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毎週木曜更新の予定です

関西の中高一貫校で
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旧暦6/23 後悔 (2008年08月05日)

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旧暦12/21 リヨクトポンプ

[2008年01月28日(月) ]

耽読翫市です。

松平定信という人を知っていますか。そう聞くと、おそらく日本全国でブーイングが湧き起こることでしょう。

「ばかにするんじゃねえ。このほでなす。知らんはずないやろが。なしてそげんこつ言うかね。何とかの改革の人ばい。有名な人のごたる。にしゃももうろくしたんでねが。知らねはずあんめ」……。

う〜ん、とても全国ですね。

寛政の改革をおこなった人。田沼意次の対極にいる人。清く正しい人。えらい人。
一般的な彼のイメージとしてはそんなところでしょうか。もう少し詳しく知りたければ、たとえばウイキペディアを見てみましょう。彼の人となりについてこんな風に書かれています。

さてさて、そんな彼ですが、国語という教科的には問題作成の原典として強く意識される人なんじゃないかと思います。整っていて適度に理解しやすい文章を書く人だからです。「花月草紙」あたりは原典としての採用率がかなり高いのではないでしょうか。

今回はそんな定信の記録する怪異(?)、リヨクトポンプについてのお話です。

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ベニスの商人

[2007年12月17日(月) ]

垂渓庵です。

明治期にジャーナリストとして活躍した成島柳北は、幕末期の幕臣でした。彼は、やはり幕末期の幕臣で明治期にジャーナリストとして活躍した福地桜痴に、「これはさて世はさかさまとなりにけり乗った人より馬は丸顔」とひやかされたほどの面長でした。確かにその写真を見ると明らさまに面長です。

この面長はよほど人に強烈な印象を与えるらしく、いずれご紹介する内田百閧ノも「馬は丸顔」という随筆で枕に使われています。その他にもネット上でいくつも彼の面長をネタにした文章が書かれているようです。が、今回の話は彼の面長とは全く関係ありません。

いえ、面長が関係ないどころか、柳北自身、ベニスにも商売にもあまり関係ありません。彼はベニスに行ったこともないはずですし、商人でも、まして金貸しでもありませんでした。もちろん、シェイクスピアと知り合いという事実も、シェイクスピアの作品を翻訳したこともありません。

え? じゃあ、その成島柳北とかいうのがどうベニスの商人とつながるのかですって? まあ、あわてないで下さい。彼には次のようなエピソードがあるのです。

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碩学

[2007年12月10日(月) ]

垂渓庵です。

二十世紀の中国を代表する歴史家に顧頡剛という人がいます。中国版ウイキペディアには、こんな風な説明がなされています。

国文学関係の人には、史記をはじめとする中国の正史の点校本でおなじみなのではないでしょうか。一般の読書好きの方には、「ある歴史家の生い立ち」(岩波文庫)という自伝で知られているのではないかと思います。

この自伝は、著者の学問や研究に向かう真摯な姿勢や、自由な発想の重要性などを教えてくれます。時代や取り組む分野の違いを超えて、著者の生き方は、わたしたちに自分の人生をいかに生きるべきかを考えさせてくれます。

もちろん、彼は一個の天才と言っていいと思いますから、わたしたちが彼の真似をしようと思っても無理な部分はあります。彼の真似をするのではなく、彼の生き方から自分の生き方を振り返るだけでも、十分有益だと思います。

詳しくは「ある歴史家の生い立ち」そのものを読んでいただくとして、ここでは彼の天才ぶりをうかがえる挿話をひとつだけご紹介しましょう。彼の天才ぶりを彷彿とさせる記述はいくつもありますが、中でもこの挿話には目を見張ります。何歳の時のエピソードなのか考えながら読んでみて下さい。

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マニアック・バージョン

[2007年11月19日(月) ]

垂渓庵です。

高校生向けの推薦図書を選び、毎月一冊で一年間、計十二作品の紹介文を書くという機会がありました。選書の段階では、編集さんのアドバイスを受けたので、それなりに妥当なリストができたのではないかと思っています。

その完成版のリストについてはいずれ機会あがれば触れることにして、ここでは完成版に至る過程で日の目を見なかったリストをご紹介したいと思います。題してマニアック・バージョンです。

普通、推薦図書の選書というと、一般性が高く、かつ読み応えがあるものが中心になるのですが、このマニアック・バージョンでは、一般性という基準はかなぐり捨てました。基準は、わたしが高校生だったとして、面白がるかどうかです。

「わたしが高校生だったら、これぐらいは探し出してきて読むよ。世の読書好きの高校生の諸君、君たちはただの読書好きか? それとも知的好奇心を持った読書好きか?」という問いかけというか、挑発をしてみたくて作ったリストです。

実際の書目は以下の通りです。

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母には二たび会ひたれども・クイズの解説

[2007年11月12日(月) ]

垂渓庵です。

遅れに遅れまくりましたが、ようやっとクイズの解説です。
まずクイズのおさらいをしておきましょう。

 母には二たび会ひたれども父には一度も会はず
 さてさてそれはいったい何でしょう?

