[2007年04月23日(月) ]
カート・ヴォネガットという作家を知っていますか? 最近では、爆笑問題の太田光さんがファンであるということで話題になりました。SF作家として出発し、後にはSF色の薄い作品もいくつか書いています。1960年代以降、アメリカで一時カルト的な人気を誇りました。そのカート・ヴォネガットが先日、4月11日に84才で亡くなりました。
何を隠そう、太田光がファンであるということで話題になる遙か以前から、わたしもヴォネガットのファンでした。ヴォネガットの存在を知ったのは高校生の終わりころでしたから、かれこれファン歴25年近くです。
彼の存在を知った当初はすでに何冊か文庫本で出版されていましたので、それを順番に読み進めていきました。大学生になるころには、すでに翻訳が出版されていた分は読み尽くしてしまい、新しい翻訳が出るのを楽しみに待っているという状態でした。
その頃に新たに単行本で出版されたのが『チャンピオンたちの朝食』です。早速買って読みました。それ以降は単行本が出版される度に、買い求めては読んでいったのでしたか。ほぼ日本での紹介をリアルタイムで追いかけていった作家です。
そうそう、ヴォネガットの複数の作品に出てくるキルゴア・トラウトというSF作家 もちろんヴォネガットの創り出した人物です。 名義で発表された、『貝殻の上のヴィーナス』という小説も苦労して探しだして読んだのでした。これはヴォネガットの作品ではなく、フィリップ・ホセ・ファーマーというSF作家がトラウトの名を借りて発表したものです。ヴォネガットは、自分の愛着を持っているトラウトの名前を勝手に使われたことにかなり腹を立てたという逸話が残っています。
そのせいかどうか、日本での翻訳も当時すでに絶版か品切れになっていました。読みたいなあと思いながら何年経ったでしょうか。ある日古本屋さんの百円均一のコーナーで、カバーもなく少しよれよれになった『貝殻の上のヴィーナス』を見つけたのです。
あの時の喜びは、角川文庫の『宇津保物語』の上巻と中巻を、古本屋さんのやはり百円均一本の入ったカゴの中から見つけ出したのと同じぐらい大きなものでした。え、それがどれぐらいの喜びかわからないですか。えーと、大学で平安朝の文学で卒論を書いた人に角川文庫版の『宇津保物語』の価値を聞いてみてください。下巻は欠けているものの、百円均一のカゴに入っていたのは、まあ、奇跡のようなものです。
ヴォネガットは、人間が不幸せな状態になりうること、あまりにも多くの人が実際に不幸せな状態に陥っていることに本気で心を痛めていたと言っていいでしょう。長編第一作の『プレイヤー・ピアノ』以来、一貫して彼の作品には不幸な状況にある登場人物の「失意」が描かれます。ヴォネガット自身が失意の人だったのかもしれません。
彼は第二次世界大戦中に、捕虜となっていたドレスデンで連合国の空爆を経験します。数万〜十数万人の死者が出たとされる猛烈な空爆です。彼はその経験を基に『スローターハウス5』という作品を書きますが、時間を自在に前後させる手法を用い、空爆も全体の物語の枠組みの中で断片的に語るという形をとっています。正面からドレスデン空爆を見据え、その愚かしさ、恐ろしさを強く訴えるというよりは、強烈な体験を自身の中で扱いかねているという印象を受けます。
『スローターハウス5』に頻出する「そういうものだ」というセリフは、そんなヴォネガットの心情にぴったりくることばだったのでしょう。このことばは、ドレスデンで限界を越えてしまったヴォネガットの「失意」、「諦念」を表しているもののように思うのです。
ヴォネガットは作品を書き続け、人類の愚行に異議を唱え続けました。ですから、文字通り「諦め」ていたわけではありません。しかし、彼の作品を読んでいると、どうもどこかドレスデンの空爆で止まってしまった時間が彼の中にはあるように感じられます。
先にも書いたように、彼は人間が不幸せな状態になりうること、あまりにも多くの人が実際に不幸せな状態に陥っていることに本気で心を痛めていました。そこには彼のドレスデンで止まってしまった時間が何か影響を与えているのだと思います。
人類の愚行に「良心の痛み」を感じ続けたヴォネガットは死んでしまいました。残念ながら人類の愚行はいまだに続いています。彼がおそらく夢に見ていただろう、「そういうものだ」と口にしなくてもいい世界は、いつ現実のものとなるのでしょうか。ドレスデンで止まってしまった彼の時間はまだ止まったままです。
[2007年04月17日(火) ]
耽読翫市というブログ名を標榜しておきながら、考えてみれば、あまり、というかほとんど本の話を書いていません。まさに看板に偽りあり状態です。
それではあんまりなので、今回はわたしの持っている本を紹介していきながら、和本の話をしましょう。
和本というのは、今わたしたちが単行本や文庫本として目にしている本ではなく、日本で古くから作られていた伝統的な本のことを言います。和紙と墨と糸と少量の布で作られます。例をあげましょう。こんな感じのものですね。
この「先哲叢談」は、江戸時代の有名な儒学者の逸話を集めたものです。新井白石や林羅山なども登場します。漢字を読み解くことを面倒がらなければ面白い本です。
「西洋夜話」に載っています。「西洋夜話」は、聖書時代からの西洋の歴史の概説書だと思ってください。純粋な翻訳ではないので、アダムとイブの説明部分にはイザナキ、イザナミの二神が飛びだしたりします。西洋の知識を日本風にアレンジした内容で、本の作りも和本なのですね。上の絵の載っているページの見開きはこんな感じになっています。[2007年04月09日(月) ]
[2007年04月04日(水) ]
ここ二回ほど、本欄は、マンガや「萌え」などZ会的にどうなんだろうという方向に向かっていました。ついでです。ウルトラマンメビウスについても書いちゃおうと思います。わたしは特撮ファンです。
残念ながらメビウスは先日最終回を迎えてしまいました。涙涙の最終回です。エンドロールを見ながらわたしは激しく泣いてしまいました。あまりテレビ番組で泣いたりしないのですが、メビウスはだめでした。欠かさず見だしたのが約二ヶ月前から。最終回までうるうるきっぱなしでした
実はわたしが見たのはこの一年間放映されたうちの十数回にすぎません。ほんとは全部を見た上でコメントすべきなのですが、何かを書かずにはいられない気分になっています。それぐらいメビウスは面白かったのです。わたしが変わっているわけじゃないですよ。わたしの大学の先輩であるウルトラ大先生は、去年からすでに涙腺ゆるみ状態が続いていたのです。さすがウルトラ大先生!