プロフィール

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関西の中高一貫校で
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Z会の模擬試験作りなどの
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授業参観

[2007年11月22日(木) ]

垂渓庵です。

先日授業参観を終えました。
誰に見せるのですかという服装のお母さんなども混じる中、
担任しているクラスで授業をしてきました。

わたしは特に緊張するというようなことはないつもりだったのですが、
最初に指名した生徒をうっかり「くん」づけで読んでしまいました。
やむをえずその後の生徒も「くん」「さん」づけです。
それもあいまってか、生徒たちはやはりふだんと勝手が違うようです。
元気がないというかよそ行きというか。
どうしたもんかなと思ううちに授業は進みます。

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志望理由書と自己推薦文と国語力

[2007年11月05日(月) ]

垂渓庵です。

すみません、また表題をパクってしまいました。所長m(_ _)m

この時期、一般推薦や指定校推薦を受ける生徒が、志望理由書や自己推薦文の添削を頼みに来ます。今年は中一の担任ですから、本当ならわたしの所には来ないのですが、今年の高三は去年現代文を教えていた関係で、何人か頼みに来るのです。

文章の上手い下手は別として、中にはかなり明確に志望理由を持っている生徒がいます。そういう生徒の志望理由書は、仮に文章がまずかったとしても、添削自体は楽なものです。全体の構成を整えて志望理由が的確に相手に伝わるようにすればよいだけなのですから。

自己推薦文についても、やはり自分の長所短所を比較的客観的にとらえつつ、自分の売りは何かをしっかりとらえられている生徒の書いたものは、添削に要する手間は大きくありません。やはり、構成を整えてやりさえすればいいからです。

困るのは、自分の中に明確な志望理由がなかったり、ある程度客観的な自己評価ができていない生徒の書いてきたものです。そういう生徒は往々にして、字も雑ですし、メモ書き程度のものを持ってきます。

親切な先生はそれでも見てあげていますが、わたしはつっかえします。「こんな中途半端なものを人に見てもらうなんて失礼やろ。あほ」「こんな汚いものを読めるかい。ばかたれ」というような意味の、もう少しソフィスティケイトされたことばを使いながら、です(笑)

で、そんなことばにめげてしまった彼、彼女たちは他の先生を探しに行きます。もちろん、めげなかった彼、彼女たちは書き直してきます。しかし、往々にして、先に指摘した問題点はそのままという結果になります。

それでも、書き直してきたということは、こちらの言うことを聞く姿勢になっているということなので、今度は追い返したりせずに、彼、彼女たちの書いた文章を間に挟んで、彼、彼女たちの至らぬ点を逐一指摘してやります。

志望する学部で行える勉強をしたいと思った理由を問われているのに、パンフレットなどから抜き出してきたその学部のウリ文句を並べ立てて、それを勉強したいと書いているもの。

学生の頃に熱中したことを書きなさいと言われているのに、自分の所属していたクラブの成績などをいやに細かく説明しているもの。

志望動機や自己の性格分析を具体的に行いなさいと言われているのに、抽象的な一般論しか書けないもの。

書く以前に人の書いたものをちゃんと読めていないのですね。それらについて一つ一つ指摘してやるのです。ついでにそいつについて知っている範囲で、お前はこんな面がある、あんな面がある、こういうことも書けるやろ、と指摘してやります。

同時に、本人からの聞き取りを進め、あほ、なんでそれを書いてないねん、ここに書き連ねている内容の薄い文章よりもその方がよっぽど値打ちがあるやないか、というようなほめ言葉(?)を交えながら、本人の中から書くにふさわしいことを引っ張り出してやるのです。もちろんことばづかいはもっとソフィスティケイトされています(笑)

自己分析や自分を見つめるといったような文章は、国語の時間にはあまり突き詰めて書かせたりしません。文章を書かせるとしても、小論文的なものや何らかのテーマについて論じるものが主になります。

しかし、それらを書けるようになることだけが国語力ではないよなあと、この時期にはいつも思うのです。だからといって、普段の授業で自己推薦文のようなものを書きなさいと言ったところで、やはり照れがあるのか、生徒はなかなか真剣には取り組まないのですが。

それに、仮に書かせたとしても、何クラスもいる生徒に対してここに書いたような対面式の指導をしている時間は残念ながらありません。十分な時間が取れるなら、やってみたいとは思うのですが。

そういうわけで、毎年毎年、この時期になると、上に書いたようなやりとりを繰り返す羽目に陥ってしまうというわけです(笑)

