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科学的ということ

[2007年09月20日(木) ]

わたしは大学在学時から論理学に興味を持つようになりました。大学一回生の時、一般教養の科目として開講されていた「論理学」の授業に出席したことがきっかけです。大学時代にはそれ以後も折に触れて論理学の入門書めいたものを読んでいました。

と言っても、アリストテレスのような古典的な本を読むことはありませんでした。読んだのは主に記号論理学関係の本です。命題論理や述語論理と言われるものですね。今となっては記号の意味もはっきりとは覚えていませんが。

今回はその論理学の話です、と言いたいところですが、とても無理です。ここではそんな興味からはじまっていくつかの著作を読んだことのある哲学者、沢田允茂のことばを紹介したいと思うのです。

沢田允茂は、去年の四月に亡くなりました。戦後日本における科学哲学の第一人者だった人です。その沢田允茂の『論理と思想構造』(講談社学術文庫)に次のようなことばがあります。

○科学的という言葉は、複雑な実験の装置のものものしさをバックに、素人に対して数学的な表現の知識の真理をおしつけることではありません。むしろ反対に、自己の理論の誤りをすべての人にためしてもらえるような形で提出すること即ち反証可能であるような形で理論を作り出すという謙虚さにあるといえるでしょう。(107ページ)

 また、次のようなことばも見られます。

○したがって、すべてを説明し、自己の全ての主張は絶対に間違いではないのだということを言いくるめる理論は、実は科学的ではないといわねばなりません。どんな説明不可能な現象が起こっても、それをうまく説明しうるように理論を再解釈せずに、むしろ理論の方が誤りうるのだ、と考えること、これが科学的ということのほんとうの意味であると考えねばなりません。(108ページ)

これらのことばは、カール・ポパーの科学の定義を踏まえたもので、科学とはなんであるかという問いに対する答えの一面を構成します。が、科学研究を志すかどうかに関わらず、わたし達が日常生活を送る上でも聞くべきものが含まれているように思います。

わたしたちはともすれば他人を批判するのに急で、自分をふりかえることを忘れてしまうことがあります。時には自己の主張をあくまでも通そうと強弁することも。わたしはそんな自分に気づいたときに、これらの沢田允茂のことばを思い出すようにしています。

それはそれとして、彼のこれらのことばを読むと、自分とは別世界のように思える科学の営みが、やはり人間性というか、人間の存在のありようと無関係ではなく、日常の生きた人間の世界とのつながりを感じることができて、とても面白く感じられます。

わたしの読む限りでは、沢田允茂という哲学者は、難解な哲学的概念に走ることなく、常識的な感覚を大事にして哲学的考察を深めてきた人であるように思えます。彼の著作は、論理学の入門書であっても、そんな彼の人柄を伝えてくれるものであったと記憶しています。古典的な哲学書は恐れ多くて近づく気になれない人も、彼の著作であれば親しみやすいと思います。これから読書の秋を迎えるにあたって、彼の本を手にとってみてはいかがでしょうか。

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