[2007年10月22日(月) ]
垂渓庵です。
雑事煩多でなかなか前々回のクイズの解答・解説を書けません。
とりあえず解答だけを示しておきます。
いちおう念のために、前々回のなぞなぞは、
「母には二たび会ひたれども父には一度も会はず」
さてさてそれはいったい何でしょう? というものでした。
答えは「唇(くちびる)」です。
答えを知っている人はともかく、そうでない人はこの答えはまず思い浮かばなかったことでしょう。なぜ唇なのか。その答えを解く鍵は日本語の発音の変化 特にハ行音の発音の変化 にあります。
が、どのような変化なのかという説明は次回に譲りたいと思います。
[2007年10月04日(木) ]
久しぶりにクイズを出題しようかと思います。国語の教師が古文の時間に話すネタだろうと思いますので、ご存じの方も多いかもしれません。
母には二たび会ひたれども父には一度も会はず
それはいったい何でしょう?
これは『体源抄』という室町時代の雅楽書に出てくるなぞなぞです。当時の人でなければ、答えは絶対わからないこと請け合いのなぞなぞです。いや、答えを聞いても現代人にはわけがわからないこと請け合いの、と言った方がいいでしょうね。
その解説をする前に、もう少し簡単なのを答えつきで紹介してみます。わかるでしょうか。
1 はにほへと
2 垣のうちの笹
3 上を見れば下にあり、下を見れば上にあり、
母の腹を通りて子の肩にあり
そのように説明することのできるものはいったい何でしょうか。
1の答えは「岩梨」。「いは無し」からきているのですね。2の答えは「かささぎ」。「垣(かき)」の中に「笹(ささ)」があるでしょう。3の答えは数字の一です。「上」「下」「母」「子」の字を観察してみましょう。横に長い一画の位置がポイントです。
以上の例は『ことば遊び』(鈴木棠三著 中公新書)から引用しました。
さて、最初のなぞなぞの答えは…。次回にということにしておきましょう
[2007年06月06日(水) ]
時間がとれず意外に手間取ってしまいましたが、やっと解説までたどりつけました。
古い和歌で字余りが生じている場合、句の途中に「あ」「い」「う」「お」があるという点まで書いていたかと思います。もう一度いくつか百人一首の例歌を確認しておきましょう。
まずは小野小町の歌です。
はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
第一句の「はなのいろは」という部分に字余りが生じています。この場合は「い」が含まれています。
みかきもり えじのたくひの よるはもえ ひるはきえつつ ものをこそおもへ
これは大中臣能宣の歌です。第五句「ものをこそおもへ」が字余りになっています。「お」が含まれていますね。次は在原行平の歌。
たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ
第三句の「みねにおふる」が字余りになっています。「お」が含まれています。
その他これ以上例を確認することはしませんが、前回挙げた歌の字余りの句には全て句の途中に「あ」「い」「う」「お」が含まれています。こんな場合を「句中に単独母音が存在していて字余りを生じている」と言うことにしましょう。
この事実そのものには本居宣長もすでに気づいていたようです。しかし、その説明は橋本進吉の研究やそれを受けた佐竹昭広の研究まで待たなければなりませんでした。また、わたしの大学時代の恩師の一人でもある毛利正守先生も、その理解を一段と深められた一人です。
それでは、そもそもどうして句中に単独母音が存在すると字余りが生じるのでしょうか。以上の方々の研究を踏まえて、謎解きをしてみましょう。その謎を解くためには、実は古い日本語の音の特徴について考えなければならないのです。
日本語には、語中で母音が連続する場合には、前の母音が脱落したり、後の母音が脱落したり、合体して別の母音に変化したりして、母音同士の接触を避けるような傾向があったのです。時代が古くなればなるほどその傾向は強まります。
具体的に例を挙げて説明しましょう。「倭名類聚抄」という古い辞書があります。漢語の訓が示されている辞書だと考えて下さい。後撰和歌集の撰者の一人である源順(みなもとのしたがう)がまとめたものです。
その辞書にある「紅藍」ということばに、「くれのあゐ」という訓がつけられています。この訓については、通常、語源的には「呉(くれ)の藍(あゐ)」であると説明されます。中国から伝わった染料あるいはその染料の色だと考えていただけばいいでしょうか。
「紅」という字が含まれていることからわかるように、この「紅藍」というのは、赤系統の染料のようで、今では一般的には「くれない」と呼ばれる色にあたると考えることができます。つまり、語源的には「くれのあゐ」だけれども、実際に発音する際には「くれない」という形で発音されているというわけです。ローマ字書きしてみると、「kurenoawi」の「oa」が変化して「a」になっていますね。ちなみに、「wi」が現代語では「i」になっているのはまた別の種類の変化です。
もう一つ、先に挙げた小野小町の歌の第五句に注目してみましょう。「ながめせしまに」とあります。高校の古典の授業などで解説を受けた方も多いと思いますが、「ながめ」の部分には、「眺め」と「長雨」が掛けられています。「長雨」は本来は「ながあめ」であるはずなのですが、ここでは「ながめ」と読まれているのです。やはりローマ字表記してみると、「nagaame」の「aa」の部分が「a」になっちゃってるわけです。