マナー

[2007年10月13日(土) ]

垂渓庵です。

わたしの勤務校では、運動会や文化祭の見学は生徒の家族に限って許可しています。先日も無事に文化祭、運動会が終わりました。

遠方から通っている生徒の保護者の皆さんは、普段はなかなか気軽に学校を訪ねたりもしにくいかと思いますので、こんな機会に来ていただいたらいいなとは思うのですが、毎年困った問題が起こります。

車社会ってやつでしょうか、車で来校しようとされる方が多いのです。駐車場のキャパの問題がありますから、毎年車での来校は固くお断りしているのに、です。そんな車を学校にどんどん入れていっては収拾がつかなくなりますので、校門でシャットアウトします。もちろん足の悪い方の送迎をされるなど、事情のある場合は前もってうかがっておいて、駐車場に駐めてもらっていますよ。

少し離れた駅前の公共の駐車場に駐めるように促すのですが、残念ながら素直にそうされない方もいます。何とか抜け道を探そうとするのですね。駅前から学校まで少し遠いですから気持ちはわからなくないのですが。

で、保護者のみなさんが考える抜け道はというと、

 1 周辺の住宅地に路駐する。
 2 近くの公園の無料駐車場に駐める。
 3 近隣のスーパーに駐車する。

そうそう、番外として、学校に車は駐められない旨を説明している教員に食ってかかる、というのもあります(−−)「うちの車ぐらいいいじゃないか」ってなもんです。わたしも一度そういうおじいさんのお相手をしたことがあります。

その時は、「だめなものはだめです。あなたの一台を特別視しなければならない根拠はないでしょう。あなたのような保護者がいることで家族の見学そのものを中止しようという声が起こるかもしれませんよ。そもそもあなたのお孫さんは何年何組のだれですか。ちゃんと伝えていないのはいけないことなので、本人に担任から注意してもらいます。」という話をして丁重にお引き取りを願いました。

ま、多少敬語を省略して話し、相手のことばにもあまり耳を傾けませんでしたから、おじいさんは丁重な応対だとは思っておられなかったでしょうが(笑)でも、最後には車を動かして去って行かれました。

わたしは近隣に路上駐車する保護者や食ってかかる保護者がいたと聞くと、必ず終礼で話すことにしています。こんな恥ずかしい人がいた。どう思う? と。生徒たちの反応は健全なものです。なんやそいつはというような顔をします。わたしはその反応を見ると安心します。そして、どうかその感覚をなくさないでくれよと思うのです。

数学教育

[2007年08月27日(月) ]

わたしは数学は得意ではありません。はっきり言うと不得意です。が、そんなわたしにも数学的才能がありました。と言い切っていいのかどうか少し心許ないですが、たぶんあったのだと思います。今日はそのわたしの数学的才能が、どのようにして伸ばされずに終わったかの顛末を書きたいと思います。

わたしの数学的才能はおそらく小学校5、6年のころにピークを迎え、以後衰退の一途をたどりました。山にたとえるなら、ないも同じのピークとだらだら続く裾野という、曰わく言い難い姿になります。大阪の天保山に変に長い尾根がくっついているようなものですね。あまりの情けなさに、ローマ帝国にたとえる気にもなれません(涙)

とにかく、そのあるかないかのピークについて説明しましょう。小学校5、6年のころ、算数の立体の授業があり、正四面体、立方体、直方体〜正十二面体(?)などなどの多面体について教わりました。そのとき配布されたプリントに印刷されているいろんな立体の絵を見ながら、わたしは何となく思ったのです。この立体というものの面や辺の数に何かきまりはないだろうか、と。

思い立ったらすぐ実行です。わたしはもらったプリントに書いてある立体の辺の数と面の数と頂点の数を数えていったのです。そうすると、面白いことがわかってきました。

           辺    面    頂点
  正四面体    6    4     4
  正六面体   12    6     8
  正八面体   12    8     6
  正十二面体  30   12    20
  正二十面体  22   20    12

どうですか、みなさん、わかりますか?
そうです。なんとも不思議なことに、辺の数から面の数を引いて2を足すと頂点の数になるのです。

このきまりを発見した時のわたしの興奮はいかばかりのものだったか。何とも言えない高揚感がわたしを包み込みました。世界の秘密に至る鍵をわたしは手にしている、みたいな。オーバーですか? でも、それぐらい興奮しました。あの時以来、わたしは「ユーレカ!」と叫んだアルキメデスの気持ちがよくわかるようになりました。

