと混乱するし、時に衝突するでしょう。
コペルニクスやガリレオ・ガリレイの科学(地動説)は、ローマ教会の宗教(天動説)に迫害されましたし、進化論を唱えたダーウィンも、同じく教会に非難されました。

偉い科学者のポパーという人が言ったことですが、反証可能性があって初めて科学といえるのです。反証可能性と聞くと難しいですが、要は、それを間違いだと言うことができる理論が科学なのです。中世の錬金術は、否定されるまでは立派に科学でした。

これはどういうことかというと、科学の理論は全て仮説ということなのです。

一方宗教は、否定される可能性がない。信じるか、信じないかの二択です。

この違いは、どっちがいいとか悪いとかではなく、本質的に重要なことです。
中学一年生には早すぎるし難しすぎたかもしれませんが、頭の隅にでもとどめておいてくれると嬉しいです。

科学と宗教・前編

[2008年03月12日(水) ]

今日明日は少し難しい話になるかもしれません。科学と宗教の関係です。

科学というものはそもそも、世の中の全てを一つの理論の元に説明してしまいたいという人間の欲望そのものです。なぜ朝が来て夜が来るのか、なぜ海は塩辛いのか…そんな簡単な疑問に答えるために、人間は大変な労力を積み重ねてきました。それが科学です。

それにはこういう理論が考えられていて、実験の結果どうも確からしい、だから多分その理論どおりに動いている。実験で予想とは違う結果になったら、理論が間違っていたのか、実験の仕方が悪かったのか、そこから検討しなければなりません。

科学の体系は、そうした地道な作業の積み重ねです。

それでも、いや、それだからこそ、科学には限界があります。
キリがないのです。

物質の最小単位は、昔は火とか水、空気などと考えられていました。いまや、分子や原子より小さい単位も考えられています。そのクォーツという単位を研究している人が、クォーツの解明が進めばそれより更に小さい単位の研究が始まる、と語っている記事を読んだことがあります。

なぜ?どうして?
それはこうだから。
じゃあそれはなぜ?
以下繰り返しです。

小さい子供は、こんなやりとりをして大人を困らせることがありますが、良い科学者はきっと、こういう心を大事に持ち続けた人なのでしょうね。

実験

[2008年03月11日(火) ]

中学生になると、理科の実験がずいぶん本格的になります。
小学校のころは何かおもちゃのようなキットを配られて、教室で組み立ててハイおしまい、という感じだったと思います。中学ではわざわざ理科室に行って、フラスコとかビーカー、顕微鏡が並ぶ中、暗幕を下ろし、さて実験と言う感じで、子供心にワクワクしたのを覚えています。

機械をいじったり、顕微鏡をのぞいたりすることに興味を持っているなら、何か一つ、いいものを買ってあげると良いと思います。顕微鏡なり、半田ごてなり、長く使えるものを買ってあげれば、自ら進んで勉強や実験するようになるかもしれません。

僕の友達にMという男がいます。
彼は東工大にいるバリバリの理系なのですが、中学のときから色々いじるのが好きでした。僕も彼と一緒に初歩の電気工作のようなことをしたこともあります。そのときは使い捨てカメラや携帯電話を分解したりして満足していましたが、今彼は、PCは自分で組み立てて、中のソフトも全部自分で入れているし、バンドをやるときのアンプも自作のものです。僕は彼ほど進化していませんが、目下のところ、ノートPCの液晶を自分で修理しているところです。二人とも秋葉原によく出没します。笑

後々のことを考えれば、少し高くてもきっかけに投資するのもひとつでしょう。

りかけいのおとこ

[2008年03月10日(月) ]

今週は理科についてです。

社会もそうですが、理科も、勉強と実際の生活を切り離して考えると苦痛以外の何でもありません。苦痛でなければ、机上の空論であって、勉強のための勉強を強いられることは悲劇です。

やはり普段から、理科的な素養というか、好奇心の芽というか、そういうものを外に向けるようにしていく必要があると思います。

例えば新聞の天気図を見て、「これが温帯低気圧であれが熱帯低気圧で…」などと予想ゲームをしてみる。例えば春の七草粥を食べるときに一緒に料理する、できればスーパーで実物を一緒に探す。夏には夜空を見て星座を探し、救急車が過ぎればサイレンの聞こえ方が変わるのを聞く。
身の回りのほとんどのものは、ちょっと考えれば不思議がいっぱいです。
どんどん外に目を向けましょう。

僕は、「どうして空が青いのか。どうして夕焼けは赤いのか」ということについて説明できるようになったときに、大きな感動を覚えました。今まで何となくそんなものなのだろうと思っていたことに、ちゃんと理由があったと知ったときの達成感は他では得がたいものです。TVアニメの名探偵コナンで、真犯人とトリックが分かったときに頭に走る、あのピキュイーンという電流のような感じといえば、分かってもらえるでしょうか。笑

食卓社会学

[2008年03月08日(土) ]

今週始めに、食卓が社会科に興味を持つきっかけになる、などと書きましたがそのことについて。

先週何気なくテレビを見ていたら、日テレのバラエティで「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」という番組をやっていました。これは、お笑いタレントが総理に扮して、政策を掲げて、ゲストを交えてそれについて討論する、という番組です。

その日のマニフェストは、「海外からこの先10年間食品の輸入を禁止します」というものでした。

確かに輸入食品は、不安だ。ギョーザ以外にもいろいろな食品でいろいろな薬品が検出される中国産野菜、BSEで問題になったアメリカ産牛肉など、問題は多いです。少し高いけれど国産を買おう、という気持ちは良く分かります。

でも輸入食品に頼り切っているのもまた事実。自給できるのは米だけで、輸入を禁止したら、うどんのつゆはただの水(醤油を作る大豆はアメリカ産)、ルーのないカレー(カレー粉はイギリスやマレーシアから)、チョコなど全くなくなってしまう(カカオはガーナ)という惨状です。ルーのないカレーってカレーなのか?

昔は鎖国しても平気だったのにどうしてこうなったのか、とか、あれ?ちょっと前まで減反政策とかいって農家の減産を進めていたじゃないか、とか、厳しい賞味期限や色形の基準で食べられるのに捨てられる食品はどのくらいあるのだろう、とか、非常に深い話に繋がるのです。

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