というものでした。答えは、そう、「唇(くちびる)」です。

このクイズを解くためには、日本語の発音の変化──とくにハ行音の変化──を考える必要があります。

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偶然と必然

[2007年11月08日(木) ]

垂渓庵です。

表題からジャック・モノーの本を連想された方、残念ですが全然関係ありません

岩波文庫の『朝鮮童謡選』(金素運 編訳)に次のような一篇が収められています。

 曲り媼(ばあ)さん  曲り杖ついて
 曲り山に行き 曲り糞垂れりゃ
 曲り犬奴(め) 曲り糞なめて
 曲り杖に打(ぶ)たれ 曲りキャンキャン

あまり上品とは言いかねる童謡ですねでも、ここではそれを指摘したいのではありません。次の英詩と較べてもらいたいのです。

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科学的ということ

[2007年09月20日(木) ]

わたしは大学在学時から論理学に興味を持つようになりました。大学一回生の時、一般教養の科目として開講されていた「論理学」の授業に出席したことがきっかけです。大学時代にはそれ以後も折に触れて論理学の入門書めいたものを読んでいました。

と言っても、アリストテレスのような古典的な本を読むことはありませんでした。読んだのは主に記号論理学関係の本です。命題論理や述語論理と言われるものですね。今となっては記号の意味もはっきりとは覚えていませんが。

今回はその論理学の話です、と言いたいところですが、とても無理です。ここではそんな興味からはじまっていくつかの著作を読んだことのある哲学者、沢田允茂のことばを紹介したいと思うのです。

沢田允茂は、去年の四月に亡くなりました。戦後日本における科学哲学の第一人者だった人です。その沢田允茂の『論理と思想構造』(講談社学術文庫)に次のようなことばがあります。

○科学的という言葉は、複雑な実験の装置のものものしさをバックに、素人に対して数学的な表現の知識の真理をおしつけることではありません。むしろ反対に、自己の理論の誤りをすべての人にためしてもらえるような形で提出すること即ち反証可能であるような形で理論を作り出すという謙虚さにあるといえるでしょう。(107ページ)

 また、次のようなことばも見られます。

○したがって、すべてを説明し、自己の全ての主張は絶対に間違いではないのだということを言いくるめる理論は、実は科学的ではないといわねばなりません。どんな説明不可能な現象が起こっても、それをうまく説明しうるように理論を再解釈せずに、むしろ理論の方が誤りうるのだ、と考えること、これが科学的ということのほんとうの意味であると考えねばなりません。(108ページ)

これらのことばは、カール・ポパーの科学の定義を踏まえたもので、科学とはなんであるかという問いに対する答えの一面を構成します。が、科学研究を志すかどうかに関わらず、わたし達が日常生活を送る上でも聞くべきものが含まれているように思います。

わたしたちはともすれば他人を批判するのに急で、自分をふりかえることを忘れてしまうことがあります。時には自己の主張をあくまでも通そうと強弁することも。わたしはそんな自分に気づいたときに、これらの沢田允茂のことばを思い出すようにしています。

それはそれとして、彼のこれらのことばを読むと、自分とは別世界のように思える科学の営みが、やはり人間性というか、人間の存在のありようと無関係ではなく、日常の生きた人間の世界とのつながりを感じることができて、とても面白く感じられます。

わたしの読む限りでは、沢田允茂という哲学者は、難解な哲学的概念に走ることなく、常識的な感覚を大事にして哲学的考察を深めてきた人であるように思えます。彼の著作は、論理学の入門書であっても、そんな彼の人柄を伝えてくれるものであったと記憶しています。古典的な哲学書は恐れ多くて近づく気になれない人も、彼の著作であれば親しみやすいと思います。これから読書の秋を迎えるにあたって、彼の本を手にとってみてはいかがでしょうか。

ヴォネガットと斎藤緑雨

[2007年08月07日(火) ]

