プロフィール

毎週木曜更新の予定です

関西の中高一貫校で
国語を教えています。
Z会の模擬試験作りなどの
お手伝いをしています。
趣味は登山、読書、音楽鑑賞
その他です。

最新記事
最新コメント
name
旧暦10/30 いんきん団 (2008年11月30日)
垂渓庵
旧暦10/16 先日脱糞 (2008年11月15日)
垂渓庵
旧暦9/11 大学授業星取り表 (2008年10月13日)
垂渓庵
旧暦8/26 ハーディと源氏物語 (2008年10月01日)
垂渓庵
旧暦8/19 高校のころ (2008年09月25日)
ゴンザレス
旧暦8/19 高校のころ (2008年09月21日)
垂渓庵
旧暦6/23 後悔 (2008年08月05日)

http://www.zkaiblog.com/jr06/index1_0.rdf

良心の痛み─ヴォネガットを悼む

[2007年04月23日(月) ]

カート・ヴォネガットという作家を知っていますか? 最近では、爆笑問題の太田光さんがファンであるということで話題になりました。SF作家として出発し、後にはSF色の薄い作品もいくつか書いています。1960年代以降、アメリカで一時カルト的な人気を誇りました。そのカート・ヴォネガットが先日、4月11日に84才で亡くなりました。

何を隠そう、太田光がファンであるということで話題になる遙か以前から、わたしもヴォネガットのファンでした。ヴォネガットの存在を知ったのは高校生の終わりころでしたから、かれこれファン歴25年近くです。

彼の存在を知った当初はすでに何冊か文庫本で出版されていましたので、それを順番に読み進めていきました。大学生になるころには、すでに翻訳が出版されていた分は読み尽くしてしまい、新しい翻訳が出るのを楽しみに待っているという状態でした。

その頃に新たに単行本で出版されたのが『チャンピオンたちの朝食』です。早速買って読みました。それ以降は単行本が出版される度に、買い求めては読んでいったのでしたか。ほぼ日本での紹介をリアルタイムで追いかけていった作家です。

そうそう、ヴォネガットの複数の作品に出てくるキルゴア・トラウトというSF作家  もちろんヴォネガットの創り出した人物です。  名義で発表された、『貝殻の上のヴィーナス』という小説も苦労して探しだして読んだのでした。これはヴォネガットの作品ではなく、フィリップ・ホセ・ファーマーというSF作家がトラウトの名を借りて発表したものです。ヴォネガットは、自分の愛着を持っているトラウトの名前を勝手に使われたことにかなり腹を立てたという逸話が残っています。

そのせいかどうか、日本での翻訳も当時すでに絶版か品切れになっていました。読みたいなあと思いながら何年経ったでしょうか。ある日古本屋さんの百円均一のコーナーで、カバーもなく少しよれよれになった『貝殻の上のヴィーナス』を見つけたのです。

あの時の喜びは、角川文庫の『宇津保物語』の上巻と中巻を、古本屋さんのやはり百円均一本の入ったカゴの中から見つけ出したのと同じぐらい大きなものでした。え、それがどれぐらいの喜びかわからないですか。えーと、大学で平安朝の文学で卒論を書いた人に角川文庫版の『宇津保物語』の価値を聞いてみてください。下巻は欠けているものの、百円均一のカゴに入っていたのは、まあ、奇跡のようなものです。

ヴォネガットは、人間が不幸せな状態になりうること、あまりにも多くの人が実際に不幸せな状態に陥っていることに本気で心を痛めていたと言っていいでしょう。長編第一作の『プレイヤー・ピアノ』以来、一貫して彼の作品には不幸な状況にある登場人物の「失意」が描かれます。ヴォネガット自身が失意の人だったのかもしれません。

彼は第二次世界大戦中に、捕虜となっていたドレスデンで連合国の空爆を経験します。数万〜十数万人の死者が出たとされる猛烈な空爆です。彼はその経験を基に『スローターハウス5』という作品を書きますが、時間を自在に前後させる手法を用い、空爆も全体の物語の枠組みの中で断片的に語るという形をとっています。正面からドレスデン空爆を見据え、その愚かしさ、恐ろしさを強く訴えるというよりは、強烈な体験を自身の中で扱いかねているという印象を受けます。

