プロフィール

毎週木曜更新の予定です

関西の中高一貫校で
国語を教えています。
Z会の模擬試験作りなどの
お手伝いをしています。
趣味は登山、読書、音楽鑑賞
その他です。

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旧暦10/30 いんきん団 (2008年11月30日)
垂渓庵
旧暦10/16 先日脱糞 (2008年11月15日)
垂渓庵
旧暦9/11 大学授業星取り表 (2008年10月13日)
垂渓庵
旧暦8/26 ハーディと源氏物語 (2008年10月01日)
垂渓庵
旧暦8/19 高校のころ (2008年09月25日)
ゴンザレス
旧暦8/19 高校のころ (2008年09月21日)
垂渓庵
旧暦6/23 後悔 (2008年08月05日)

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旧暦9/25 直球勝負3 未来の記憶

[2008年10月23日(木) ]

垂渓庵です。

好きな作家の第三弾です。

たとえばこの記事この記事からも推測がつくと思いますが、わたしはSF好きです。

今を去ること三十うん年前、幼少の砌のわたしが通う小学校の図書室には、SFを含む児童書のシリーズがいくつかあったようです。「くいしんぼうのロボット」や「生きている首」「合成怪物」などなどを読んだことを覚えています。

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旧暦7/14 元気の素

[2008年08月14日(木) ]

垂渓庵です。

落ち込み気味なときにこれがあると元気になるというものが、みなさんおありなのではないでしょうか。たとえば本であるとか、歌であるとか。

あるいは、この人に会うと元気づけられるということもあるでしょうし、ある場所に行くと勇気がわいてくるということもあるでしょう。

一つだけと限ったわけでもないと思います。わたしの場合もいろいろ当てはまるものがあります。たとえば「木に学べ」の西岡常一さんの聞き語りCDや「リトル・トリー」。隆慶一郎さんの時代小説も元気を与えてくれます。元気の出てくる飲み友達もいます。また、山を歩いていると、下界のことなどどうでもよくなってきます。

そんな中で、歌声で元気づけてくれるのが、ゴスペルシンガーのマヘリア・ジャクソンです。彼女は1950年代から70年代にかけて世界的に有名になりました。

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旧暦4/25 直球勝負2.5 真・ユーモア・抒情

[2008年05月29日(木) ]

垂渓庵です。

前回はとんでもなく長い前振りで終わってしまいました。
本題の北杜夫さんの話に入りましょう。というわけで、バージョン2.5です。ついでに表題に「真」の字をつけてみました。おお、幻魔大戦みたいだな、こりゃ。

では、まいります。

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旧暦4/18 直球勝負2 ユーモア・抒情

[2008年05月22日(木) ]

垂渓庵です。

今回は好きな作家の紹介その2です。

副題は「シーモア・序章」と似ていますが、サリンジャーではありません。
「ライ麦畑でつかまえて」を読んだぐらいですが、
サリンジャーはどちらかというと苦手な作家です。
なぜでしょうか。

あ、また話がいらぬ方向に逸れてしまいそうです。
閑話休題。好きな作家の紹介に戻りましょう。

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旧暦1/22 直球勝負1 チェコの良心

[2008年02月28日(木) ]

垂渓庵です。

本に関する話題をいくつか取り上げてきましたが、好きな本や作家をストレートに紹介するということをあまりしていませんでした。ここらでお気に入りの作家を何人か紹介してみることにします。今回はカレル・チャペックです。

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旧暦12/10 見上げてごらん

[2008年01月17日(木) ]

垂渓庵です。

小学校から中学校にかけて星を観察するのが好きでした。小さな望遠鏡を買って、近所の友だちと星を観察したものです。あのころは星空坊やと呼ばれていたのでしたっけ。

口を開けば星のことばかりで、家には「天文ガイド」のバックナンバーがうず高く積まれ、星新一のショートショートやサン・テグジュペリの「星の王子様」を愛読し、挙げ句の果てには相撲の星取り表までお気に入りになっていたのでした。

……。いえ、嘘です。そんなあだなじゃなかったですし、相撲の星取り表にも興味はありませんでした。ちょっと話を作ってしまいました。すまん。

気を取り直して先を続けます。一時天体観測をしていたのは本当です。望遠鏡や双眼鏡も買いましたよ。ともに冬の山で凍りつく経験をした隣家のヒロちゃんの影響でした。

ヒロちゃんは反射望遠鏡を買い、わたしは屈折望遠鏡を買いました。それなりにリサーチをして、二人とも買ったのは「T製作所」の望遠鏡でした。通好みのいい望遠鏡を作るメーカーです。