先日ヴォネガットという作家についてご紹介しました。1960年代以降、主にSFの分野で活動を続け、一時期はアメリカの大学生を中心にカルト的な人気を誇った作家で、最近では爆笑問題の太田光さんが彼のファンだということが話題になっていて…、というような話を書いたように思います。

今回はそのヴォネガットの作品の一節と奇妙に符合する斎藤緑雨の寸言を紹介したいと思います。

ヴォネガットはいくつかの作品で特定の語句を頻用しています。たとえば、「チャンピオンたちの朝食」では「さよなら、ブルー・マンデー」を、「スラップスティック」では「ハイホー」をというように、短いフレーズをしばしば繰り返し使用するのです。

これらのフレーズは、その時々のヴォネガットの気分  多かれ少なかれ悲しみの色がつきまとうのですが  を込められることばだということなのでしょう。

「スローターハウス5」での頻出語は、「そういうものだ」です。この作品では、ヴォネガットが第二次世界大戦中にドイツ軍の捕虜であったときに経験した、ドレスデンの無差別爆撃が取り上げられています。作者はそこで悲惨な死、無意味な死、徹底的な破壊を目にしたようです。それは彼の一生に影を落とすことになりました。

「そういうものだ」とは、主人公のビリー・ピルグリムが時間旅行者として何度も自分の人生を生きねばならないことへの諦念を表すとともに、ドレスデン空爆という悲惨な出来事に向き合わねばならなかった作者の絶望と諦念を表していると考えられます。むかしSFマガジンに載っていたインタビューからうかがえる彼の誠実な人柄からすると、自己の経験を真正面から受け止めてしまったのだろうなと想像されます。

さて、そんな現代のアメリカの作家に配するに、斎藤緑雨とは何とミスマッチなとお思いになる方もおられることでしょう。彼は小説家でもあり、森鴎外らと小説時評などを手がける論客でもあったと言えば、およそいつ頃の作家か見当がつくでしょう。そう、緑雨は明治時代の作家なのです。

十年近く前に彼の全集が完結したと思いますが、文庫などで手軽に読むのは難しい作家の一人です。小説では辛うじて「油地獄」「かくれんぼ」が岩波文庫のラインナップに入っています。が、注や十分な解題もついていません。

「油地獄」などは異様な情念のありようがそれなりに面白い作品なのですが、語彙などの面で、気軽に人に勧められそうもありません。第一、復刊フェアでたまに若干部数が増刷されるだけなので、いつでも手に入るというものでもないのです。あと、彼のものした寸言集成が、岩波文庫(「あられ酒」)と冨山房(「緑雨警語」)から出ています。冨山房版には中野三敏さんの注とコメントがついていますから、緑雨の寸言、箴言、警句を見てみようと思われる方にはおすすめです。

さて、彼の寸言に次のようなものがあります。

○どうせ世の中は其様(そん)なものだ。この一語は、なける者をも慰むべく、怒れる者をも慰むべし。斯くして人口は年々増加すとも、減少することなし、めでたからずや。(冨山房版「緑雨警語」より)

どうでしょう。ヴォネガットの「そういうものだ」へのみごとな注釈になっていると思いませんか? ヴォネガットとは性質は違いますが、斎藤緑雨も彼なりの鬱屈の持ち主でした。それが関係しているのかどうかはわかりませんが、期せずして洋の東西で発想の一致が見られるのは興味深い限りです。わたしはこんな偶然の一致を見つけると何か楽しくなるのです。

ついでですから、緑雨の寸言、警語を「緑雨警語」からいくつか紹介しておきましょう。文語ですがあえて注はつけません。夏休みの自由研究として口語訳をしてみて下さい(笑)

○褒するに辞は限り有れども、貶するに限りなし。例せば利口といへるただ一つのほめ言葉に対し、馬鹿、阿房、間抜け、抜け作、とんま、とんちきなど、悪口は数ある如し。世とて人とて、到底そしられで果つまじきことは、これにて知るべし。

○相見ば恋は止むべきか、相逢はば恋は止むべきか、相語らば恋は止むべきか。切に求めて止むことなきものは恋なり。

○まこと世に忘らるるを得ば、こよなき幸ひなり。すくなくとも債権者の前には幸ひなり。名声の失墜、さばかり恐ろしきことかは。失墜するに足るべき名声のありけるを思へば、われもその一人として数へらるるにつけて、ひとり密かに慰むる所なくばあらず。願はくは長く今の地に墜ちて、再び揚がらざることを。