『スローターハウス5』に頻出する「そういうものだ」というセリフは、そんなヴォネガットの心情にぴったりくることばだったのでしょう。このことばは、ドレスデンで限界を越えてしまったヴォネガットの「失意」、「諦念」を表しているもののように思うのです。

ヴォネガットは作品を書き続け、人類の愚行に異議を唱え続けました。ですから、文字通り「諦め」ていたわけではありません。しかし、彼の作品を読んでいると、どうもどこかドレスデンの空爆で止まってしまった時間が彼の中にはあるように感じられます。

先にも書いたように、彼は人間が不幸せな状態になりうること、あまりにも多くの人が実際に不幸せな状態に陥っていることに本気で心を痛めていました。そこには彼のドレスデンで止まってしまった時間が何か影響を与えているのだと思います。

人類の愚行に「良心の痛み」を感じ続けたヴォネガットは死んでしまいました。残念ながら人類の愚行はいまだに続いています。彼がおそらく夢に見ていただろう、「そういうものだ」と口にしなくてもいい世界は、いつ現実のものとなるのでしょうか。ドレスデンで止まってしまった彼の時間はまだ止まったままです。

和本へのいざない

[2007年04月17日(火) ]

耽読翫市というブログ名を標榜しておきながら、考えてみれば、あまり、というかほとんど本の話を書いていません。まさに看板に偽りあり状態です。
それではあんまりなので、今回はわたしの持っている本を紹介していきながら、和本の話をしましょう。

和本というのは、今わたしたちが単行本や文庫本として目にしている本ではなく、日本で古くから作られていた伝統的な本のことを言います。和紙と墨と糸と少量の布で作られます。例をあげましょう。こんな感じのものですね。


元禄14年に出版された伊勢物語


こんなのも。


先哲叢談


こんなのもあります。


西洋夜話


最初のは、元禄14年(1701年)に出版された伊勢物語です。今からざっと300年前の本で、わたしの持っているものの中ではいちばん古いです。古いだけあってけっこうぼろぼろです。中身を見てみましょう。



ところどころに左ページのような挿し絵があります。本文はうねうねと続く字で書かれています。「続け字」と言います。たぶん読めない方がほとんどではないでしょうか。試しに右半分を拡大してみますね。



ちょっと見にくいかもしれませんが、二行目の和歌を今の字体に直してみます。

   おきもせすねもせてよるをあかしては春の物とてなかめくらしつ

どうですか。読めますか? こんな字を一昔前の人たちは普通に読んだり書いたりしていたのです。近代化の過程で日本には大きな変化があったことがうかがえますね。

ところで、このうねうねと続く字、筆で書いたように見えますが、実は印刷です。版画のように木を彫って墨を塗って刷ってあります。そのあと、その紙を二つ折りにして重ねていき、端を糸でとじます。今で言うなら工芸品のような感じです。とても大量生産には向きません。

   まず紙に文字を書く
    ↓
   裏向きに木の板(板木と言います)に貼り付ける
    ↓
   彫る
    ↓
   墨を塗って刷る
    ↓
   紙を重ねて針で穴を開けて、上下に布をあてつつ糸でとじる

和本は、何人かの職人が関わって、こんな手順で作られていきます。途中までは版画と同じような要領だと思ってください。ちなみに、先哲叢談の表紙右端に見える白い線が綴じ糸です。

その「先哲叢談」は文化13年(1895年)に出版されました。中身を見てみましょう。



ちょっと文字がぼやけて分かりづらいですが、こちらは漢字ばっかりです。やはり版画と同じ方法で作られています。すごいですねこの「先哲叢談」は、江戸時代の有名な儒学者の逸話を集めたものです。新井白石や林羅山なども登場します。漢字を読み解くことを面倒がらなければ面白い本です。