どうして「2」という数字が出てくるのかはわかりませんでしたが、どうやら「辺の数−面の数+2=頂点の数」という法則が成立しそうだなと思いました。そこでわたしは正多面体じゃない立体でもこのきまりが成立するのか調べてみることにしました。

方法としては単純なものです。同じく授業で習った三角柱や四角柱でも辺や面や頂点の数を数え、一つの頂点を中心に立方体などをカットした図形を作図して、それについても同じ作業をしたのです。その検証作業をする間の少し不安だけれどもわくわくする気持ちは今でも覚えています。選ばれてある者の恍惚と不安がわたしを包みます。

結果は満足すべきものでした。

        辺   面   頂点
  三角柱  9   5    6
  四角柱 12   6    8
  六角柱 18   8   12
 立方体の一部をカットしたもの
       辺  面  頂点
       15  7  10

その他いろいろな多面体を考えたのですが、どれも成り立ちました。ただし、次のようなものは例外になるようです。

 立方体に三角錐状の穴を開けたもの
        辺  面  頂点
        18  9  12
 立方体に四角錐状の穴を空けたもの
        20 10  13   

こんな風にへこみのある多面体は先のようにはうまく説明できなかったのではないかと思います。何しろ三十年近く前のことなので、記憶がとても曖昧で、ひょっとしたら思い違いかもしれませんが。

いずれにしても、わたしは世界の秘密を手にしたのです。翌日、喜び勇んで先生に報告に行ったことは言うまでもありません。

わたしの説明を聞いた先生は、いとも簡単にこう言い放ちました。
「ああ、それはオイラーの定理と言うんや。」
ガーンを15乗したくらいのショックです。
「違わい。オイラーの定理じゃないやい。おいらの定理だい!」
今ならそんな風に返すことも可能ですが、あの時の落ち込んだ気分と言ったら…。
こうして、フェルマーの最終定理を10年は早く発見したに違いない未来の大数学者は、敢えなく可能性の海の中に消えてしまったのです。

わたしはあの先生に何の恨みもありませんが、せめて、
「おお、それは大数学者のオイラーがやっと発見した定理やぞ。すごいなあ、お前!」
ぐらいのことを言ってくれていたらと思わずにはいられません。そうすればわたしもゆくゆくは数学界に多大の貢献をできたのですが(笑)

創造性を伸ばす教育、やる気を引き出す教育。それはもちろん100マス計算などのメソッドによる部分もあるでしょうが、教師の側の適切なひと言、絶妙の働きかけによるところも大きいのではないかなと思う次第です。そういう意味では数学教育だけに限らず、国語やその他の教科でも同じことが言えると思いますが。

勘違い

[2007年08月15日(水) ]

今はわたしの勤務校も短い夏休みの期間に入っています。
もう少しすると夏期講習の後半戦が始まります。
今はしばしの憩いの期間といったところです。

授業中に教材の説明をしたり、テストの解説をしたりする時に、
思わぬ勘違いをしていることがあります。

たとえば、小説の作中人物の心情を説明する際に、
うっかり別人の行動やセリフを基に説明してしまったり、
論説文の論旨をたどって説明している際に、
よく似た表現で始まる別の段落と取り違えてむりやりつなげたり…、
ということがたまにあるのですね。

あ、ごめん。勘違いしていたと言えば一番いいのですが、
変だなあと思いながらも強引に解説を続けてから気づくと、
なかなかすんなりと勘違いしていたと言いにくくなります。
そんな時はどうすれば一番いいでしょうか。

わたしの答えは、それでもやっぱりごめんと誤って解説をしなおす、です。
そのままごまかしていっちゃえと思うこともないではありませんし、
そうすることもゼロではありませんが、必ず説明がしんどくなります。
おまけに自責の念に小さい胸を痛めることにもなります。

生徒も馬鹿ではありませんから、こちらの説明では納得できず、
釈然としない気分でいるはずです。
中にはよくわからないと質問するものも出てきます。
そうなると、おれは嘘をついていると思いながらも、
生徒に「ああそうか」と思わせねばならなくなります。
その後味の悪さといったらありません。

理数系の教科であれば、数式の変形や、
厳密に抽象化されたモデルの説明が中心ですから、
そんな誤りはあまり起こりえないんじゃないかなと思いますが、
国語ではそういう取り違えが起こっちゃうんですね。
英語や社会でもありうるのかな。

