[2008年10月09日(木) ]
いや〜、嬉しい驚きでしたね。
日本人が3人ノーベル物理学賞を受けました。
南部陽一郎氏、小林誠氏、益川敏英氏。
新聞などを見ている限りでは、昔から候補候補と言われている方々だったらしいのですが、本当に受賞して本人も驚いていたようですね。
凄いですね。
ま、またテレビや新聞はノーベル賞一色のお祭り騒ぎになるのでしょうが、こういうめでたい話の時にはまあまだいいかな、と思ってしまいます。
日本のノーベル賞は物理学や化学などに集中しているのですが、日本が技術立国として発展できたのも、こういう科学者の方々に負うところが大きいと思います。
中学生の諸君も、明日の日本、そして世界を変えるような研究を目指してみてはいかがでしょう。ロマン溢れる世界ですね。
[2008年08月30日(土) ]
最近天気が不安定ですね〜
季節の変わり目なんてだいたいこんなもんですが、どうしてこうなるのか考えてみたことはありますか?
天気予報は新聞でもTVでもケータイでもネットでも街角の電光掲示板でも知ることが出来る世の中になったので、そんなの考える必要ないよと思う人もいるかもしれませんが…
天気の話が中学一年生の理科で出たかどうかは詳しく知りませんが、仕組みを知っておくと、雲の形、風の向き、空気の感じなどで大体の天気の動向が分かるようになります。
一歩進んで新聞やTVの天気図が読めるようになると、そうした雲や風が何の現象なのかが分かるようになります。
天気の話題なんて大概平凡ですが、暑い寒いだけじゃなくて、「低気圧が」とか「揚子江気団が」とか言えたらちょっとカッコいいと思いませんか?…カッコよくないですか、そーですか。
[2008年08月12日(火) ]
昨日は家で植物を育ててみては、という話でした。
上京してからは庭とか縁がありませんが、実家では、小さな庭でこじんまりと色々な植物を育てていました。
この狭苦しい東京にいると、たまには家庭菜園や、個人農業などに憧れることもあります。
自分で作った物を自分で食べる。
大根とか人参とかはむずかしいかもしれませんが、プチトマトくらいならできるかな〜
最近の化学肥料で育てられた野菜は、やれ水っぽいとか味が薄いとか言われています。僕は食べ比べたことはないので本当のところどうか分かりませんが、自分で作った野菜は何よりも美味しいだろうと思います。
親御さんが家庭菜園でもやっているのであれば、そこで食べれるものを育ててみてはどうでしょうか。
[2008年08月11日(月) ]
皆さんの家には庭はありますか?
東京のマンション暮らしなどであれば厳しいかと思いますが、たいていの家には少しくらいなら庭的なスペースが設けられているのではないでしょうか。
もし庭などなくても、ベランダなどに植木鉢を置いたりしていませんか?
今日は家で植物を育てる話です。
小学校の夏休みなどは朝顔の観察記録などが宿題に出たかと思います。
中学校になったらあまりそういう機会はないかもしれませんが、夏休みで時間があると思うので、何か育ててみてはどうでしょうか。
自分で育てる暇がない、スペースがないなら、家族が育てているものを見るとかでも良いのですが、この時間を利用して植物に実際に触れる時間を増やしてほしいのです。
まぁ日夜山林を遊びまわるような田舎にいる人には余計なおせっかいかもしれませんが、中高一貫校だと大体都会的もやしっ子になるという偏見が僕にはあるのです(笑)
[2008年07月25日(金) ]
夏休みシリーズ、今日は理科について。
夏休みは時間があるので、時間のかかる実験などを試したり、夜空の星の観察などをしてみてはどうでしょうか。
宿題?
そんなものは適当で。
と言っては誤解されるかもしれませんが、夏休みの理科社会の宿題は、勿論継続的にやるのが一番良いとはいえ、僕はまとめて片付けてしまうほうが好きでした。
大学受験が終わった立場から言わせて貰うと、勿論知識は重要なのですが、それ以上に体験が重要なのです。
双子葉だの単子葉だの、図鑑の写真と教科書の一覧表で100種類暗記するより、実際に近くの公園で20種類を見つけて触れて覚えるほうがよっぽど良い。
夏休み明けの確認テストでは引篭もってがり勉していたほうが点数は取れるかもしれませんが、長い目で見たら、あまり意味のないことです。すぐ忘れるだけだから。
そんなことより体験→感動に裏付けられた知識のほうが百倍覚えているし、応用も出来るのです。
だから理科社会に関しては宿題は一気に片付けて、実際に色々なことを体験する機会を増やしたほうが良いでしょう。
[2008年05月01日(木) ]
僕は理科が苦手でした。
化学や地学、物理は寧ろ得意でしたが、生物が苦手でした。
生物でも遺伝とか人体組織とかは得意でした。
では何が苦手だったかと言うと、自然です。
特にどんな植物がいつごろの季節に咲くのか、どんなところに生えるのか、どんな風に育つのか…そういったことを全然知らなかったのです。
正月には(春の)七草がゆ食べましたか?
七草全部言えますか?