最後の「西洋夜話」は明治6年に出版されました。明治時代になっても同じような作り方で本が作られていたことがわかります。明治維新でがらりと世の中が変わったわけではないのです。とは言え、明治時代になると日本も近代化の方向へ進んでいきます。その過程ではこの「西洋夜話」のようなちょっと毛色の変わった本も作られました。どこが変わっているのかというと、まずは次の絵をごらん下さい。



この絵、誰だと思いますか? アダムとイブです。とても日本人体型ですね「西洋夜話」に載っています。「西洋夜話」は、聖書時代からの西洋の歴史の概説書だと思ってください。純粋な翻訳ではないので、アダムとイブの説明部分にはイザナキ、イザナミの二神が飛びだしたりします。西洋の知識を日本風にアレンジした内容で、本の作りも和本なのですね。上の絵の載っているページの見開きはこんな感じになっています。



右ページの後ろから四行目には、イザナキ、イザナミの神が「伊邪那岐」「伊邪那美」と漢字表記で書かれています。かすれていて見にくいですが。

もうひとつ、近代への過渡期を感じさせる本を紹介しましょう。それは「博物新編訳解」という本です。理科の教科書と思えばいいでしょうか。それがこんな感じの本に作られています。



どう見ても和のテイストがぷんぷんしています。でも、中身を見ると、とても西洋っぽい絵柄です。



じゃあ、西洋風かというと、よく見ると説明が漢字ばかりです。実は序文も漢文で書かれています。この本は西洋の科学知識を伝えようと作られたものなのですが、科学用語の翻訳ひとつをとっても、まだまだ過渡期の翻訳書で、西洋のものが消化しきれていないなという印象を受けます。出版年は明治7年。もっとも、その時点ですでに「再刻」と書かれていますから、それ以前にこの本はすでに出版されていたらしいということがわかります。

その他にも江戸時代末〜明治三十年代ぐらいにかけて出版された本を見ていくと、西洋化、近代化の波を受けて、日本がどんな風に変化していったかをうかがうことができます。古い本は日本の歴史的な歩みを映し出しているということです。もちろん、和本だけじゃないですよ。洋装本と言われる本にしても、やはり歴史の歩みを映し出しています。次の機会にはそんな本についてもご紹介したいと思います。

本の外形だけでなく中身にももっと触れたいところですが、あまりにも長くなってしまいます。本を巡る話題はまた折に触れてとりあげていくこととして、この項を終えることにします。みなさんも古本屋さんの前を通ることがあれば、古い日本を探しに入ってみて下さい。

ウルトラマン!─卒業生に贈ったことば

[2007年04月09日(月) ]

わたしはメビウスという作品が大好きですが、いちばん好きなのは初代ウルトラマンです。なぜ好きなのかは、ドクターフェルを嫌いな人がその理由をうまく言えないのと同様にうまく言えませんが、あえて説明をするならどうなるだろうなと思いながら、卒業生を送ることばとして校内誌に書いたことがあります。

以下はその一文です。校内誌に書いたものですので、普段の本欄の文体と違っていますが、これを読めば、なぜ初代ウルトラマンが好きなのか、何となくわかっていただけると思います。    

続きを読む...

メビウス!

[2007年04月04日(水) ]

ここ二回ほど、本欄は、マンガや「萌え」などZ会的にどうなんだろうという方向に向かっていました。ついでです。ウルトラマンメビウスについても書いちゃおうと思います。わたしは特撮ファンです。

残念ながらメビウスは先日最終回を迎えてしまいました。涙涙の最終回です。エンドロールを見ながらわたしは激しく泣いてしまいました。あまりテレビ番組で泣いたりしないのですが、メビウスはだめでした。欠かさず見だしたのが約二ヶ月前から。最終回までうるうるきっぱなしでした

実はわたしが見たのはこの一年間放映されたうちの十数回にすぎません。ほんとは全部を見た上でコメントすべきなのですが、何かを書かずにはいられない気分になっています。それぐらいメビウスは面白かったのです。わたしが変わっているわけじゃないですよ。わたしの大学の先輩であるウルトラ大先生は、去年からすでに涙腺ゆるみ状態が続いていたのです。さすがウルトラ大先生!

続きを読む...