Z会中学コースには、日々、会員・保護者のみなさまから様々な学習相談や質問が届きます。
このブログは、そんな学習相談にお答えする「学習アドバイザー」の日々をつづったブログです。
(ブログの「コメント」からの学習に関する質問にはお答えできません。ご了承ください。
また、コメント・トラックバックは承認制となりますので、公開までお時間をいただきます。)
[2008年11月06日(木) ]
こんにちは

国語の学習アドバイザーのポメ子です
私は今年の夏休みにねぶた祭り・竿燈祭りを観に、初めて東北へ行ってきました
ねぶた祭りは、紙や針金などで作った大きな山車を数人でひっぱり、「ラッセラー」などの掛け声などをかけながら商店街を練り歩くという青森県のお祭りです。
そして、竿燈祭りというのは提灯をいくつもつけた竿をまっすぐ上に挙げ、額に乗せたり、肩に乗せたりと各々がすごい技を見せながら倒さないように歩くという秋田のお祭りです。東北の3大祭りのうちの2つなので、行ったことのある人や、知っている人も多いのではないでしょうか
(ちなみにあともう一つは宮城県の仙台七夕祭りです!)
さて、この東北の3大祭りですが、毎年かなりの人気で自分で宿と新幹線の両方を確保しようとすると、かなり大変らしいです
そのため今回はツアーに参加することにしました。
私が今回のこの旅行に誰と行ったかというと・・・父と2人で行ってきました!
実は、私は普段はごく普通の女子大生です。大学生の女の子が父親と2人で旅行なんてめったに行きませんよね
そんな変な組み合わせだから、多くがおじさんおばさん、または家族連れのツアーの人たちの中では、私達はかなり浮いていました
帰りのときのことです。仙台駅に移動しているとき、少しの自由時間がありました。私は少しの間席を外していたときがあったのですが、その間近くに座っていたおばさんが父と会話をしていました。そして戻ってきた私を見て、おばさんはおそるおそる尋ねてきました。
「あの・・・・奥様ですか?」
と!!!!
父は私達2人を見た他の人が、「どんな関係なんだ!?って思われているかもね。」などと旅行中で言っていましたが、私はまさか本当に親子以外に見えるのだということに驚きました。最近は年の差がある夫婦もいらっしゃいますが、自分がそう見えたことなんて考えたことありませんでした
おばさんは、私達が「親子です。」と言うと驚いていました。父が若く見えたらしく、私みたいな年の娘がいるようには見えなかったようです。旅行中どんな関係なのか気になってたけど、聞いて良いものかと思っていたのだそうです。
父は「俺もまだまだいけるな!」と喜んでいましたが、私はちょっぴり複雑です。もちろん父が若く見えたということは嬉しいのですが、父親と恋人に見えるっていうのはちょっと・・・ねぇ??笑

中学生位の頃は思春期ですから「親なんて」と思ってしまうこともある年頃だと思います。
・・・が!!今しっかり勉強させてもらえて、元気でいられるのは親の存在があってこそです。大事な存在であるご両親、兄弟など家族を大切にしていこうという気持ちは持っておけると良いですね
ちょっと最後にまとめてみました。(無理矢理だったかも?)