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ハンニバル

[2007年12月28日(金) ]

垂渓庵です。

世の中には、怒濤のごとき迫力を感じさせる人がいます。あなたの身の回りにもきっといることでしょう。奔流のような活力の人が。歴史的人物にもそのような人がたくさんいます。

たとえばワグナーやマーラーやオルフなど。わたしは彼らにこの上ない迫力を感じます。もっとも、あまり熱心にクラシックを聴くわけではないのですが。小説家で言うなら、小松左京、バルザック、デュマあたり。哲学者ならニーチェ。

こう書くと、次のような異論がホウハイと湧き起こってくるかも知れません。「ベートーベンの立場はどうなる」とか、「音楽に迫力があるのと作曲家自身に迫力があるかどうかとは別だ」とか、「バルザックは顔の印象だけからじゃないのか」とか、「小松たち三人は体型の共通点から言ってるんだろ」とか、「哲学と活力ってなんかしっくりこないぞ」とか…。

まことにごもっとも。わたしはノックアウト状態です。しかし、ここはわたしのごくごく主観的な印象からする判断ということでご寛恕願えればと思います。

文化の領域から現実世界に目を転じてみれば、かつて怒濤のごとき迫力を持ってアジアやヨーロッパを席巻した人たちがいます。アッティラ、チムール、チンギスハン。彼らにもわたしは活力の人という印象を抱くのです。

と書くと、「ははあ、わかった。こいつはカルタゴのハンニバルに話を持っていくつもりだな」、と得心された人もいることでしょう。しかし、残念ながらわたしはカルタゴの将軍については詳しくありません。

もっと目端の利く人は、「ふふん、やっぱりな。カルタゴのハンニバルと見せかけて、レクター博士のことを語るつもりだったわけだ。しょせんお前は孫悟空。お釈迦様の手のひらからは出られないのさ。どうだ、参ったか」と鼻の穴をふくらませておられるかもしれません。

しかし、ふくらませた鼻は元に戻してもらった方がよさそうです。わたしは、無口な羊にも、赤い竜にもあまり縁がなかったのでした。それに、レクター博士が起きようが寝坊しようが知ったことではありません。やはりレクター博士についてもほとんど語ることはないのです。

ではここでとりあげるハンニバルとは、いったい何者なのか。

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Djembe Dundun

[2007年11月29日(木) ]

垂渓庵です。

表題は呪文ではありません。Abracadabraや急急如律令などとは無関係です。

本、文字、特撮、アニメ、などなどへの偏愛を示すネタをいくつも書いていることからすると、自分でも意外なように思いますがが、わたしはアウトドアでの活動が結構好きです。

また、アフリカン・パーカッションもけっこう好きで、つい最近までアフリカン・パーカッションのバンドにも参加していました。外向性のオタクとでも言えばいいのでしょうか。何か形容矛盾のような気もしますが。

それはともかくとして、わたしが参加していたバンドのソロ楽器は、ギニアやセネガルの民族楽器であるジェンベ(Djembe)です。タイトルの前半はこの楽器の名前です。ジェンベはこんな形をしています。

打面には羊の皮を張ってあり、横に見えるひもを締めることで皮に張力を与えます。そして両手の手のひらを開いて手で叩いて音を出します。

基本の音は三種類。ひとつが真ん中を叩くベース音。次が指先を揃えて太鼓の端の方を叩くトーン。三つ目が、同じく端を叩くのですが、指先を開いてはじくようにして出すスラップ。右手でも左手でも以上の三種類の音を出せなければなりません。

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循環する時間

[2007年10月26日(金) ]

垂渓庵です。雑務煩多なためまたまたクイズの解説は先延ばしになってしまいます。

先日、授業を終えて教室から教科室へもどろうとしていると、後ろの方で私のクラスの生徒が叫ぶ声が聞こえてきました。「アムロ行きま〜す」と。

ガンダムのアムロのまねをする芸人さんがいたかと思いますので、その影響かなとも思いましたが、念のために聞いてみました。そうすると、やはりDVDか何かで初代のガンダムを見たのだそうです。で、教室を出るときの景気づけにあの印象的なセリフのまねをしたのだとか(笑)

