[2008年07月03日(木) ]
垂渓庵です。
わたしは昭和四十年代に少年時代を送りました。外で遊び回ることが多かったですが、テレビも嫌いではありませんでした。印象に残っている番組やテレビCMもいくつかあります。たとえば次のようなの。みなさんはご存じでしょうか。
○魔女がパラソル乗ってきた
二人でパラソル食べちゃった
魔女はおうちへ帰れない
パッパッパラソルチョコレート
○白 黒 抹茶 あずき コーヒー 柚子 桜
七つの味を残らずホイ ホホホイノホイホイ
青柳ういろう 食べちゃった
○最初のパンダは白かった
で どろんこ遊びをやりすぎて
それで黒いとこできたのさ
笹の葉山のパンダ君
毎日ヤクルト 飲んでるかい
最初のパンダは黒かった
で あんまり雪をなめすぎて
それで白いとこできたのさ
(以下略)
○南海電車は高石駅を
東へ六分 ぶーらぶら
モデルハウスがいっぱい並んだ
高石プラザ
奈良奈良奈良奈良奈〜良
奈良奈良奈良奈良新大宮
北へ歩いて約一分
モデルハウスは奈良プラザ
懐かしいですねえ。昭和ですねえ。楽しいですねえ。思わず淀川長治みたいな口調になっちゃいますねえ。こんなことでは社会復帰できなくなるねえ。いけないねえ。話を元に戻しましょう。
[2008年06月12日(木) ]
[2008年04月17日(木) ]
垂渓庵です。
むかしむかしあるところに、思いもよらず大学に合格できた青年がおりました。
彼は合格発表があってからというもの、ひたすら遊びほうけておりました。
遊びにもいろいろあります。彼の遊びは地味なものでした。
ずっと我慢していた読書をし、やはり我慢していたテレビを見ていたのです。
そうそう、旭○書店や紀伊国○書店などにもしょっちゅう出没していました。
どちらもそのころは大阪で指折りの大規模書店でした。
彼は書店を巡り歩いては本を買い込み、それを読む、という生活を送ったのです。
読書に疲れたときはテレビ。どちらも目によくありません。
その後、かれは眼精疲労が原因でとんでもない頭痛に見舞われることになります。
しかし、その話はいまは置いておきましょう。
とにかく彼は存分に羽根をのばしまくりました。
それはそれは楽しい毎日を送ったのです。
そんな彼にも大学生として授業を受ける日がやってきました。
その時……。
[2008年03月10日(月) ]
垂渓庵です。
本来は今日のために別稿を用意していたのですが、
広川太一郎さんの訃報に接して、
急遽本稿と差し替えました。
広川さんは有名な声優として活躍されていました。
外国映画の吹き替えでおなじみの方も多いことでしょう。
昨日のニュースでは、
ロジャー・ムーア(「007」の3代目ジェームズ・ボンド役)
米俳優トニー・カーティスやロバート・レッドフォード
などの渋い二枚目の吹き替えから、
マイケル・ホイ(香港コメディー「Mr.BOO!」シリーズの主役)
「モンティ・パイソン」シリーズ(イギリスのコメディ)
などのコメディまで幅広くこなしていたことが取り上げられていました。
[2008年03月06日(木) ]
垂渓庵です。
みなさんは小さなころに何になりたかったですか。
わたしは科特隊の隊員になりたかったです。
いや、ホシノ少年になりたかったような気もします。
いずれにしても、あの胸の流星バッジにはひどく憧れました。
少年ライダー隊の一員には…特になりたくはなかったような。
あ、ドロロン閻魔君の仲間になりたかったこともあります。
中学生のころは、ホワイトベースの外でブライトさんたちと
白兵戦をともに戦ったこともあります。もちろん夢の中で。
こちら惑星ゼロ番地というマイナーなSFホームドラマの世界に
あこがれたこともありました。
……。どうやらテレビに毒されていたようですね(−−)
そんなわたしですが、映像の世界以外に憧れを持ったこともあります。
[2008年01月31日(木) ]
[2008年01月24日(木) ]
垂渓庵です。
前回、センター試験について書いていて、共通一次試験を受けたときのことを思い出しました。共通一次試験は今のセンター試験の前身のようなものと考えてもらえばいいでしょう。
その共通一次試験を受けたときのことです。わたしなりの合格祈願法をもってしても、全くの平常心で試験に臨むことはできませんでした。やはりなにがしかの緊張を感じました。そして、その緊張感から間抜けな失敗をしてしまったのです。
[2007年12月25日(火) ]
[2007年12月13日(木) ]
垂渓庵です。
所長、また表題をお借りしました。
ロンドンのホテルのフロントのお兄さんと固い絆を結んだ後、わたしと妻はユーロスターでパリに向かいました。フランスは農業国だということが実感できる車窓風景を満喫した後、パリに到着しました。
二人とも体調を崩し、思うように観光ができなかったのですが、
町中を歩き、パサージュに迷い込み、
移民の子たちっぽい小さな子に取り巻かれ、
メトロの駅を出ようとして壊れた改札を前に立ち往生していると、
黒人のおっちゃんが一緒に強引に出てくれたりして、
少しは雰囲気を味わうことができました。
結論から言うと、パリはよい町です。
そのパリでこんな経験をしました。
[2007年11月15日(木) ]
垂渓庵です。
所長。また表題パクってしまいました
以前妻とロンドンに行ったときのことです。現地のツアコンの方に空港からホテルまで案内されて、日程などの説明を受けました。その際に、各部屋に金庫はあるけれども、安全のためには、フロントでセイフティボックスを借りて預ける方が確実ですよと言われました。
なるほどそんなもんですかと思い、荷物を部屋に置いてから、さっそくセイフティボックスを借り受けることにしました。そして気軽にセイフティボックスプリーズと言ってから、以下のやりとりを全て英語でやらねばならないことに気づきました。