[2008年11月08日(土) ]
今日はマンガの活字というか、活字に慣れる上でとっつきやすいマンガを紹介していきたいと思います。
こういう取っ掛かりの本は、例えばマンガで学ぶ日本史といった、マンガがメインではなくて文字情報がメインのものだと、あまり面白くないと思うので、あくまでマンガが面白くてヒットしたものを中心に紹介したいと思います。
まず、昨日挙げた「デスノート」(原作・大場つぐみ、作画・小畑健)。
これは映画にもなっていますし、とても有名な作品だと思うのであまり多くは書きませんが、主人公とそのライバルとの駆け引き、推理合戦が息詰まる名作です。
次も昨日挙げましたが、「ゴルゴ13」(さいとうたかを)。
主人公(ゴルゴ13)が依頼を受けて、或いは自分の安全のために、とにかく誰かを暗殺する、という基本パターンは毎回同じ。でもその背景が、そのときの社会事情・時事ネタを見事に反映していて、世の中の動きの裏側が少し分かった気になれるのです。2〜3話でひとまとまりのショートストーリー形式なので読みやすいです。本当に馴染みがなくて分からないストーリーはとりあえず飛ばし読みして、良く分かる話題のときはじっくり読み込む、といった読み方もできます。
今日最後に挙げておくのは、「沈黙の艦隊」(かわぐちかいじ)。
20年弱位前の話ですが今読んでも本当に面白い。とにかくマンガの中で展開される議論がアツい。日本屈指の社会マンガだと僕は考えています。でも中学生にはちょっと難しいかなー。
[2008年11月07日(金) ]
マンガで読む日本史、とかの学習シリーズは当然ですが、普通のストーリーマンガも、最近のものは相当の情報量を詰め込んであります。
中学生の皆さんに分かるマンガで言えば…そうですね、「デスノート」とかむちゃくちゃ字が多いですよね。下手な小説よりよっぽどあります。
こういうマンガをきちんと理解しながら進もうとするとがんばって多くの文字を読むことになります。
ただ、マンガの活字で問題なのは、ここで読み飛ばしても大して違和感なく進めてしまうことなのです。
綺麗な、あるいはカッコイイ絵があれば、文章での説明はある程度すっとばしても楽しめます。話が複雑になってきすぎると、どうせ文字を追っていたところで分からなくなってきてしまうので変わらないや。絵だけ見て楽しめればいいや。という態度でも十分読めてしまうのです。
従って、マンガをあまり真剣に読まない人人は、マンガに書いてあることの半分も理解せずに終わってしまいます。
例えば「ゴルゴ13」といった本格的な社会派のマンガでも、読みなれている人はそこから新聞以上の情報を得るのに、読みなれていない人は「主人公(ゴルゴ)が悪役を超人的な暗殺術でやっつける」といったパターンしか認識できないのです。
マンガを読むのも全力投球で!
