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中学コースのヘルプサービス(質問回答サービス)に携わる学習アドバイザーとその周辺スタッフです。
日々、和気あいあいと楽しく、それでいて真摯に仕事に取り組んでいます。

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古典という「ドラマ」のジャンル 〜氷室冴子が遺した作品から垣間見る千年前の日本〜

[2008年07月17日(木) ]

「高彬のバカっ!死んでやる!」
と叫ぶ大臣家の姫あれば
どうせぼくはお坊ちゃんだよ
と頬を膨らます公達がいて、
「わたくしの座右の銘は『人を見たら泥棒と思え』ですのよ。」
と涼しく笑う宮姫までいる(オイオイ

つい先日、氷室冴子さんが亡くなった。享年51歳だったという。まずは最初に、氷室さんのご冥福をお祈りしたい。

今こうして、曲がりなりにも私が「文学」あるいは「国語」というものに対して日々あーでもない、こーでもない、とやっているのは、間違えなく氷室作品のおかげだろうと思う。

彼女の持ち味は「なんて素敵にジャパネスク」「ざ・ちぇんじ!」に代表される、古典パロディだろう。
「古典」というと「何が書いているのかイマイチわからない小難しいこと」というように考えてしまうのは、今も昔も変わらない多くの日本人が(失礼)共感するところではないだろうか。

しかし、ちょっとよく考えてみれば、千年前の人間だって同じ人間で、

叫びもすれば

頬も膨らませるし

妙な人生観を持っている

こともあるだろう。

当たり前のことなのだが、机の上で古文のテキストを開いていてもなかなかそこに気づけない。

だが、氷室作品では一風変わったというというか、
余りある個性を武器に
好き勝手に人間している姫や貴族が、私たちを無理矢理巻き込もうと本の中から騒ぎ立てる

冒頭に挙げた例はあくまでほんの一部にすぎない。もっと破天荒で、

「自分も一緒に飛び込みたい」 

そう思わせるトラブルを彼女たちはしでかしてくれる。
その一方で、時に救いきれないものがあり、どうしようもない立場に縛られる彼女たち。
その苦悩や無情さは多くのドラマを生み、千年前に生きるということを私たちに「体感」させてくれる。

そんな魅惑の氷室作品では、当時の風習や和歌についてもしっかりとした時代考証がなされている。
読み終わる頃には、アニメやドラマの設定のように、
思わず他の人に説明したくなる当時の「常識」。
そうした「常識」は古典の知識として、テストなどでも十分通用するというのだから嬉しい
一口で二度、三度オイシイとはこのことだろう。
我が家の「ジャパネスク」はボロボロになっても読まれ続けている(現在進行形)。

ぜひ、中学生の皆さんにおすすめしたい作品であるがどうだろうか?

そして、「ジャパネスク」や「ざ・ちぇんじ」に物足りなくなったら、改めて本物の古典を読み直してみてほしい。最初は現代語訳などでも構わない。今まで見えづらかった、より私たちを突き動かす一人一人の「想い」を、触れるように感じることができるはずだ。
本来の古典作品にこそ、氷室作品と同じように、あるいはそれを上回る生き様が刻まれている。

様々な人と人が交わり、ドラマが生まれる。

それが古典作品となって長い間愛されてきた。
氷室さんはそのことを伝えるために、魅力的な扉を作ってくれたのだと思う。「小難しい」という壁を少しだけ溶かし、私たちに中身をそーっとのぞき見させてくれているのだと思う。

ところで、作中で帥の宮がこのような例えを使っている場面がある。

「栗は苦労して刺を取り除いてみれば、実はとても美味なもの。今回のお話も、悪評や風評という刺を苦労して取り除いてみれば、案外中身は素敵かもしれませんね」
                        (なんて素敵にジャパネスク3/集英社)

この例えを、そのまま古典文学にあてはめたい。

(そーいち/国語)