○無邪気は愛すべく、無責任は憎むべし。されども無邪気は、無責任の一種なり。

ちぎれる本─和本の話の続き

[2007年05月04日(金) ]

前々回に、明治時代のアダムとイブの挿絵などを紹介しながら、和本  日本で和紙を用いて作られていた本のことです  を巡る話題をお届けしました。

今回はその続きで、明治時代に西洋の技術を導入して作られた洋装本  今の文庫本や単行本の形を想像してください  を中心に、本の歴史の一端に触れてもらいましょう。前と同じように、画像で紹介するのはわたしの持っている本たちです。

まずひとつ目。



これは「校正古今和歌集講義(上・下)」という表題の本の一部を撮ったものです。明治26年に出版されました。この本は、いまの単行本に近い大きさの本ですが、表紙は固くありません。中学や高校の教科書のようなものを想像してもらうとよいでしょうか。洋装本という外形に合わせるように、中身も活字を用いて印刷されています。

画像が見にくくて申し訳ありませんが、よく見ると、今では使われていない仮名が使われていることがわかります。参考までに中央の大字の三行を現行の表記で書いて見ます。どこが違うかさがしてみて下さい。

  ば、かゝるべくなむあらぬ、いにしへのよゝのみか
  の月の夜ごとにさむらふ人々をめしてことにつけ
  らしめたまふ。

本の一部を拡大して撮っていますので、文意が通じませんそれはともかく、どの部分が違うかわかりますか?

そうです。「人々を」の「を」の部分、「ことにつけ」の「こと」の部分、「しめたまふ」の「し」の部分です。これらはそれぞれ、漢字の「越」を少し崩したもの、「こと」をくっつけて書いたもの、漢字の「志」を少し崩したものになっています。

今わたしたちは五十音それぞれについてひとつの仮名を使っています。が、歴史的な経緯をふり返ってみると、そんな風に仮名が整理されたのはごく最近のことです。一音一表記の原則が示されたのは明治23年(1900年)に公布された小学校令でのことでした。

それ以前は  いえ、それ以後もかなりの期間は  、一つの音を示す仮名は複数存在していました。たとえば、「あ」を表す仮名は、「安」「阿」「愛」「亜」「悪」などを崩したものが用いられていました。「か」を表す仮名などは、「加」「賀」「駕」「家」「可」など十種類あまりもあったのです。その他の音を表す仮名も、多かれ少なかれおなじように複数存在していました。これらの仮名を変体仮名と呼びます。注意しておきますが、「変態」じゃないですよ

もちろん、生活に密着した習慣性の高い事象が、ひとつの法令によってすぐに改まるわけもありません。小学校令公布後徐々にその方向に向かって整理が進みますが、一音一表記の仮名の原則が基本的に貫かれるようになるのは、かなり時代が降ってからのことです。ちなみに、現行の現代仮名遣いの体系への移行は、実に第二次世界大戦後のことなのです。

この「校正古今和歌集講義」も、小学校令公布の三年後に出版されていますが、やはり一音一表記の原則は守られていないわけですね。少なくとも小学校令公布後数年は、一音に複数の仮名が用いられたことがわかります。ここにも近世から近代への変化の跡を見ることができます。

次に挙げるのは、大正15年に出版された「竹取物語考」という本です。



和本の体裁になっていることがわかるでしょうか。用紙はちゃんと二つ折りになっています。



でも中を見ると、




こんな感じで、西洋の技術を導入した活字印刷になっています。本文をよく見てもらうと、もはや変体仮名は用いられていませんね。小学校例公布後三十数年も経つと、伝統を重んじそうな古典研究の分野でも変体仮名は用いられなくなっていることがわかります。

煩雑になりますので画像は挙げませんが、明治29年刊の「古今和歌集正義」(和本)では変体仮名が用いられています。一方、明治36年刊の「国語のため 第二」(洋装本)、明治42年刊の「謡曲拾葉抄」(洋装本)、明治44年刊の「古今和歌集新釈」(和本)、明治45年刊の「謡曲拾葉抄」(洋装本 42年刊のものとは出版社が違う別版です)では変体仮名は用いられていません。