(ポメ子/国語)
[2008年10月23日(木) ]
福耳です。はじめて
書きます。どうぞよろしくお願いします。
国語・作文担当なので、いつも会員さんに「文章の書き方」のアドバイスはしているわけですが、いざ自分が書こうと思うと気が引けてしまいます
。
Z会の作文は入試対策
が目的ですから、まったく自由に書くような課題はありません。
何かテーマを与えられて、字数制限や構成例にそって書きます。文体や原稿用紙のルールもあります。つまり、いろんな条件や制限があるわけです。その一つひとつをクリアするためには練習が欠かせません。自分の手で、時間をかけて技術を身につけていくのです。何かと忙しい中学生にとっては
大変なことです。
でも、条件や制限を与えられて書くというのは、楽なことでもあります。たとえば料理
を作ろうというときに、どんな食材も器具も使えて、いくらお金がかかっても良いとなると、かえって何を作っていいか分からなくなりますね。それと同じで、入試作文は手がかり
があってこそ取り組めるし、その完成度を公平に
評価することもできるのです。
一方で、ブログはどうでしょうか? これは作文に比べるとかなり自由
ですね。テーマは自分で決められますし、字数や構成もとくに決まっていません。文体のルールもありません。しかも、それがそのまま不特定多数の人に読まれるというのは、本当に自由です。21世紀になって急速に広まったこのメディア
には、作文とは別次元の魅力があると思います。完成度よりも混沌を楽しむような・・・。
でも、やはり、だからこそ
ブログは難しくもあります。確かに書くのは自由ですが、それがしっかり読まれて、読まれ続けるためには、いろんな工夫も必要になります。本や雑誌に比べて、ネットやブログはとても茫漠としています。たとえ書くのが一人でも、誰がどう読むかには無限の広がり
があって、そこに魅力も危うさもあるわけです。そういう現実をふまえて、面白くて分かりやすく、次も読みたいと思える内容で・・・と真面目に考え出すと、つい頭を抱えてしまうのです
。
そして、ブログの存在が当たり前になっているような現代の環境は、私たちの「読み方・書き方」や「考え方・感じ方」そのものに大きなインパクトを与えています。このことは、国語・作文という科目のあり方も変えていくのかな
と考えています。
(国語/福耳)
[2008年10月09日(木) ]
「なんでこんなに薄い関係なんだろう
」
そう、眉をひそめてしまいたいことがある。
思い返せば、自分が小学校の頃、放課後は近所の友達と遊びに行く機会が多かった。中学校になっても授業や部活動で毎日会う友達がいた。高校でもやはり学校に行けば誰かいる、そんなことが当たり前だったと思う。
もちろん、私立、公立、国立と、通っている学校の事情や、それぞれ地方ごとの事情によって、友達の家が近い、遠いといった差はあるかもしれない。でも、おおむねそのころの「友達」と言えばほぼ毎日会う存在、というイメージなんじゃないだろうか。
だが、大学からはその事情が少し異なってくる。まず、クラスという概念がない。クラスというものがあっても、クラス全員が同じ授業を受けるということはあまりない。だから同じ人と毎日会うことなどほとんどなくなる。行動範囲も広まり、自分の「顔
」が増えてくる。
授業を受ける時
バイトをしている時
サークルにいる時
それぞれ自分と接するメンバーは総入れ替え。同じ人と同じ時間を過ごすこともなくなれば、すべての「顔
」を知る友達など、一体何人、いや、どこにいるのだろう
そしてさらに社会人へ。もう日々の生活が忙しくて、毎週会うことはおろか、毎月会うということでさえも、ままならない状況になる。この歳で「毎週会う子がいるんだよ。」と言えば
「すは恋人
か親友
か
」
と言われること間違えなし。そんな日常に。そうは言っても職場の人がいて、その中にも友達がいるだろうし、何か問題あるの? と、多くの人は言うのだろうか。
でも、と思う。疑問に思うことは不思議なことだろうか。
「毎日会わなくなることが当たり前」
なんて、とっても重大事件なんじゃないだろうか
とはいえそれでも寂しくてどうにかなる、というわけじゃないのだから人間って不思議だ

私がここで言いたいのは「毎日会える」「毎日話せる」というのはとても贅沢なことで財産なんじゃないのかなあ?ということなのだ。
「なんだ説教か、そんな言葉聞き飽きたよ。」と思うかもしれない。
でも、実際今の私はそのことがすごく羨ましい。そしてふと、
「いつの間にこんなに人間関係の密度が薄くなったのだろう
」
とふと首を傾げたくなり、友達と話す時間、遊ぶ時間を大切にしなきゃ、と素直に言えるようになるから不思議なものだ。
何度も言うが、だからといって「友達を大事にしなさい」としかめっ面で言いたいわけではない。でも、「そんなもんなんだなー」ってことを、ちょっと頭の片隅に入れておくと、何かが変わるかもしれないよ。とふと過去の自分にこっそり耳打ちしてみたくなり、とりとめもなく書いてみた
