[2007年12月06日(木) ]
垂渓庵です。
受験生本人、受験生を抱える親御さん、塾や学校関係者の方々の中には合格祈願に神社やお寺にお参りする方も多いと思います。
わたしは平均的な日本人ですので、折に触れて社寺に行っては手を合わせますし、その時には家内安全などを願うこともありますが、実は高校や大学、大学院の入試の際に合格祈願をしたことはありません。ついでに担任をしている生徒の受験の時も。
もちろん、入試の発表の時にはどきどきしましたし、神仏に頼りたいなという気持ちも起こらないではないのですが、とある思いがそうするのを止めさせるのです。自分の幸せを守りたいレインボーマンが、この世の悪を倒すためにその夢を捨てなければならなかったのと似ています。え、似てませんか?
合格祈願をためらわせる思いとは単純なものです。わたしが合格するということは誰か一人が不合格になることを意味します。
そもそもわたしが神仏の嘉するすばらしい人間であればまだしも、わたしにはごく普通の人間であるという自覚があります。そうである以上、神さまや仏さまがわたしにだけ都合がいい願いを聞き入れてくれるはずがないと思うのです。いや、そんなアンフェアなことを願っちゃいけないと言う方が正確でしょうか。
神さまや仏さまがいるのかどうかわたしには分かりませんが、もしもこの世にそのような存在がいたとしても、少なくともそんな身勝手な願いを聞いてくれるような存在ではないはずです。いや、そうあってもらっては困ります。そんな恣意的な神さまや仏さまなんてわたしにとってははた迷惑な存在です。
とは言え、やはり入試などの際には何かにすがりたくなるものです。わたしも全く平常心でいられるわけもありません。そこでわたしは受験の年に初詣に行く際には、次のようにお祈りをしました。
自分も含む受験生全部が
自分の力を十分に発揮できますように。
そんな風にお願いすることで、自分は他の奴と違うと思いたかったのかもしれません。しかし、このお祈りは自分の精神面だけに限れば効き目十分でした。タイガーマスクのようにフェアープレーで切り抜けようとしているという自覚が自信につながったのだと思います。
数多くの合格祈願にうんざりの神さま仏さまも、こんな願いなら聞いてくれるような気がしませんか? 全国の受験生の皆さん、神仏に合格を祈願するなとは言いませんが、それなりに真面目に勉強してきたという自覚を持っているのなら、こんな風に祈ってみるのもいいかもしれませんよ。
わたしは来年初詣に行ったときも同じように祈るつもりです。
わたしが教えた生徒たちを含む受験生全部が
自分の力を十分に発揮できますように。