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[2008年07月01日(火)
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古文を読解するとき、
「わからない単語」は
次の2種類のどちらかであることが多いです。
@今、使われなくなったものや概念を表す「名詞」
御簾、几帳、方ふたがり
A今の感覚と違う意味で使われる「形容詞」
あさまし、はしたなし、をかし、あたらし
Aの形容詞。
形容動詞の場合も有りますが、
読み間違いしやすいところなので、
必ず理解する必要があります。
さて。
よく考えてみると社会背景によって
人の感じ方とか美観は変わるから、
「形容詞」が生まれては消えていくのって、
道理に合ってるのかもしれませんね。
現代でも、形容詞は生まれ続けてます。
たとえば、
「うざい」「いたい」「きもい」。
あいつうざいよね、いたいよね、きもいよね。
なんだか自己中心的で排他的なニオイのする単語が多いのは、
気のせいでしょうか?
近い将来、ぼくたちの時代に生まれた単語、
ぼくたちの時代を象徴する単語として語られるのが、
こんな単語たちであるとしたら悲しいなあ、って思う。
平安時代の文学がなぜ現代に愛されるか?
そのころ生まれた美意識や、
そのころの人たちの感性が、
今を生きる人たちにも心地よいからでしょう。
そして、あこがれるからでしょう。
そしてそれが「日本」という国に生きる自分たちにとって、
知っておかなくてはいけない感覚だから
古文を勉強すること、
意味があるのだと思います。
自己中心的、排他的な単語は、
ほんとは、日本人の語彙に少なかったと思うんだけどなあ。
をかし
はづかし
かたはらいたし
これらの単語から
プラスの意味が失われてきたことに
象徴されるものは何なのでしょうか。
自分も自己中心的で排他的になることが
もちろん有ります。
うざいと思う感覚も、
いたいと思う感覚も、
きもいと思う感覚も、
持っています。
今の時代に生きているから、理解できます。
でも、せめて、
昔の人から学ぶ美意識を
大切にしたいと思います。
蛇足ですが。
対象をほめるコトバとして
「萌える」というのが新しいコトバでありますが、
実は相手をほめてるんじゃなくて、
自分の状態を表してるコトバですよね。
「(あの人に私が)萌える」。
このへんも象徴的な気がします。
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