普通に教師をやっていれば、教室では一番偉い立場に立ってしまうものです。
普通にやっていないと、大変な立場に立ってしまうわけですが
いずれにしても、教師稼業が身についていればいるほど、
そんな勘違いの正当化をやってしまいがちになるのではないかなと思います。
おごりが出ちゃって謝れなくなるんですね。

それではいかんのではないかと思うわけです。
おごらないように、でも自分の教えていることには自信を持って教壇に立つ、
それを常に忘れないようにしたいと思っています。
これがなかなか難しいのですが

自戒の念も新たにもうすぐ始まる講習、新学期に備えたいと思います。

ロッカーのカマキリ

[2007年08月02日(木) ]

中学一年生は時に予想も付かないとっぴなことをしでかします。これはわたしが以前教えていた中学一年生をの話です。

ある日の授業中のことです。ある生徒  仮にKと呼ぶことにします。  の机の横のフックに半透明のビニール袋がぶら下がっていました。それだけなら、わたしも気にも留めなかったと思います。しかし、その袋の中では何かが動いています。

ちょっと気になったので、「何やそれ」と声をかけると、「カマキリです」という答えが返ってきました。当時の一年生の教室のベランダの向こうは芝生でしたから、虫を採ってくる生徒もいます。「そうか。カマキリか。」と言い、そのまま授業を続けました。

教室を出るときふと思い出して、Kにカマキリを机の横で飼っているのか聞いてみました。すると、意外なことに答えは、「ロッカーで飼っています。」でした……。

「そっか。ロッカーか。見せてくれるか。」
ロッカーを開けると確かにカマキリが何匹かいます。机の横の袋に入っていたのはその中の一匹だったというわけです。新たに捕獲したものだったのでしょうか。それともお気に入りの一匹だったのでしょうか。今では定かではありません。

ふと、エサはどうしているのかと思い、聞いてみました。すると、「バッタを捕まえてます」との返事です。

「エサをやるたびに捕まえるのは大変やろ。どうしてるんや。」
「大丈夫です。一度にいっぱい捕っておくんです。」
「ほお、そうか。でもそんなにたくさんどこに置いておくねん。」
彼は、「ロッカーです。」と言いながら、隣のロッカーを開けてくれました。

なるほど、バッタがたくさん入ってるな……。しかし、ロッカーでカマキリを飼うとはな。よくそんなことを考えつくもんや。ちゃんとエサにまで気を配ってる。大したもんや。

本来なら空いたロッカーを勝手に使っているのを注意しなきゃいけなかったのですが、意外やら感心するやらであまりそんな気にはなれません。むしろ、どこまで飼い続けられるか見てみたいという気がしてきました。

結局わたしは、「そっか。バッタもロッカーか。ちゃんと世話しいや。」と言って教室を後にしました。

その後、しばらく世話をしていたはずですが、最後はどうなったのだったかな。卵を産むところまでいったという記憶はありません。どこかの時点で担任が撤去させたのかもしれません。わたしとしては、ロッカーまわりに生まれたてのカマキリが大量発生することを期待していたのですが(笑)

今年の中学一年生も何くれとなくしでかしてくれていますが、その話はまた折を見てということにしましょう。

研究授業終わる

[2007年06月22日(金) ]

わたしの担当する実習生の研究授業が先日終わりました。かなり緊張していたようで、終わった後はさすがにほっとしていました。わたしの学年の主任も、終礼での連絡事項を伝えていたときの彼女の顔は晴れ晴れしていたと言っていました。よほどプレッシャーだったのでしょうね

授業内容は課題が残るものでしたが、多くの先生にコメントしていただくことで得るものが多かったようです。自分の足りない部分を知ることができたのはもちろんですが、それだけではなく、作品の読みや授業の進め方について多様な意見がありうるのだということを認識できたようです。そういう受け取り方をしてくれると、研究授業も無駄ではなかったなと思います。

で、研究授業の翌日、きっとほっとしているだろうと思ったので、もともと予定していなかった授業を急遽受け持たせることにしました。とうぜん当日までそのことを伏せておきました「ええーっ」と言って驚いていましたが、空き時間の間にしっかり準備していました。比較的短時間で準備できる範囲の授業だったということもありますが。実際に仕事をし出すと、突然降ってわいたようにイレギュラーな事態などよく起こるわけですし、その練習のようなものです。決してわたしの意地が悪いわけではありませんよ

