[2007年12月20日(木) ]
垂渓庵です。
いよいよあと少しで二学期も終わりです。長かったような短かったような。
中学一年生も二学期の後半になると、学校に馴染んできて地を出すようになってきます。時にはちょっとした喧嘩やトラブルが起こることもあります。
ま、深刻なイジメなどでなければちょっとした喧嘩ぐらいええんと違うのん、というのが昭和に少年時代を送ったわたしの本音なのですが、担任をしているとそうも言っていられません。喧嘩やトラブルの仲裁、説諭などなどをすることになります。
幸い今年の中一は、担任団をあたふたさせるようなとんでもないことをしたりはしなかったので、そういう意味では幸いでした。
さて、学期末には、そのような生徒の行状・成績などを保護者と話し合う保護者懇談が行われます。わたしの勤務校でも目下懇談の期間に入っています。この時期の懇談は三者で行われます。年度内最後の懇談になりますから、今後の生活や学習について生徒も交えて確認しておいてもらおうという意図があるのです。
二者と三者というのは、懇談の場に生徒がいるかいないかの違いだけのようですが、ご家庭の側にとっても、担任の側にとっても印象がだいぶ異なってきます。担任の立場で言うと、それぞれにくみ取れる内容が違ってくる、となります。
三者でやると、生徒と保護者の関係性をうかがい知ることができます。ああ、こいつは今お母さんに反抗的なんだなとか、こいつのお父さんはお父さんが思っているほどこいつに受け入れられてないなとか、こいつの家庭は至極円満でお互い親密な関係を保てているんだなというようなことがほの見えてきます。また、生徒もその場にいますので、生活面や学習面で今後こうしてほしいということを伝えるにも三者の方が好都合です。
しかし、三者でやる弊害もあります。三者懇談の場合、子供がいる手前、お父さん、お母さんの本音の本音の部分が出てこない場合があるのです。それこそ学校に残してでも勉強をさせてほしいですとか、クラブをいったん休ませてほしい、この子は手に負えません、といったような本音です。子供がいると、そういう子供にとっていやごとにあたることが言えない人もいるみたいなんですね。かつて担任していたある生徒の保護者は、あとで電話でそのむねを伝えてこられました。
逆に担任という第三者がいるので、子供に対する不満をここぞとばかりにぶちまける親ごさんもおられます。ごく希に、担任そっちのけで親子げんかを始められる場合も(−−)ただし、そういう例はやはり少ないです。幸い今年はそんな場面にはまだでくわしていません。
子供がいると話しにくいと思っておられる保護者の方は、できれば二者でやりたいと言ってこられます。そんな場合は生徒に対する文句、呪詛、怨嗟の声が聞こえてきます。と言うと少しオーバーですが、家庭での過ごし方について何らかの相談を持ちかけてこられることが多いようです。
二者懇談の場合は三者の場合と逆で、生徒がいませんからお父さん、お母さんの口も幾分なめらかになります。一種の欠席裁判のようなものですから、あまり遠慮する必要がなくなるのですね(笑)そして、ご家族の本音が聞こえてきたりするわけです。場合によっては、いわゆる家庭の事情が明かされることもあります。生徒がいないので、こちらもそれらの点について気になることがあればつっこんで質問しやすいですしね。
しかし二者懇談の場合は、話がどうしても一方的になってしまいますので、生徒が自分の家庭や両親にどのような気持ちを抱いているのか、家庭での立ち位置はどんなものなのかが見えにくくなってしまいます。それが生徒の学習意欲に影響を与えているときもあるのですが。
生徒と保護者との関係性を見、生徒に生活面などで注意を促すには、三者懇談が向いていますし、生徒を取り巻く家庭環境などを知り、親御さんの本音を知るには二者懇談が向いているわけです。
そんなこんなの懇談も残すところあと半分となりました。このまま波乱が起こることなく終わってほしいものです。