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数学教育

[2007年08月27日(月) ]

わたしは数学は得意ではありません。はっきり言うと不得意です。が、そんなわたしにも数学的才能がありました。と言い切っていいのかどうか少し心許ないですが、たぶんあったのだと思います。今日はそのわたしの数学的才能が、どのようにして伸ばされずに終わったかの顛末を書きたいと思います。

わたしの数学的才能はおそらく小学校5、6年のころにピークを迎え、以後衰退の一途をたどりました。山にたとえるなら、ないも同じのピークとだらだら続く裾野という、曰わく言い難い姿になります。大阪の天保山に変に長い尾根がくっついているようなものですね。あまりの情けなさに、ローマ帝国にたとえる気にもなれません(涙)

とにかく、そのあるかないかのピークについて説明しましょう。小学校5、6年のころ、算数の立体の授業があり、正四面体、立方体、直方体〜正十二面体(?)などなどの多面体について教わりました。そのとき配布されたプリントに印刷されているいろんな立体の絵を見ながら、わたしは何となく思ったのです。この立体というものの面や辺の数に何かきまりはないだろうか、と。

思い立ったらすぐ実行です。わたしはもらったプリントに書いてある立体の辺の数と面の数と頂点の数を数えていったのです。そうすると、面白いことがわかってきました。

           辺    面    頂点
  正四面体    6    4     4
  正六面体   12    6     8
  正八面体   12    8     6
  正十二面体  30   12    20
  正二十面体  22   20    12

どうですか、みなさん、わかりますか?
そうです。なんとも不思議なことに、辺の数から面の数を引いて2を足すと頂点の数になるのです。

このきまりを発見した時のわたしの興奮はいかばかりのものだったか。何とも言えない高揚感がわたしを包み込みました。世界の秘密に至る鍵をわたしは手にしている、みたいな。オーバーですか? でも、それぐらい興奮しました。あの時以来、わたしは「ユーレカ!」と叫んだアルキメデスの気持ちがよくわかるようになりました。

どうして「2」という数字が出てくるのかはわかりませんでしたが、どうやら「辺の数−面の数+2=頂点の数」という法則が成立しそうだなと思いました。そこでわたしは正多面体じゃない立体でもこのきまりが成立するのか調べてみることにしました。

方法としては単純なものです。同じく授業で習った三角柱や四角柱でも辺や面や頂点の数を数え、一つの頂点を中心に立方体などをカットした図形を作図して、それについても同じ作業をしたのです。その検証作業をする間の少し不安だけれどもわくわくする気持ちは今でも覚えています。選ばれてある者の恍惚と不安がわたしを包みます。

結果は満足すべきものでした。

        辺   面   頂点
  三角柱  9   5    6
  四角柱 12   6    8
  六角柱 18   8   12
 立方体の一部をカットしたもの
       辺  面  頂点
       15  7  10

その他いろいろな多面体を考えたのですが、どれも成り立ちました。ただし、次のようなものは例外になるようです。

 立方体に三角錐状の穴を開けたもの
        辺  面  頂点
        18  9  12
 立方体に四角錐状の穴を空けたもの
        20 10  13   

こんな風にへこみのある多面体は先のようにはうまく説明できなかったのではないかと思います。何しろ三十年近く前のことなので、記憶がとても曖昧で、ひょっとしたら思い違いかもしれませんが。

いずれにしても、わたしは世界の秘密を手にしたのです。翌日、喜び勇んで先生に報告に行ったことは言うまでもありません。

わたしの説明を聞いた先生は、いとも簡単にこう言い放ちました。
「ああ、それはオイラーの定理と言うんや。」
ガーンを15乗したくらいのショックです。
「違わい。オイラーの定理じゃないやい。おいらの定理だい!」
今ならそんな風に返すことも可能ですが、あの時の落ち込んだ気分と言ったら…。
こうして、フェルマーの最終定理を10年は早く発見したに違いない未来の大数学者は、敢えなく可能性の海の中に消えてしまったのです。

わたしはあの先生に何の恨みもありませんが、せめて、
「おお、それは大数学者のオイラーがやっと発見した定理やぞ。すごいなあ、お前!」
ぐらいのことを言ってくれていたらと思わずにはいられません。そうすればわたしもゆくゆくは数学界に多大の貢献をできたのですが(笑)

創造性を伸ばす教育、やる気を引き出す教育。それはもちろん100マス計算などのメソッドによる部分もあるでしょうが、教師の側の適切なひと言、絶妙の働きかけによるところも大きいのではないかなと思う次第です。そういう意味では数学教育だけに限らず、国語やその他の教科でも同じことが言えると思いますが。

コメント

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>野中さん。
わたしはシニカルではありませんが、真面目な質問にもコミカルに返してしまうことがありますので、重量級の真面目さを持っている生徒に呆れられてしまうことがあります性分ってやつですね。

幸いわたしの担当教科は国語ですから、未来のフィールズ賞や猿橋賞の受賞者の可能性を奪うことはせずにすんでいます。芥川賞や直木賞も国語の授業とはあまり関係ないですから、生徒が可能性を発展させる邪魔はしていないかな、と(笑)

わたしが大学の国語国文学科に所属していたときは、先生が6人で同期が7人ととても恵まれていました。逃げようがないというか、とても濃密な学生生活でした(笑)大学院に残った関係でどの先生にも絞られました。その点では大学/大学院時代が一番充実していたかもしれません。

とにかく、生徒に悪影響を与えないように心しようと思います
野中さんありがとうございました。
Posted by:垂渓庵 at 2007年09月03日(月) 13:11
垂渓庵先生、おはようございます。
同感ですっっっっ。
それは、小・中学生でなくても同じだと思っています。

中学のときは、英語の先生のシニカルな授業に憤慨して「負けるもんか!」と勉強しました。反面教師に鍛えられたケースですが、くさっちゃった友達もたくさんいました。

高校では、中学以上に「高校は自分で学びたくて来たんだろう?」という態度の先生が多く、私も理系の道を断たれました。(笑)猿橋賞候補者がここで一人いなくなりました…。(爆!)
そんな高校でも、やる気を出させる、どんなにその教科に興味がなかった生徒も振り向かせる先生がいらっしゃったのは、ありがたかったです。

大学は高校以上にやる気を出させる先生の力量が問われると思いました。大学に勤めることは、ご自分が研究なさるだけでなく、後継の若い研究者を育てるということでもあるとわかっている先生にはなかなか当たりませんでした。

ほかに、語学学校などを通じて感じたのは、教える人がまっすぐに生徒に情熱を向けられるかどうか、でしょうか。シニカルな先生はどんなに優秀でも、その教科自体、こちらが取り組む姿勢に斜めに構えてしまう傾向を持たせてしまいます。それを取り除くのに、私は何年もかかってしまいました。若い頃の影響というのは実に大きいです。
Posted by:野中すみれ at 2007年09月02日(日) 06:16