実習期間は今日も含めてあと二日残っていますが、担当授業の時間割の関係で、彼女の授業実習はこれで終わりです。残るはホームルームクラスでの終礼と、実習を踏まえたレポートの作成です。彼女がこの実習で何を感じ、何を学んだのか、実習最終日になる明日聞いてみようと思っています。

彼女が返しに来たチョーク箱には生徒たちのプリクラに並んで彼女のプリクラが貼られています。実習の初っぱなにわたしが生徒をきつく叱責する場面に出くわして、「うわあ」と思った様子だった彼女もやっと馴染んできたということでしょうか。それとも研究授業が終わってよほど気がゆるんで思わず地が出たのでしょうか。彼女は教職とは別の職業に就くわけですが、この実習が、彼女の仕事への取り組みに、何ほどかプラスになってくれればいいのですが。

教育─衰退産業?

[2007年06月15日(金) ]

いま勤務校に教育実習生が来ています。わたしもほんとうに久しぶりに実習生をひとり担当しています。初々しいというか、若干危うさを感じさせるところもありますが、熱心に実習に取り組んでいる様子です。

彼女もそうなのですが、昔と違って、今は企業の内定をもらった上で実習に来る学生が多くなっています。

子どもの数が減っていく以上、教育という分野は大きい目で見れば衰退産業だということなのでしょうか。採用数も飛躍的に多くなることは考えにくく、職業として見た場合、あまり魅力ある職種とは映らなくなっているのだと思います。教員になることを目的とするというよりは、とりあえず取れる資格として持っておこうという感じです。

もちろん中には教師になることを目標に実習を受ける学生もいますが、残念ながら、そういう学生が実習生たちの中で最も教師に向いている、とは言い切れないのが悩ましいところです。

採用の枠が多い頃は「でもしか教師」ということばがありました。「教師にでもなるか。教師にしかなれない」というような意識で教職に就く人たちがいたのです。それでは採用の枠が少なくなればいい人材だけをとれるのかと言うと、今では上に書いたような悩ましいことが起こっています。

どちらにしても困ったことには違いありません。教育の実をあげようとすれば、意欲があって能力もある人材の確保が必要になると思うのですが、どうすればそんなことが可能になるでしょうか。わたしに妙案はありません。意欲のある優れた人材が教職に就けばいいなと願うばかりです。

ところで、わたしの勤務校で受け入れている実習生の大半は卒業生です。気安い部分もあるのですが、時によって緊張感に欠ける面も見受けられます。気配りも忘れがちになります。そんな実習生たちを先日叱ってしまいました。

時にやむをえず生徒を叱らなければならないことがあるのは諦めがつくとしても、まさか実習生を叱らなければならないとは思いもよりませんでした。実習に取り組む本人たちの積極性とは別に、TPOをわきまえる分別心がいささか欠けていたのですね。

そんな分別心はどこで教えるのでしょう。学校でしょうか。家庭でしょうか。社会全体でしょうか。わたしはそのどれもが同等の責任を負っていると思うのですが、昨今の風潮を見る限り、どれも機能不全に陥っていて、お互いに責任を押しつけ合っているように思えてなりません。

クレームが来るのをおそれて生徒の顔色をうかがう教師。「最近の若者は」と文句は言うけれども隣の学生のヘッドホンの音を注意できない乗客。子どもが夜遅くまで家を空けていても小言を言えない親…。

もちろんそんな存在はいつでもいるわけですが、昔と較べて増えていやしないかとわたしは感じています。

もちろん、怒れば反発される可能性があります。何も言わずに済ませる方が楽かもしれません。でも、それでいいのかどうか。教育業界は衰退産業かもしれませんが、教育は衰退させてはいけないと思います。

ウルトラマン!─卒業生に贈ったことば

[2007年04月09日(月) ]

わたしはメビウスという作品が大好きですが、いちばん好きなのは初代ウルトラマンです。なぜ好きなのかは、ドクターフェルを嫌いな人がその理由をうまく言えないのと同様にうまく言えませんが、あえて説明をするならどうなるだろうなと思いながら、卒業生を送ることばとして校内誌に書いたことがあります。

以下はその一文です。校内誌に書いたものですので、普段の本欄の文体と違っていますが、これを読めば、なぜ初代ウルトラマンが好きなのか、何となくわかっていただけると思います。    

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少女マンガのヒロインは

[2007年03月27日(火) ]