[2008年11月06日(木) ]
先週、今週は沢山の活字に触れ、慣れることについて考えてみましたが、マンガも、活字を多く目にするメディアとしては無視できないものがあります。
もちろん、4コママンガや、ドッカーン!バッキーン!っといった擬音だらけの低年齢向けの少年漫画はそうではありませんが、青年マンガと呼ばれるグループは、話も複雑で、情報量も多く、小説や評論に負けない読み応えがあるものも少なくありません。
外国では残念ながら子供向け文化として軽蔑される傾向にあります(ありました)が、幸い日本では、電車の中でサラリーマンがマンガ雑誌を読んでいてもおかしくないですし、なにせ時の首相である麻生さんまでマンガファンなのです。マンガ好きにはたまらない世界ですね。
マンガの中の名文句や名場面は、本当にすごいものだと誰にでも通じると言っても大げさではないくらいのものもあります。
マンガを深く知ることは、活字に慣れる云々の話にも関係しますが、それよりもっと根本の、日本の文化を知るところにつながってきているような気がします。
[2008年11月04日(火) ]
中学や高校では、学校で毎日のように顔を合わせているのに友達とメールするんじゃないかと思います。大学にもなるとそういう無駄なことは全くしなくなる人もいるのですが、学校での人間関係を考えるとそうもいかないですよね。
そうなると、メールは来たらできるだけ早く返信しなければならないのではないでしょうか。
(僕は面倒くさがりなので、緊急でない用事には返信せず、次に会ったときにまとめて返事するようなことも多くなりましたが。)
誰かに聞いた話だと、大体10分から15分くらい以内に返信しないといけないような空気があるようです。
文章を推敲する時間とかは全然ありません。
メールなんていうのは、ほとんど条件反射的に書かれたものなわけです。
そういう活字に慣れてしまうと、評論とか小説とか、考え抜かれた文章を読むのが苦痛になってくるものです。
今はやりのケータイ小説とかはその良い例です。長い文章は見当たらず、かなりの短文と会話だけで成り立っていて、とても流し読みしやすい構造になっています。昔ながらの岩波文庫にあるような古典名作などの文章はそれと比べると堅くて読みにくいこと限りない。
長い文章を読むのが苦行にならないように、活字に慣れて欲しいわけですが、メールの活字ばかり見ていると逆効果なのではないか、というのが僕の心配するところなのです。
[2008年11月03日(月) ]
皆さんが一番多く活字に触れているのは、教科書やパソコンではなく、携帯電話かもしれませんね。
僕の世代の少し前くらいに携帯電話が普及してきて、学校には携帯持ち込み禁止というような話もありました。今はもう、そんなこと言ってもしょうがないくらい殆どの人が持っているのではないでしょうか。
メールの活字は、基本的に口語だと思いますが、打つスピードが遅いので誤変換などはブログなどより少ないのかもしれません。それに打つ相手や状況によっては大変な長文になることもあるので、活字に慣れる練習にもなります。僕は今も1000文字近い長文メールをやりとりして議論する友人がいます。内容は雑談から学問的議論まで幅広いですね。電車などで時間が空いたときにチマチマ返信を書いていく感じでやっています。
話が逸れました。
メールの活字についてですが、書籍で目にするものと一番違うのは絵文字顔文字の使い方です。僕は殆ど使いませんが、中学生ぐらいだとめちゃくちゃ絵文字を使いまくる人を結構見かけます。やりすぎて読みにくいのは勘弁してほしいものです・・・
絵文字は多くの情報が伝わります
…が、そればかりに頼っていると微妙なニュアンスを文章だけで伝えることができなくなってきますので気をつけてください。
[2008年11月01日(土) ]
ネットの活字に触れるときに注意しなければならないこととしては、読みやすいように工夫され「すぎて」いるということです。難しい言葉ではリーダビリティなどと言うのでしょうか。
つまりどういうことかというと、インターネットでは、重要な情報は太字になったり、色がついたりするので、なんとなく眺めているだけでも頭に入ってくるようになっているのです。
普通の教科書や新書ではせいぜい太字か斜体、がんばって下線程度でしょう。まあ二色刷りなら赤文字とかはあるかもしれませんが。
でもインターネットでは、特大の文字で強調したり、文字をスクロールさせたりすることもできるし、更に細かく説明したい単語にはリンクを張ればよいし、画像も簡単に埋め込めるようになっています。
多分これからどんどんそういう風になっていくのかもしれませんが、今ある本や新聞は、均一の大きさのフォントがべたっと並んでいるだけなので、インターネットみたいなアクセントになれると、読みにくく感じてしまうかもしれないのです。
[2008年10月31日(金) ]
インターネットの文字情報には注意が必要だと昨日書きました。
それは、まず誤変換が非常に多いということです。
キーボードの変換キーを押しているだけなので、漢字の誤変換は手書きより遥かに多くなります。また、書いた記事をすぐに発信できるので、見直して、訂正されることが期待できません。また一度公にしてしまうと修正ができないし、ま、誤変換ぐらい皆分かっているだろうという暗黙の了解があるので大して大きな問題にはなりません。
現にこのブログでも、急いで書いて見直しができなかった記事などは漢字の誤変換が多く混じっています。そしてシステムの都合上修正ができないことになっています。僕は誤変換を気にするし、公に出すものについてはもう少し責任を持ちたいのですが、そこらへんは大人の事情、推して知るべし、ということらしいです(苦笑)。
活字に慣れるといっても、間違って慣れてしまうのはよくありませんね。
[2008年10月30日(木) ]
昨日は読書の話が出て、活字に慣れることが大事という話をしました。
中学生の皆さんは、書籍以外で活字を目にするのってどういうときでしょうか?