「なんだ独り言か。」そう、独り言なんです。スミマセン
でも、やっぱり
「会いたい時に人に会いたいなぁ。
」
と、思わず声に出したくなる。
国語/そーいち
[2008年09月25日(木) ]
どうも! 国語のアドバイザーのぼぼです。
さて、僕の周りではよく誕生日を祝います
。5人のグループで誰かの誕生日が来るたびにドンちゃん騒ぎをします。
誕生日を祝うときには、ホールのケーキを買います(男のみでケーキ屋さんにいくのは恥ずかしかったですが、もう慣れっこです)。もちろんロウソクもお願いしますし、プレートに名前を書いてもらいます。そして、プレゼントを買って、お店にてみんなでお祝いします。
ではここで、みなさんにも役立つ(?)プレゼント
の話をしたいと思います。
みなさんも、時には誰かに何かを贈ることがあるかもしれません。いや、将来的に必ずあるでしょう。
そんなときに、覚えておいてほしいことは、まじめなプレゼントと共に不真面目なプレゼントを渡すと効果的だということです(もちろん時と場合に気をつけてふざけてください)。
ちょっと言い方が悪かったですかね・・・。質よりも数で勝負! 的な発想も時には必要です。サブプレゼントの重要性とでも言うと少しはかっこいいかもしれません。
ぼくらの場合、サブプレゼントとしてたとえばこんなものをあげました。
○ラーメン缶(たまたま目に入ったので)
○課長島耕作ステッカー(たまたま目に入ったので)
○「さとみ」と書いてあるストラップ(石原さとみ好きな友達が
いたから)
○無限プチプチ(押すと百回に一回メイドさんの声がします)
○万歩計(興味があると口を滑らせてしまったため)
○スイカ割りセット(夏が近かったから)
などがありました。ここにはご紹介できないようなものも、まぁ、あるかもしれません
みなさんも誰かに何かを贈るときには、まじめなプレゼントとサブプレゼント! これを覚えておいてくださいね。
ふざけすぎて怒られても責任はとりませんよ〜。
(国語/ぼぼ)
[2008年09月11日(木) ]
ちょっと前の話。


今春、引っ越しをした。マンションの5階の部屋で、窓からの見晴らしも良い。けっこう気に入っている。でも、しばらくすると、ある問題に気づいた。なんと先住者がいたのだ。
先住者は、毎朝ベランダにやってきた。窓際で騒ぎ立てては、私の目を覚まさせる。たまらずカーテンを開けると、彼らは手すりや室外機の上で遊んでいる。ぐるぐる鳴いて、ばさばさ羽ばたく。その音がけっこう気になる。いや、この仕事で朝5時とか6時に起こされるのはキツイ。せめて目覚まし時計が鳴るまでは眠っていたい…
早朝の訪問は日ごとに増えていった。ベランダでの格闘が習慣になった。そんなある日、室外機のウラに卵を2つ発見した。真っ白な卵で、ウズラよりも大きくてニワトリよりも小さい。はじめて見たけれど、これは明らかに先住者、つまりハトの卵だ。
びっくりして写メールを撮った(画像が小さくて掲載できないのが残念)。ハトの生態をあれこれ調べてみると――
1)まちのハトは室外機のウラなど物陰に卵を産む
2)たいてい2個ずつ産む
3)寝床、産卵場所に決めるとその場所に強く執着する
※あとになって「白い建物+アンテナや鉄塔があるところを好む」と聞いた(←まさに我が家の隣がそう)
た、し、か、に…全部あてはまる…。 3)↑が恐ろしい。
周りは「卵を育てちゃえば?(ペット不可なのに?)」「食べちゃえ(!)(意味わからん)」など勝手に言っていたが、結局、大家さんにお願いしてベランダにネットを張ってもらった。
それ以来、ぱったり来なくなった。先住者はどこかへ引っ越してくれた。しぶとくやって来る! とか逆襲!! とかを恐れていたが、ふつうに賢い。そして案外デリケート。そういえば昔、巣づくりするハトを毎日家族で興味深げに見ていたら、卵置いて逃げたことを思い出した。
ふりかえってみると、ハトたちとは毎朝1か月以上も闘った。いまはひとまず安泰。
次回、vsカビ(梅雨以降はありえる)、 vs G(名前書きたくない)
――とはならず。新たな闘いはまたの機会に。
キャベツタロウ(国語)
[2008年08月14日(木) ]
みなさんどうもこんにちは。こんばんはの人も、おはようございますの人も、初めまして。国語科でアドバイザーをしています、はむ太郎と申します。
まとまらない文章を書くのが得意で困っています、長くなりますが許してくださいね!(*゚∀゚*)
普段の業務中はまだだいぶネコをかぶっていますが、何を隠そう私はミーハーです。
か な り ミ ー ハ ー で す ! (反復法)
特にスポーツ観戦が好きで、よくスタジアムに足を運ぶのですが、自分が座った側のチームを熱狂的に応援できるという得意技を持っています。
基本的に雑食ですが、あえて言うなら野球が好きです。あまりプロ野球は観ないので、皆さんの話に加われず悲しいのですが、野球は大好きです。(反復法)
草野球のスコアをつけられるくらいには詳しいです。(珍プレーが多いので)スコアは草野球のほうが難しいんですよ!