前回に紹介した本も含めて一覧にしてみましょう。変体仮名のものには「変体」、一音一字のものには「一字」と記しておきます。

  変体 明治06年刊(和本)  「西洋夜話」
  変体 明治07年刊(和本)  「博物新編訳解」
  変体 明治26年刊(洋装本)「校正古今和歌集講義(上・下)」
  変体 明治29年刊(和本)  「古今和歌集正義」
  一字 明治36年刊(洋装本)「国語のため 第二」
  一字 明治42年刊(洋装本)「謡曲拾葉抄」
  一字 明治44年刊(和本)  「古今和歌集新釈」
  一字 明治45年刊(洋装本)「謡曲拾葉抄」(42年刊本とは別版)
  一字 大正15年刊(和本)  「竹取物語考」

どうやら出版物の世界では明治30年代の前半に一音一字の仮名の大系に移行したらしいことがわかります。もっとも、個人的な私信などの世界ではもっと後まで変体仮名は用いられていたことと思いますが。また、わたしが持っている本は主に古典の注釈書や国語学関係のものですので、一般書を調べてみるともう少し違った結果が出てくるかもしれませんが、大まかな傾向はこれでとらえることができようかと思います。

ところで、和本は和紙で作られていますから、軽くて水にも強く、とても長い寿命を持っています。それに対して、戦後しばらく本を作るのに使われていた酸性紙は、時間が経つにつれて、製造過程で使われた酸の影響で劣化が進んでいきます。そのため、今では、戦後十年ぐらいの間に作られた本は、冗談ではなく、扱い如何で壊れてしまいかねません。

例を挙げましょう。わたしの持っている学燈文庫の「平安日記文學」という本は、昭和二十八年に発行された第十二版です。その最終ページはこんな感じです。



かなり茶色いでしょう。これは大気汚染の影響もあるようなのですが、使われている紙の質にも問題があるのです。こんな状態になってしまった本の端っこに折れ目をつけて、二三度くきくきすると、



力を入れなくてもこんな感じでぺりぺりとちぎれてしまいます。本が壊れるということの意味をイメージしていただけたでしょうか。ちぎりとった紙片を手でもむと、文字通り粉々になってしまいます。

最近ではこんな劣化を防ぐために異なった紙質の紙を使うようになっているみたいです。また、劣化をくいとめる技術も進んできています。が、全国の図書館や読書家のみなさんの家で、この紙質の劣化が問題になることもあるのではないかなと、わたしは想像しています。

かなり以前のあいまいな記憶で申し訳ないのですが、わたしの卒業した大学にあるゾンバルト文庫という大きな文庫の蔵書が、紙質の劣化で利用しにくくなっているということがニュースになっていたと思います。洋紙を用いる洋装本は大量生産が可能なのですが、このような思わぬ問題点を持っているのです。

一方、和本はかなり前のものでも、折り返した折れ目がはっきり残ることはありません。和紙は復元性が非常に高いのです。「和本へのいざない」でも紹介したわたしの持っている三百年前の「伊勢物語」の版本でも、まだ和紙の復元性は残っています。

こんな風に強く折れ目をつけても、



もとへ戻せば、ほらこの通りうっすらと線が残る程度です。



大量に生産しにくい、薄くて均質なものを作るのが難しいなど、和紙には短所もありますが、丈夫で軽いという捨てがたい長所もあるのです。みなさんも和本に触れて和紙の手触りを味わってみて下さい。少し大きな図書館なら必ず和本の蔵書があるはずです。あまり古いものでなければ、貴重書の指定も受けていないでしょうから、気軽に閲覧できるはずですよ。

あ、その際の注意点をひとつ。全部自分の本ですからこんなことをやってますが、みなさんは図書館などの本をくれぐれもこんな風に扱ったりしないで下さい図書館のブラックリストに載せられて本を借りられなくなるかもしれませんよ

え、どうしてこんな本を持っているのかですって? え〜と、欲しかったからです。ちょっと値段の高いものもありましたが、思い切って買ってしまいました。う…。耽読翫市ならそんなもの変えないはずだろうですって? …そういえば……。う〜ん、耽読眼市の看板に偽りがあるということになるのでしょうか

和本へのいざない

[2007年04月17日(火) ]

耽読翫市というブログ名を標榜しておきながら、考えてみれば、あまり、というかほとんど本の話を書いていません。まさに看板に偽りあり状態です。
それではあんまりなので、今回はわたしの持っている本を紹介していきながら、和本の話をしましょう。

和本というのは、今わたしたちが単行本や文庫本として目にしている本ではなく、日本で古くから作られていた伝統的な本のことを言います。和紙と墨と糸と少量の布で作られます。例をあげましょう。こんな感じのものですね。