和歌の句中に単独母音が表れる場合も同様の傾向というか原理というかが働くのだと考えれば、特に古い和歌において字余りを生じている場合には高い確率で句中に単独母音が含まれているわけも理解できるのではないかと思います。さらに言うと、字余りが生じていても母音が一つ消えるわけですから、口に出して発音する場合には、字余りになっているけれども、音余りにはなっていないのではないかと考えることができます。
ところで、この母音同士の接触を避けるという傾向のために、古代の日本語では、途中や末尾に単独母音を含む単語は存在しませんでした。現代では発音の体系なども変化してしまっていますので、そうはなっていませんが。古語辞典をお持ちの方は一度パラパラとめくってみて下さい。漢語由来のものででも無ければ、語中や語尾に単独母音を含む語は存在しないことがわかるはずです。
ところで、万葉集でこの字余りについて調べてみると面白いことがわかります。万葉集歌全部はとても紹介しきれませんので、巻一の短歌の例を次に書き出してみます。便宜上、句中に単独母音があって字余りが生じている場合は赤字で、句中に単独母音があるけれども字余りが生じていない場合を青字で表します。引用元は塙書房の『萬葉集 本文編』、番号は旧国歌大観の番号です。
たまきはる うちのおほのに うまなめて あさふますらむ そのくさぶかの 4
やまごしの かぜをときじみ ぬるよおちず いへなるいもを かけてしのひつ 6
あきのの みくさかりふき やどれりし うぢのみやこの かりいほしおもほゆ 7
にきたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな 8
わがせこは かりいほつくらす かやなくは こまつがもとの かやをからさね 11
みわやまを しかもかくすか くもだにも こころあらなも かくさふべしや 18
むらさきの にほへるいもを にくくあらば ひとづまゆゑに あれこひめやも 21
かはのへの ゆついはむらに くさむさず つねにもがもな とこをとめにて 22
うちそを をみのおほきみ あまなれや いらごのしまの たまもかります 23
よきひとの よしとよくみて よしといひし よしのよくみよ よきひとよくみ 27
ささなみの しがのからさき さきくあれど おほみやひとの ふねまちかねつ 30
ささなみの しがのおほわだ よどむとも むかしのひとに またもあはめやも 31
いにしへの ひとにわれあれや ささなみの ふるきみやこを みればかなしき 32
これやこの やまとにしては あがこふる きぢにありといふ なにおふせのやま 35
みれどあかぬ よしののかはの とこなめの たゆることなく またかへりみむ 37
あみのうらに ふなのりすらむ をとめらが たまものすそに しほみつらむか 40
あきののに やどるたびひと うちなびき いもねらめやも いにしへおもふに 46
まくさかる あらのにはあれど もみちばの すぎにしきみが かたみとそこし 47
かはのへの つらつらつばき つらつらに みれどもあかず こせのはるのは 56
よひにあひて あしたおもなみ なばりにか けながきいもが いほりせりけむ 60
あしへゆく かものはがひに しもふりて さむきゆふへは やまとしおもほゆ 64
あられうつ あられまつばら すみのえの おとひをとめと みれどあかぬかも 65
おほともの みつのはまなる わすれがひ いへなるいもを わすれておもへや 68
みよしのの やまのあらしの さむけくに はたやこよひも あがひとりねむ 74
うぢまやま あさかぜさむし たびにして ころもかすべき いももあらなくに 75
ますらをの とものおとすなり もののふの おほまへつきみ たてたつらしも 76
わがおほきみ ものなおもほし すめかみの つぎてたまへる わがなけなくに 77
とぶとりの あすかのさとを おきていなば きみがあたりは みえずかもあらむ 78
あをによし ならのいへには よろづよに われもかよはむ わするとおもふな 80
うらさぶる こころさまねし ひさかたの あめのしぐれの ながれあふみれば 82
わたのそこ おきつしらなみ たつたやま いつかこえなむ いもがあたりみむ 83
一見してわかるように(わかりにくいかもしれませんが
)、第一、三、五句の句中に単独母音が出現するときはほぼ百パーセント字余りを生じています。一方、第二、五句の句中に単独母音が出現するときは、字余りになる例もありますが、半数以上は字余りを生じていません。このことはいったい何を物語るのでしょうか。
わたしが学生だった頃の知識で言うと、それは和歌の唱詠法 節回しや抑揚などと考えればいいでしょうか の差ではないかと説明されていました。単純化して言うと、第一、三、五句は、単独母音の接触を避けるという日本語の特徴と一致する唱え方で、第二、四句は、それぞれの文字をひとつひとつ独立して発音するような唱え方だったということです。
具体的な唱詠法自体は残念ながらわかりませんが、字余りという現象から、既に失われてしまった唱詠法を考察する手がかりが導き出されるなんて面白いと思いませんか?