陸奥A子や小椋冬美など、きら星の如く並んでいた先生たちのマンガを愛好しておられたお母さん方もきっと多いと思います。わたしはお母さんではありませんが、やはり少女マンガをいくつか愛好していました。その辺の話を書きだすと長くなりますので、またの機会に譲るとして、今回は授業で取り上げたある論文をご紹介したいと思います。とは言ってもかたい話ではありませんのでご安心を。

その論文は、秋月高太郎さんの「失われた『ためらい』─少女マンガヒロインの変遷」です。岩波書店の雑誌「文学」の2006年11・12月号に掲載されました。

岩波書店と少女マンガ、一昔前の岩波書店のイメージを持っている人には意外かもしれませんが、時代の変化なのでしょう。この号には他にも、「〜だわん」のようなキャラ助詞の分析をする論文や、テレビのお笑いの分析をする論文、映画の「マイノリティ・リポート」を取り上げる論文などが収められています。お笑いの分析をする論文には「パタリロ」まで登場します…。岩波書店はどこへ向かおうとしているのでしょうか…。

本題に戻りましょう。秋月さんはいくつかの作品を分析し、少女マンガのヒロインの造形について、おおむね次のような結論を導き出しておられます。

 1970年代後半の少女漫画のヒロインの造形→自己評価が低い
                              受け身
                              男の子の告白を待つ

 1990年代以降の少女漫画のヒロインの造形→自己評価が高い
                              能動的
                              自ら男の子に告白する

そして、そのようなヒロイン像の変化を、女性と男性の関係の変化に結び付けておられます。秋月さんの考察のアウトラインは次のようになります。

  この間に、男性と女性の間の差がなくなっていった。
       ↓
  女性は、優位な男性から見た理想的な女性像を
  自己の理想像にする必要がなくなってきた。
       ↓
  その結果、女性は等身大の自己のありようを
  肯定することができるようになった。
       ↓
  それに対応する形で、少女マンガのヒロインも、
  理想的な女性像と自己とのギャップに悩む必要がなくなり、
  自信を持って自己を肯定する存在に変化していった。

二十年以上前の少女マンガは、わたしもいくつか読んでいましたから、秋月さんのおっしゃる特徴が実感として理解できる気がしました。ですから、最近の少女マンガ事情についての秋月さんの分析も、信頼できるのではないかなと思いました。で、面白いなあと思って、評論文の問題演習のウオーミングアップに、三学期の授業の最初に読んでみたのです。

近代が、自我が、言語が、というようなガチンコの評論文にはアレルギーを示す生徒たちも、けっこう面白そうに読んでいました。分析の対象が別のもので、語り口も秋月さんのように平易でなければ、きっと生徒は拒絶反応を示すことでしょう。こんなところから、さまざまな事象を分析する評論文の面白さに気づいてくれるといいと思うのですが。

ついでに、90年代以降の少女マンガについて女子生徒に確認してみたところ、最近の少女マンガの傾向は、秋月さんの言うとおりだということでした。秋月さんの紹介されている作品のストーリー展開も彼女たちの読む少女マンガと同じような傾向だそうです。それを聞いて、わたしは、やはりそうだったかという気持ち半分、軽い驚き半分でした。

なぜ驚いたのかというと、秋月さんが分析の際に紹介しておられる作品のあらすじが、昔の少女マンガのイメージしかなかったわたしには意外で、「なんじゃこりゃ!」というものだったからです。次に二つほどストーリーを挙げてみます。

○ ナンパされた男の子の一人がタイプだと思った主人公が、なんとその男の子のお父さんに「この女の子を彼女として推薦する」という推薦状を書いてもらい、男の子に推薦状を手渡して、好きと告白する。(吉住渉「ランダム・ウォーク」)

○ つきあっている彼氏の親友を好きになった主人公が彼氏と別れて、喧嘩をしてはだめだと優しく声をかけて抱きしめてくれたその親友に好きだと告白する。(美森青「君に向かって走る」)

むかし少女マンガを読んでいたお母さん  そして少数のお父さん  は、どんな印象を持たれたでしょうか。わたしと同じように松田優作になっちゃわなかったですか。

わたしは、秋月さんの分析は正しいだろうと思いつつも、例として出されている作品は、分析を印象づけるために、とくに奇抜なものが選ばれているのだろうと思っていたのです。が、違ったのですね。いまの女の子はこんなのを読んでいるのかと改めて認識を新たにした次第です。彼らの読むケータイ小説その他も、どんなことになっているのか気になるところです。時代はどこへ向かおうとしているのでしょうか。

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