元禄14年に出版された伊勢物語


こんなのも。


先哲叢談


こんなのもあります。


西洋夜話


最初のは、元禄14年(1701年)に出版された伊勢物語です。今からざっと300年前の本で、わたしの持っているものの中ではいちばん古いです。古いだけあってけっこうぼろぼろです。中身を見てみましょう。



ところどころに左ページのような挿し絵があります。本文はうねうねと続く字で書かれています。「続け字」と言います。たぶん読めない方がほとんどではないでしょうか。試しに右半分を拡大してみますね。



ちょっと見にくいかもしれませんが、二行目の和歌を今の字体に直してみます。

   おきもせすねもせてよるをあかしては春の物とてなかめくらしつ

どうですか。読めますか? こんな字を一昔前の人たちは普通に読んだり書いたりしていたのです。近代化の過程で日本には大きな変化があったことがうかがえますね。

ところで、このうねうねと続く字、筆で書いたように見えますが、実は印刷です。版画のように木を彫って墨を塗って刷ってあります。そのあと、その紙を二つ折りにして重ねていき、端を糸でとじます。今で言うなら工芸品のような感じです。とても大量生産には向きません。

   まず紙に文字を書く
    ↓
   裏向きに木の板(板木と言います)に貼り付ける
    ↓
   彫る
    ↓
   墨を塗って刷る
    ↓
   紙を重ねて針で穴を開けて、上下に布をあてつつ糸でとじる

和本は、何人かの職人が関わって、こんな手順で作られていきます。途中までは版画と同じような要領だと思ってください。ちなみに、先哲叢談の表紙右端に見える白い線が綴じ糸です。

その「先哲叢談」は文化13年(1895年)に出版されました。中身を見てみましょう。



ちょっと文字がぼやけて分かりづらいですが、こちらは漢字ばっかりです。やはり版画と同じ方法で作られています。すごいですねこの「先哲叢談」は、江戸時代の有名な儒学者の逸話を集めたものです。新井白石や林羅山なども登場します。漢字を読み解くことを面倒がらなければ面白い本です。

最後の「西洋夜話」は明治6年に出版されました。明治時代になっても同じような作り方で本が作られていたことがわかります。明治維新でがらりと世の中が変わったわけではないのです。とは言え、明治時代になると日本も近代化の方向へ進んでいきます。その過程ではこの「西洋夜話」のようなちょっと毛色の変わった本も作られました。どこが変わっているのかというと、まずは次の絵をごらん下さい。



この絵、誰だと思いますか? アダムとイブです。とても日本人体型ですね「西洋夜話」に載っています。「西洋夜話」は、聖書時代からの西洋の歴史の概説書だと思ってください。純粋な翻訳ではないので、アダムとイブの説明部分にはイザナキ、イザナミの二神が飛びだしたりします。西洋の知識を日本風にアレンジした内容で、本の作りも和本なのですね。上の絵の載っているページの見開きはこんな感じになっています。



右ページの後ろから四行目には、イザナキ、イザナミの神が「伊邪那岐」「伊邪那美」と漢字表記で書かれています。かすれていて見にくいですが。

もうひとつ、近代への過渡期を感じさせる本を紹介しましょう。それは「博物新編訳解」という本です。理科の教科書と思えばいいでしょうか。それがこんな感じの本に作られています。



どう見ても和のテイストがぷんぷんしています。でも、中身を見ると、とても西洋っぽい絵柄です。



じゃあ、西洋風かというと、よく見ると説明が漢字ばかりです。実は序文も漢文で書かれています。この本は西洋の科学知識を伝えようと作られたものなのですが、科学用語の翻訳ひとつをとっても、まだまだ過渡期の翻訳書で、西洋のものが消化しきれていないなという印象を受けます。出版年は明治7年。もっとも、その時点ですでに「再刻」と書かれていますから、それ以前にこの本はすでに出版されていたらしいということがわかります。

その他にも江戸時代末〜明治三十年代ぐらいにかけて出版された本を見ていくと、西洋化、近代化の波を受けて、日本がどんな風に変化していったかをうかがうことができます。古い本は日本の歴史的な歩みを映し出しているということです。もちろん、和本だけじゃないですよ。洋装本と言われる本にしても、やはり歴史の歩みを映し出しています。次の機会にはそんな本についてもご紹介したいと思います。

本の外形だけでなく中身にももっと触れたいところですが、あまりにも長くなってしまいます。本を巡る話題はまた折に触れてとりあげていくこととして、この項を終えることにします。みなさんも古本屋さんの前を通ることがあれば、古い日本を探しに入ってみて下さい。

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