昨年夏、友達と連れ立って夜行バスを使い、阪神甲子園球場まで行きました。劇的な逆転ホームラン、佐賀北−広陵の試合を生観戦しました。なぜだか理由はよく覚えていませんが、広陵側のアルプスにいたんです、私たち。つまり佐賀北側のアルプスを反対側から見ていたということですね。
あのホームランの瞬間は、今でも鮮明に覚えています。
もはや大騒ぎとかそういうレベルではなくて、空気が、雰囲気自体が振動しているといったほうが正しかったかもしれません。やっぱり甲子園には魔物が棲んでいるとか思うより前に、涙が溢れて止まりませんでした。
いい年こいて集団でアルプスで号泣している姿が人の目にどう映るかは、この際気にしないことにします。(・ω・)
それ以来、ますますスポーツ観戦はいいなと思うのです。
なぜ私がスポーツに関してだけミーハーなのかなと考えてみたのですが、きっと選手の皆さんががんばっているからだと思うのです。彼ら・彼女らの身体におさまりきらなかった闘志が、私たち見ている者にも伝わる、だから心打たれるんじゃないかなと、個人的には思っています。
(ここから本題です!国語っぽいこと言います!)
人に安易に「頑張って」と言うのはどうだろうかという議論をよく耳にしますね。
「がんばる」という言葉、私は好きです。でも「頑張る」という言葉は好きではありません。
意味が分からないという方がいらっしゃるかもしれませんが、ひらがなか漢字か、の違いです。
学習アドバイザーを始めて、ヘルプシートやメールのお返事を書き始めたときに、「頑張る」は当て字だから「がんばる」を使いなさい、と指導を受けました。そうかがんばるは当て字なのか、と思った私は、「がんばる」の語源について調べてみました。
説そのいち:「我張る」が転じた。
説そのに:「眼張る」が転じた。
つまりは、「がんばる」とは本来、「自分が思うもの、信じたもの(目を見開いてしっかり見つめるもの)に向かってひたすらに突き進む」という意味があるのではないかなと思います。確かに「かたくな」という意味の「頑」を当てるのは間違いではありませんが、ただ単に「頑なに突き通す」という意味にしてしまってもいいのかなと、国語辞典を前に少し考えてしまいました。
「がんばってくださいね」ひとつでも、たくさん意味があります。何を信じ、何に向かって突き進むかは人それぞれだからです。ですから私は、「がんばる」という言葉を、さまざまな意味で取ってもらえたらいいなと思いながら、日々「がんばってくださいね」という言葉をかたちにしています。個々人が何を選ぶか、それに優劣などありません。皆さんにも、ぜひ「がんばれるもの」を見つけていってほしいと願っています。
で、このまとまらない話をいったい何で結べばよいかと考えたのですが……思いつかないので、ミーハーつながりでひとつ。
ミーハーで移り気な私でも、この学習アドバイザーのお仕事は楽しく続けられています。アドバイザー間の雰囲気はもちろん、皆さんの質問も大きな原動力となっています。ほんの少しの疑問でも構いません、皆さんの質問で、私自身も成長できているなと感じられることが、何よりやりがいです。
どうしても「学習アドバイザー」って、へのへのもへ〜みたいな人間を想像しがちですよね。
へ へ
の の
も
へ
ですが、電話の向こう、シートの裏側で、どんな人が質問に答えているのか、少しでも体温を感じてくれたらなと思います。このブログもそういう方向に活用していってくださいね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんのご質問、心からお待ちしています!(^ー^*)
(はむ太郎 / 国語)
[2008年07月31日(木) ]
こんにちは。国語の学習アドバイザーをしているポメ子です。
初めてのブログということもあって、少し緊張しながら筆を執っています
何を書こうかと迷ったのですが、今回のこのブログでは少し前に電車に乗っていたときに感じた心の葛藤を書いていこうかなと思います
少し前、私がZ会に出社するために電車に乗っていたときのことです。私の近くに赤ちゃんを連れたお母さんが乗車してきました。おそらく1歳くらいの赤ちゃん
だと思いますが、もう生まれてしばらくになるのでしょうか、赤ちゃんはつなぎのようなベビー服ではなく、カラフルな色味の王冠の絵柄の入ったTシャツを着て、ベビーカーに乗ってすやすやと眠っていました
そのとき、普通ならば「微笑ましい親子だなぁ
」ということを思うだけで、特に気にかかることは無いと思います。しかし、そのときは赤ちゃんの着ていた服が私の目に留まりました。その赤ちゃんは王冠の絵柄
の入ったTシャツを着ていたのですが、それは前日にふと見たニュースで取り上げられていたブランドのものでした。
みなさんは「ホルムアルデヒド」という物質の名前を聞いたことがあるでしょうか