初代ガンダムといえば、今をさること三十年近く前、わたしが中学二年生か三年生の頃に本放映されていたものです。そんなものをなぜ今、とも思うのですが、おもちゃ会社のキャラクター展開などで、今の中学生にもある程度身近な存在になっているのでしょうか。

ついでに「マチルダさ〜ん!」や「マッシュのドムがやられた」「坊やだからさ」「あえて言おう、カスであると!」などなどの名台詞の数々も口にするように言っておきましたが、彼がそうしてくれるかは定かではありません。

思い返せば、「秘密のアッコちゃん」「パーマン」「ゲゲゲの鬼太郎」「オバケのQ太郎」「キューティーハニー」「天才バカボン」などなど、昔のアニメ作品が後にリメイクされる例は枚挙に暇がありませんでした。

それだけではなく、「ウルトラマンメビウス」のように、旧シリーズと共通する世界観のもとに新たに作られる作品もあります。マンガでも「北斗の拳」の続編や外伝、「シティーハンター」の続編などなどが(たぶん)今も連載中です(キン肉マンの続編はどうでしょう。まだやっているのでしょうか?)。

そうそう、「エヴァンゲリオン」もつい先日最新版の映画が公開されたのでしたっけ。

何やらアニメ・マンガ業界は過去の作品という遺産を大変有効に活用しているような印象を受けます。今後はさらに三次的にリメイクのリメイクという方向に向かうのか、そうではなく、これまでリメイクなどをされないままの作品が拾い上げられることになるのか、かつてのアニメファンはじっと様子を見ているところです。

「ゴッドシグマ」「ダイラガー]X」「ガラット」「アクロバンチ」などなどの、一般的には今では忘却の彼方に押しやられている作品にも日の目が当たらないかなと思ってみたりもしますが、可能性はないでしょうかね。無理かな。やっぱ、無理だろうな。「サンダーマスク」や「ファイヤーマン」などは…だめでしょうね…。

未来の元アニメファンも同じような煩悶というか懊悩を味わうことになるのでしょうか。因果は巡る小車のってとこです(笑い)

何やらまたもやわけのわからぬ話になってしまいました。

文庫

[2007年08月10日(金) ]

文庫と言っても「文庫本」のことではありません。何の話かというのはおいおいと。

わたしは平均的な大人と比較すると本好きだと言えると思います。偏執的な書痴、蒐書狂というような域に達した方々とは比較になりませんが、本を読むという行為とともに、集めることにも関心がなくはありません。

本を集めるにはスペースが必要です。本のための家を建てる豪の者もいますが、わたしはマンションの一部屋を本の収蔵スペースにしています。が、それでも足りずに、漢籍類、外国文学関係の本は実家に送り、国語学関係の本は職場に持ち込んでいます。少女マンガも含むマンガ類も、大きな声では言えませんが、学校に疎開させています。

わたしの夢は、あちこちに分散配置している本たちを全て収めることのできるスペースを作ることですが、一家を構える身としては当分不可能なことです。そんなこんなで、わたしの本たちは、今や家人も含むあちこちの人に邪魔もの扱いされつつあります。いずれわたし自身が邪魔者扱いされないか、いささか不安がなくもありません。

やむを得ず、毎年長期休暇の時期に本を整理して、その都度古本屋さんに持っていくという作業を行っています。売ろうかどうしようか正直迷ってしまう本もあるのですが、それよりも、なんでこんな本を買ったんやろ、と不思議に思える本の方が多いのはどうしたわけでしょうか。

今回整理をしている中では、

 フンボルトの言語思想 ユルゲント・トラバント著
 思考と言語 ヴィゴツキー著
 批評の解剖 ノースロップ・フライ
 赤毛のエリク記 山室静著

あたりが売ろうかどうしようか迷っている本です。これらの本が面白くないわけじゃないですよ。フンボルトの言語思想はとても興味深いものですし、ヴィゴツキーの本も人間の発達に関して素人なりに面白く読めます。フライは唯野教授の講義にも取り上げられました。北欧神話はこれまた面白いのです。

ただ、読書に割ける時間とスペースを考えると、処分せねばならない本になってしまうというわけです。いずれ時間ができたときにはきっともう一度読み直したくなるだろうと思うのですが、それまで彼らを寝かせておくスペースがないのです(涙)

思い返せば、本を読み出した当初は全然そんな心配をする必要はありませんでした。そりゃそうです。小さなころはそもそも自分で本など買いませんし、小学校の三、四年生になって本を買い始めたとしても、親はそれを喜びこそすれ、本棚の一つや二つで文句を言うことなどないのですから。

