科学と宗教・前編

[2008年03月12日(水) ]

今日明日は少し難しい話になるかもしれません。科学と宗教の関係です。

科学というものはそもそも、世の中の全てを一つの理論の元に説明してしまいたいという人間の欲望そのものです。なぜ朝が来て夜が来るのか、なぜ海は塩辛いのか…そんな簡単な疑問に答えるために、人間は大変な労力を積み重ねてきました。それが科学です。

それにはこういう理論が考えられていて、実験の結果どうも確からしい、だから多分その理論どおりに動いている。実験で予想とは違う結果になったら、理論が間違っていたのか、実験の仕方が悪かったのか、そこから検討しなければなりません。

科学の体系は、そうした地道な作業の積み重ねです。

それでも、いや、それだからこそ、科学には限界があります。
キリがないのです。

物質の最小単位は、昔は火とか水、空気などと考えられていました。いまや、分子や原子より小さい単位も考えられています。そのクォーツという単位を研究している人が、クォーツの解明が進めばそれより更に小さい単位の研究が始まる、と語っている記事を読んだことがあります。

なぜ?どうして?
それはこうだから。
じゃあそれはなぜ?
以下繰り返しです。

小さい子供は、こんなやりとりをして大人を困らせることがありますが、良い科学者はきっと、こういう心を大事に持ち続けた人なのでしょうね。

実験

[2008年03月11日(火) ]

中学生になると、理科の実験がずいぶん本格的になります。
小学校のころは何かおもちゃのようなキットを配られて、教室で組み立ててハイおしまい、という感じだったと思います。中学ではわざわざ理科室に行って、フラスコとかビーカー、顕微鏡が並ぶ中、暗幕を下ろし、さて実験と言う感じで、子供心にワクワクしたのを覚えています。

機械をいじったり、顕微鏡をのぞいたりすることに興味を持っているなら、何か一つ、いいものを買ってあげると良いと思います。顕微鏡なり、半田ごてなり、長く使えるものを買ってあげれば、自ら進んで勉強や実験するようになるかもしれません。

僕の友達にMという男がいます。
彼は東工大にいるバリバリの理系なのですが、中学のときから色々いじるのが好きでした。僕も彼と一緒に初歩の電気工作のようなことをしたこともあります。そのときは使い捨てカメラや携帯電話を分解したりして満足していましたが、今彼は、PCは自分で組み立てて、中のソフトも全部自分で入れているし、バンドをやるときのアンプも自作のものです。僕は彼ほど進化していませんが、目下のところ、ノートPCの液晶を自分で修理しているところです。二人とも秋葉原によく出没します。笑

後々のことを考えれば、少し高くてもきっかけに投資するのもひとつでしょう。

りかけいのおとこ

[2008年03月10日(月) ]

今週は理科についてです。

社会もそうですが、理科も、勉強と実際の生活を切り離して考えると苦痛以外の何でもありません。苦痛でなければ、机上の空論であって、勉強のための勉強を強いられることは悲劇です。

やはり普段から、理科的な素養というか、好奇心の芽というか、そういうものを外に向けるようにしていく必要があると思います。

例えば新聞の天気図を見て、「これが温帯低気圧であれが熱帯低気圧で…」などと予想ゲームをしてみる。例えば春の七草粥を食べるときに一緒に料理する、できればスーパーで実物を一緒に探す。夏には夜空を見て星座を探し、救急車が過ぎればサイレンの聞こえ方が変わるのを聞く。
身の回りのほとんどのものは、ちょっと考えれば不思議がいっぱいです。
どんどん外に目を向けましょう。

僕は、「どうして空が青いのか。どうして夕焼けは赤いのか」ということについて説明できるようになったときに、大きな感動を覚えました。今まで何となくそんなものなのだろうと思っていたことに、ちゃんと理由があったと知ったときの達成感は他では得がたいものです。TVアニメの名探偵コナンで、真犯人とトリックが分かったときに頭に走る、あのピキュイーンという電流のような感じといえば、分かってもらえるでしょうか。笑

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