[2007年05月23日(水) ]
試験期間前でなかなか更新のためのまとまった時間をとれません。とりあえず答えをアップしておきます。その意味づけなどについては近日中に書きたいと思います
詳しく述べようと思うと、日本語の音韻の歴史などについても触れないといけなくなり、いずれにしても手に余ることになりそうです。でも、答えだけを示してそれで終わりというのではあんあんまりですよね。わたしが読み手なら消化不良でとても気持ちが悪くなります
試験終了後にがんばってみます
さて、正解は、字余りの句の途中には必ず「あ」「い」「う」「お」のどれかの文字が入っている、です。
確認のために前回の例歌を挙げてみましょう。
はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに
たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ
たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ
みかきもり えじのたくひの よるはもえ ひるはきえつつ ものをこそおもへ
ひともをし ひともうらめし あぢきなく よをおもふゆえに ものおもふみは
ふくからに あきのくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ
分かりやすくするために、字余りの句の途中に出てくる「あ」「い」「う」「お」を、赤い文字にしてあります。みごとに字余りが生じている句中には「あ」「い」「う」「お」が単独で出てくるでしょう。なぜそんなことになるのか説明をしたいところなのですが、次回までお待ち下さい。
[2007年05月16日(水) ]
和歌には字余りという現象があります。五七五七七の五句、計三十一文字で形作られるのが普通の和歌。それが時に六七五七七や五八五七七のように、五文字の句が六文字に、七文字の句が八文字になったりします。
たとえばこんな具合です。
はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに
この字余りには法則があります。特に平安時代前期あたりまでの和歌についてはとても規則性の高い法則です。もう少し字余りの和歌の例を挙げてみます。どんな法則か考えてみて下さい。この法則は日本語の発音の特徴と結びついています。答えも含めてそこら辺の解説は次回ということで。
字余りの歌の例(百人一首から引用しました)
たごのうらにうちいでてみればしろたへのふじのたかねにゆきはふりつつ
たちわかれいなばのやまのみねにおふるまつとしきかばいまかへりこむ
みかきもりえじのたくひのよるはもえひるはきえつつものをこそおもへ
ひともをしひともうらめしあぢきなくよをおもふゆえにものおもふみは
ふくからにあきのくさきのしをるればむべやまかぜをあらしといふらむ
手近に万葉集や古今和歌集がある人は開いてみて下さい。
簡単に他の例を見つけられると思います。
[2007年03月14日(水) ]
はじめてこの日記に来られた方は、昨日の日記を読んで下さいね。昨日はクイズを出題しました
昨日の記事に、Z会ブログでブログをやっておられる野中すみれさん(野中さんのブログ)からコメントを寄せていただき、このブログをお読みいただいている方の中に、SF者がいるということがわかりました。心強い限りです
野中さん、コメントを返しておきました
ちなみに野中さんのお好きなグィンの漢字表記は「娥蘇拉;勒瑰恩」です
さて、前回の問題の答えを書いておきましょう。
1 儒勒・凡尓納→ ジュール・ヴェルヌ
2 威尓斯 → ウェルズ
3 阿西莫夫 → アシモフ
4 海因来因 → ハインライン
5 克拉克 → クラーク
6 別利亜耶夫 → ベリャーエフ
できましたか?
国語力検定にも、Z会の模試にも出てくることは絶対ありませんが、SF者のみなさんは覚えておきましょうね。これらの漢字表記でネットで検索をかけると、中国のSFサイトが出てきますよ。漢字ばっかりの検索結果が表示されます
こんな感じです。儒勒・凡尓納
阿西莫夫
簡体字、繁体字が入り乱れていますね。
野中さんというSF者もいらっしゃることですし、せっかくですから、阿西莫夫の「機器人三定律(ロボット三原則)」を挙げておきましょう。”I, Robot”に出てきましたよね。
第一法則、機器人不得傷害人類、或袖手旁觀坐視人類受到傷害。
第二法則、除非違背第一法則、機器人必須服從人類的命令。
第三法則、在不違背第一及第二法則下、機器人必須保護自己。
「中外科幻故事」にもひかれているのですが、ぱっと見てわかりにくいので、中国版Wikipedia「維基百科」から引用しました。日本語訳はこちら。英語の原文もついています。が、高校生のみなさんは、まずは漢文風に読み下してみましょう
[2007年03月13日(火) ]
表題の文字が読めますか?
有名なので読める人も多いでしょうね。答えはコカコーラ。
他にも、「麦当労(マクドナルド)」「肯徳基(ケンタッキー)」のように、中国では漢字を組み合わせて外来語の音を表すことがあります。
また、「微軟(マイクロソフト)」「視窓(ウィンドウズ)」のように意訳をする場合もあります。
ただし、人名は前の方法で表記されるようです。
確かに、「カーペンター」さんが「大工」さんなどと表記されたりすると変ですよね
カーペンターさんはカーペンターさんじゃなくっちゃいけません。
カーペンターさんがパン屋さんだったら、「パン屋さんのカーペンターさん」が、
「パン屋さんの大工さん」になっちゃいますからね
というところで本題です。
去年中国に行った際に、「中外科幻故事精講」(安徽文芸出版社刊)という、海外SFのアンソロジーを買ってきました。