ところで、文庫という言葉には「書庫」という意味があります。いま本に占領されている一室はそういう意味での文庫と言っていいでしょう。また、文庫という言葉には本を入れておく箱という意味もあります。いわゆる「手文庫」もその一種です。

文庫の意味をそのような手文庫的なものも含めて広く理解するならば、わたしの「文庫」第一号は、小学生のころのコイズミライダーデスクの右下の抽斗でした。文庫のささやかなスタートです。

そこには、記憶に残る限りで自分で最初に買った本である「どくとるマンボウ航海記」をはじめ、主に北杜夫と星新一と畑正憲の本をつめこんで悦に入っていたように思います。が、他にどんな本を入れていたのやら。たとえるなら、ロムルス兄弟の神話時代のようなものです。

それ以降、少しずつわたしの文庫は拡大を続けました。中学から高校にかけての一番大きな買い物が内田百間の全集(全十巻)です。たしか一冊四千円程度。一度には買えずに、お金を貯めて何度かに分けて購入しました。

買おうか買うまいか大きな葛藤があったのですが、結局思い切って買うことにしたのです。わたしの文庫の拡大はこれで弾みがついたように思います。カエサルによってローマ帝国が大きく帝政の方向に舵を切られたことが思い出されます。

文庫の拡大はそれを機にスピードを増します。いったん大きな買い物をすると、怖いものがなくなったのですね。毎月の小遣いをほとんど本の購入に充てていました。当然コイズミライダーデスクの右下の抽斗だけでは足りません。

いや、そもそも中学以降はコイズミライダーデスクなど使っていなかったのでした。いずれにしても、本棚を買い、カラーボックスを買い足して、文庫は拡大を続けていったのです。いよいよ五賢帝の時代の到来です。

トーマス・マン、ディケンズ、スタニスワフ・レム、カレル・チャペック、イタロ・カルヴィーノ、ボルヘス、マルケスなどなど。中学、高校から大学にかけてお気に入りになった作家はたくさんいます。もちろんお気に入りにならなかった作家もごまんといます。

大学、大学院では国文学を専攻していたこともあり、かなり高額の専門書なども少しずつではありますが買いそろえていきました。角川書店の新編国歌大観(全二十冊)などというとてもかさばる代物を買い込んだのもこのころのことです。

文庫が最大の版図を有したのは、仕事を始めて、一人で古アパート暮らしをしてからのことです。六畳二間と玄関に本棚がびっしりと入っていました。トラヤヌス帝の時代がやってきたのです。

この時期には、仕事をしていて比較的お金も自由にできたので、以前ご紹介したような和本などもいくつか買い込んだりしました。また、最寄り駅に古本屋さんがあったのでしょっちゅう物色しては本を買い込んでいました。

祝詞の作り方の本や愛国百人一首の評釈など、かなり毛色の変わったものまでためらいもなく買っていたのです。日本随筆大成というとても大部のシリーズ(全部でたしか100冊あまり)を買ったのもこの時期のことです。

その後、結婚を機に文庫は縮小に転じます。軍人皇帝時代の到来です。と言えば少しオーバーかもしれませんが。

一家を構えるに際して、本だらけの生活もしていられませんから、国文学関係の雑誌類を中心に蔵書の一部を処分し、さらに残りのうちの幾ばくかを実家と職場に移動させ、むりやり本をマンションの一室に押し込めることにしたのです。

それから今に至るわけですが、この期間にはさすがに大部の買い物はしていません。スペースの都合もありますから、読める範囲の本を少しずつ買って、定期的に不要なものを古本屋さんに持っていくというスタイルに落ちつきました。

ちなみに、今わたしが読み進めているのは、田川建三さんという宗教学者の本です。予想もしなかった歴史的イエス像をとても説得的な形で示しておられます。間にやわらかい本も織り交ぜてゆっくり読んでいる最中です。

さて、わたしの文庫は今後どうなっていくのでしょうか。どこまでも古代ローマの消長と軌を一にしていくのでしょうか。ひょっとして東ローマ帝国まで行っちゃうとか。いや、そもそもローマ帝国と重ね合わせてよいものなのかどうか。本の整理と原稿書きの合間のとりとめのない夢想にすぎないような気もしてきました。でも、文庫に名前をつけるとしたら、「帝国文庫」なんてどうだろうと思ったりもするのですけどね。

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