ホルムアルデヒドとはTシャツなど衣服のプリントのインク溶剤に含まれる物質です。ホルムアルデヒドには肌に触れると炎症し、湿疹などの症状が現れます。
また、発癌性もあり人体には有害な物質なため、使用して良い濃度が決められているそうです。その王冠の絵柄のTシャツにはホルムアルデヒドが使用されており、ニュースでは最近ではあまり使われなくなっているというようなことも言っていました。
私はそのお母さんに「そのTシャツ、ちょっと前に有害物質が発見されたんですよ。洗えば大丈夫だそうですが、気をつけてください。」と、伝えようかと思いました
しかし、そういうことを言うのはいわゆる『おせっかい』ですよね。
それに、もし私がこのTシャツの話をしたとしても、知らない人にいきなり注意されていい気はしないでしょうし、そのお母さんの母親としてのプライドを傷つけてしまうとも思いました。
だから私はそのとき何も言いませんでした。いえ、言えませんでした

もしかしたら、そのお母さんはちゃんとTシャツを洗ってから着させていたかもしれません。しかし、このニュースを知らずに着させていて、今後赤ちゃんに湿疹などの症状が出て痕が残ったら・・・お母さんを責めるかもしれませんし、コンプレックスを抱えていくことになってしまうかもしれません。そう考えるとその場でするべき行動は、母親のプライドを優先することではなく、私が腹を立てられ、周りの人に白い目を向けられてでも伝えることだったんじゃないかなと思ってしまいます。
おそらくいろいろな物事を総括して考えてみると、大概の大人ならば私と同じ行動をするでしょう。しかし、何が一番大切なのかということを考えたら、それは赤ちゃんの健康を考えてあげることなのではないでしょうか
私はこのとき、自分に関係のないことに関しては、必要以上に口出ししてはいけないというような、暗黙の社会的ルールのようなものがもどかしいと思いました。
思ったことをきちんと発言する、それはとても大切なことです。
しかし、社会で生きていく上では社会的なルールが大切なのも事実です。
正しい答えというものは、個々の裁量次第で変わってきます。おそらくこのときの行動に正しい答えは無いのです。


身の回りを見渡してみると、普段の生活の中にもたくさんの考えるべきことが存在しています。この電車での出来事には、その事実に改めて気づかされました。
中学生のみなさんは私と同じ立場になったときどうするのでしょうか。少し考えてみてください
(ポメ子/国語)
[2008年07月17日(木) ]
「高彬のバカっ!死んでやる!」
と叫ぶ大臣家の姫あれば
、
「どうせぼくはお坊ちゃんだよ
」
と頬を膨らます公達がいて、
「わたくしの座右の銘は『人を見たら泥棒と思え』ですのよ。」
と涼しく笑う宮姫までいる(オイオイ
)
つい先日、氷室冴子さんが亡くなった。享年51歳だったという。まずは最初に、氷室さんのご冥福をお祈りしたい。
今こうして、曲がりなりにも私が「文学」あるいは「国語」というものに対して日々あーでもない、こーでもない、とやっているのは、間違えなく氷室作品のおかげだろうと思う。
彼女の持ち味は「なんて素敵にジャパネスク」「ざ・ちぇんじ!」に代表される、古典パロディだろう。
「古典」というと「何が書いているのかイマイチわからない小難しいこと」というように考えてしまうのは、今も昔も変わらない多くの日本人が(失礼
)共感するところではないだろうか。
しかし、ちょっとよく考えてみれば、千年前の人間だって同じ人間で、
叫びもすれば
頬も膨らませるし
妙な人生観
を持っている
こともあるだろう。
当たり前のことなのだが、机の上で古文のテキストを開いていてもなかなかそこに気づけない。
だが、氷室作品では一風変わったというというか、
余りある個性を武器に
、
好き勝手に人間している姫や貴族が、私たちを無理矢理巻き込もうと本の中から騒ぎ立てる


冒頭に挙げた例はあくまでほんの一部にすぎない。もっと破天荒で、
「自分も一緒に飛び込みたい
」
そう思わせるトラブルを彼女たちはしでかしてくれる。
その一方で、時に救いきれないものがあり
、どうしようもない立場に縛られる彼女たち。
その苦悩や無情さは多くのドラマを生み、千年前に生きるということを私たちに「体感」させてくれる。
そんな魅惑の氷室作品では、当時の風習
や和歌
についてもしっかりとした時代考証がなされている。
読み終わる頃には、アニメやドラマの設定のように、
思わず他の人に説明したくなる
当時の「常識」。
そうした「常識」は古典の知識として、テストなどでも十分通用するというのだから嬉しい
一口で二度、三度オイシイ
とはこのことだろう。
我が家の「ジャパネスク」はボロボロになっても読まれ続けている(現在進行形
)。
ぜひ、中学生の皆さんにおすすめしたい作品であるがどうだろうか?