まずこういうブログを読んでいる時点でパソコンでインターネットなどをしているとき、というのがありますよね。
インターネットは、最近は動画サイトも充実してきましたが、やはり基本は文字情報が基本です。(中学生諸君は画像読み込みも重かった初期インターネット時代のの苦労を知らないのか…)
中学生ぐらいだと学校やクラスで掲示板やチャットを開設したり、メッセンジャーで友達とおしゃべりするのでしょうか。僕もしていました。ブラインドタッチなどはそこで覚えたものです。
またブログも簡単に開設できるようになっているので、今はテキストサイトを作る技術が無くても情報を発信できるようになっています。そこで知識や経験の豊かな人たちがブログなどで纏まった量の情報を発信しています。
ウィキペディアみたいな事典も眺めているだけで面白いですよね。
そういう感じで、インターネットは恐らく一番文字情報が溢れています。そういう意味で活字に触れ、慣れるには一番とっつきやすい入り口だとも思います。だけど、気をつけなければならないことも沢山あるのです。続きは明日。
[2008年10月29日(水) ]
秋も深まり、だいぶ肌寒くなってきました。
そろそろ冬ですが、まだ秋ということで、読書しましょう!読書。
読書の大切さはブログでも何回か書いたことがあると思いますし、親御さんや先生にも口を酸っぱくして言われているのではないでしょうか?
斜め読みで多読乱読してもいいですし、音読してメモを取りながら精読するのもいいでしょう。どんな読み方でも読まないよりマシです。とにかく活字に慣れることが大事。
とりあえず分かりやすい新書あたりからとっかかるのがいいんじゃないでしょうか。そりゃ難しい本はいくらでもありますが、そういう本を読んだところで、いや、読もうとしたところで挫折するのが関の山です。
別に本は最後まで読まなければならないというルールはありませんが、どこに必要な情報がどれだけあるのかを理解しないままその本を放り出すのは意味が無いことです。
だからとりあえず読破できそうな薄い本からでいいので、手をつけてみて、どのへんが大事なのか、どういうことを言っているのかを読みとる練習をしたらどうでしょう。そのうち読書が楽しくなってくると思いますよ。
[2008年10月21日(火) ]
先々週ぐらいに近々引っ越すことを書いたと思いますが、そのため今は家の片付けに追われています。それで押入れをひっくり返していたら、昔使っていた教科書が出てきました。
上京しての一人暮らしに何で大学の教科書なんか、と思うかもしれません。
確かに実際使うことは無かったのですが、持ってくるときは、
「バイトで教えるときに予習しよう」とか
「受験までにできなかった勉強を仕上げよう」などと考えていました。
だけど結局3年近く仕舞いこんだままでした。
3年経ってみると、社会の教科書はだいぶ訂正しなければならないな、と思いました。地理などではデータが全然違ってきますし、歴史も、新しい発見で覆された定説があるのです。理数系の教科書はそのまま通じるでしょうが。
そんな中で感動したのは、国語の教科書です。
現代評論文選という、高校3年のときに先生に配られてそれっきりだった教科書があったのですが、改めて読んでみると非常に面白い。昔は「何だか小難しいなぁ」と思っていたのですが、大学生にもなると良く分かります。
大学に入ってから纏まった長さの評論をじっくり読むということが減ったので、こういう国語の教科書、副読本的なもの、或いはオススメ・ブックリストに載っていたから買ったような本などは今になって読み返してみて関心・感動することが多いです。