せり、なずな(ぺんぺん草)、ごぎょう(ははこぐさ)、はこべら(はこべ)、ほとけのざ(こおにたびらこ)、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)。
春の七草なんて言われても、僕は全然ピンときませんでした。
これは普段から自然に慣れ親しんでいなかったからだと思います。
通学途中の植え込みや、庭に咲いた花をもっと気にして見てみれば、肌で季節感を受け取れるようになっていたでしょう。
今は温室があるので一年中どんな野菜果物でも食べられますが、季節の、つまり旬の食べ物は本当においしい。魚でも同じです。旬の魚は本当においしい。
こういうことが実感できるようになったのは、恥ずかしながら大学生になってからです。
もっと中学生のときから、季節の移り変わりに敏感になっておけば良かった…
せっかく四季豊かな日本に住んでいるのだから。
こんな風流なことを知らずに生きてきた自分が情けないです。
みんなは後で後悔しないように、肌でも、舌でも、季節を感じてみてください。
[2008年03月14日(金) ]
よくテレビの特番で、幽霊がどうの、超能力者がどうのとやっています。
そこには肯定派のジャーナリストや目撃者とセットで、否定派の科学者がゲストに呼ばれています。彼らは霊魂や超能力を頭から否定することがありますが、本当のところどうなのでしょう。
昨日、科学は仮説だと書きました。
もっと正確には、「現時点で、限りなく確からしいと考えられている」仮説なのです。
幽霊や超能力者、宇宙人は存在しない、これは科学ではありません。
本当に科学的には、幽霊や超能力者や宇宙人は、確認されていない、あるいは、現象としてそれらしいものは知られているが、それを説明できる段階にない、と言うべきです。
いるわけがない、あるはずがないと頭ごなしに否定するのは、科学万能主義と言う名前の宗教の熱心な信者だと言っているようなものです。
こう考えると、実在する可能性がぐっと増えたみたいで面白いですね。
とはいえ、科学で説明できるようになったら、それはそれでロマンのない話になってしまうような気もします。カマイタチ現象は、つむじ風が一部真空状態になることで起こると考えられていますし、金縛りは疲労などによる筋肉の硬直と言われたりしますが、妖怪や幽霊の仕業だったほうが面白いのではないでしょうか。
[2008年03月13日(木) ]
昨日は科学について書きました。
世の中の仕組みに説明を与えようとする点では宗教も科学と似ていますが、アプローチが全く違います。それは簡単で強力な方法、つまり「神様がそう作ったから」「そういうものだから」というもので、それより奥へは進めない。どうして神様がいるのか、神様は何でできているのか。そういう問いは黙殺されるでしょう。後は信じるしかありません。
別に宗教の価値を否定するわけではないです。
でも、科学と宗教は相容れないものだとは思います。
違いをはっきり認識しておかないと混乱するし、時に衝突するでしょう。
コペルニクスやガリレオ・ガリレイの科学(地動説)は、ローマ教会の宗教(天動説)に迫害されましたし、進化論を唱えたダーウィンも、同じく教会に非難されました。
偉い科学者のポパーという人が言ったことですが、反証可能性があって初めて科学といえるのです。反証可能性と聞くと難しいですが、要は、それを間違いだと言うことができる理論が科学なのです。中世の錬金術は、否定されるまでは立派に科学でした。
これはどういうことかというと、科学の理論は全て仮説ということなのです。
一方宗教は、否定される可能性がない。信じるか、信じないかの二択です。
この違いは、どっちがいいとか悪いとかではなく、本質的に重要なことです。
中学一年生には早すぎるし難しすぎたかもしれませんが、頭の隅にでもとどめておいてくれると嬉しいです。
[2008年03月12日(水) ]
今日明日は少し難しい話になるかもしれません。科学と宗教の関係です。
科学というものはそもそも、世の中の全てを一つの理論の元に説明してしまいたいという人間の欲望そのものです。なぜ朝が来て夜が来るのか、なぜ海は塩辛いのか…そんな簡単な疑問に答えるために、人間は大変な労力を積み重ねてきました。それが科学です。
それにはこういう理論が考えられていて、実験の結果どうも確からしい、だから多分その理論どおりに動いている。実験で予想とは違う結果になったら、理論が間違っていたのか、実験の仕方が悪かったのか、そこから検討しなければなりません。
科学の体系は、そうした地道な作業の積み重ねです。
それでも、いや、それだからこそ、科学には限界があります。
キリがないのです。
物質の最小単位は、昔は火とか水、空気などと考えられていました。いまや、分子や原子より小さい単位も考えられています。そのクォーツという単位を研究している人が、クォーツの解明が進めばそれより更に小さい単位の研究が始まる、と語っている記事を読んだことがあります。
なぜ?どうして?
それはこうだから。
じゃあそれはなぜ?
以下繰り返しです。
小さい子供は、こんなやりとりをして大人を困らせることがありますが、良い科学者はきっと、こういう心を大事に持ち続けた人なのでしょうね。
[2008年03月11日(火) ]
中学生になると、理科の実験がずいぶん本格的になります。
小学校のころは何かおもちゃのようなキットを配られて、教室で組み立ててハイおしまい、という感じだったと思います。中学ではわざわざ理科室に行って、フラスコとかビーカー、顕微鏡が並ぶ中、暗幕を下ろし、さて実験と言う感じで、子供心にワクワクしたのを覚えています。
機械をいじったり、顕微鏡をのぞいたりすることに興味を持っているなら、何か一つ、いいものを買ってあげると良いと思います。顕微鏡なり、半田ごてなり、長く使えるものを買ってあげれば、自ら進んで勉強や実験するようになるかもしれません。
僕の友達にMという男がいます。
彼は東工大にいるバリバリの理系なのですが、中学のときから色々いじるのが好きでした。僕も彼と一緒に初歩の電気工作のようなことをしたこともあります。そのときは使い捨てカメラや携帯電話を分解したりして満足していましたが、今彼は、PCは自分で組み立てて、中のソフトも全部自分で入れているし、バンドをやるときのアンプも自作のものです。僕は彼ほど進化していませんが、目下のところ、ノートPCの液晶を自分で修理しているところです。二人とも秋葉原によく出没します。笑
後々のことを考えれば、少し高くてもきっかけに投資するのもひとつでしょう。