そして、「ジャパネスク」や「ざ・ちぇんじ」に物足りなくなったら、改めて本物の古典を読み直してみてほしい。最初は現代語訳などでも構わない。今まで見えづらかった、より私たちを突き動かす一人一人の「想い」を、触れるように感じることができるはずだ。
本来の古典作品にこそ、氷室作品と同じように、あるいはそれを上回る生き様が刻まれている。
様々な人と人が交わり、ドラマが生まれる。
それが古典作品となって長い間愛されてきた。
氷室さんはそのことを伝えるために、魅力的な扉を作ってくれたのだと思う。「小難しい」という壁を少しだけ溶かし、私たちに中身をそーっとのぞき見
させてくれているのだと思う。
ところで、作中で帥の宮がこのような例えを使っている場面がある。
「栗は苦労して刺を取り除いてみれば、実はとても美味なもの。今回のお話も、悪評や風評という刺を苦労して取り除いてみれば、案外中身は素敵かもしれませんね」
(なんて素敵にジャパネスク3/集英社)
この例えを、そのまま古典文学にあてはめたい。
(そーいち/国語)
[2008年07月03日(木) ]
こんにちは、はじめまして。「ふらーまやー」です。どぞ・よろしく。
しばらく前の日曜のことです。その日わたしは、某首都圏古都で海沿いを走る電車に乗っていました。休日とあって車両は観光客で満杯。その中に、甲高い子供の声が響きました。
「ひちふくじんて何?」「ねえ何?」「ねえ・・」
尋ねられているのは、その子供をひざに抱いた母親らしき女性でしたが、疲れているのか、ぐったり座って目をつぶり、ほとんど相手にしません。
子供が騒ぎ出す少し前に、この親子の前に立っている年配者グループの方々が、この町の七福神めぐりについて話していました。それを子供が聴いていて興味を持ったのでしょう。なかなか根性のある(?)子で、かなりしつこく聞いていましたが相手にされず、しだいにぐずるような調子になり、しゃくりあげ、とうとう母親は怒ってしまいました。
「うるさい!まわりに迷惑でしょ! 静かにしなさい。みんな疲れているんだから。」



どんよりした空気が車両に流れたそのとき、年配者グループのひとりの女性が子供に話しかけ、説明を始めました。
「七福神ってのはね、七人の福の神のことだよ。私たちは、それを祭ってあるお寺をまわって拝みにいこうって考えてるの。」
見知らぬ解説者の登場に、始めはびっくりして黙ってしまった子供ですが、すぐに、
「ななにんのふくって、だれ?」「福の神って何?」「おがむって何?」
と、機関銃のような追加質問攻撃が始まりました。中にはその女性が答えに詰まるような質問もあったのですが、女性が困っているとグループの他のメンバーの方々が答え始め、いろいろな言い方での優しい解説が始まりました。
そうしながら幾駅かが過ぎて、やがて子供は、ほおっと大きなため息をついて満足したようでした。すべてに無事に答え終えたグループの方たちも満足そうで、疲れて怒っていた母親も、ていねいにお礼を言っています。車両は、なんともいえない、やさしい高揚感に満ちていました。
質問をする・受けて答えるという関係の、ある幸福な形がそこにはありました。あの経験があれば、あの子は「興味を持つ」ことの楽しさを信じていけるでしょう。
アドバイザーとして回答を考えるたびに、その日のことを思い出します。もちろん、皆さんは中学生で、自分で勉強をしているのですから、私たちアドバイザーは「答え」を教えるわけではありません。しかし、あのグループの方たちの豊富な知識と柔軟な対応をする精神力、あれを手に入れたいと、日々思っています。
ふらーまやー/国語