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さよならだけが人生だ─別れの詩の続き

[2007年03月24日(土) ]

さて、前回に引き続き、わたしが生徒や同僚たちとの別れに際して思い出すもうひとつの詩を紹介しましょう。

井伏鱒二が「さよならだけが人生だ」と訳したのは、晩唐の詩人、于武陵の「勧酒(酒を勧む)」の結句です。「勧酒」は、「唐詩選」に収められています。平易な詩ですので、現代の注釈書ではなく、荻生徂徠(おぎゅうそらい)門下の詩人、服部南郭(なんかく)の「唐詩選国字解」を引用してみましょうか。

この本は、南郭の唐詩選講釈を門人が書き取ったノートをもとに作られています。講義録のようなものと思えばいいでしょう。古文というとどうしても堅苦しく考えがちですが、口頭語の性格が強いものは意外と理解しやすく、親しみやすいかったりします。南郭のこの本もそんな一冊です。

原文、書き下し文、通釈の順に挙げ、最後に井伏鱒二の日本語訳を紹介します。

 *平凡社の東洋文庫版「唐詩選国字解(3)」から引用しました

原文
  勧 君 金 屈 巵
  満 酌 不 須 辞
  花 発 多 風 雨
  人 生 足 別 離

書き下し文
  君に勧む 金屈巵(きんくつし)
  満酌 辞するを須(もち)いず
  花発(ひら)いて風雨多し
  人生 別離足る

南郭の通釈
〔君に……須いず〕
金屈巵は、持つ手(柄)のある(黄金の)盃なり。親しい友達に逢うて、此の方(自分の方)から一ぱいまいれとさしたを、「勧む」と云ふ。必ず辞儀(辞退)せらるるな。このやうなことはまた(二度とは)ないことぢゃ。
〔花……別離足る〕
なぜなれば、花盛りぢゃほどに見やうと思ふ間に、風雨でもすれば、落ちてしまふ。人生もその如く、大方(おほかた)別るることが多いものぢゃ(「足る」は多いの意)。しかれば、逢うた時に、酒でも試み、楽しむがよい。

親しい友人に出会って、せっかくの機会なんだから飲もうよ。もういいなんて言うなよと言っているわけですね。しょっちゅう会っている友人に「人生は云々」と言ってむりやりお酒をすすめているのだとすると、屁理屈をこねて絡んでいるわけで、ちょっと困った人です。時々いますけどねここでは、久しぶりに会った友人と楽しいひとときを楽しんでいるか、友人との別れを惜しんでいるかのどちらかととるべきでしょう。いずれにしても、酒宴の後はまた別れ別れになりそうです。

現在のように高速での移動手段が発達している時代からは想像しにくいことですが、徒歩や馬などが主要な移動手段であった時代には、遠方への旅立ちは、今生の別れを意味しかねませんでした。少なくとも、頭のどこかに、もう会えないかもしれないという意識があったことだと思います。

「全唐詩」という、唐代の詩人の詩を集大成した詩集で于武陵の詩を見てみると、彼はあちこち旅をしていた人のようですから、そんな別れを何度も経験しているのでしょう。今、楽しめるだけ楽しもうよという姿勢の裏には、そんな惜別の情が隠されているのだと思います。

井伏鱒二はこの詩を次のように訳しました。

  この盃を受けてくれ
  どうぞなみなみつがしておくれ
  花に嵐のたとえもあるぞ
  さよならだけが人生だ
                (『厄除け詩集』より引用。表記を改めました。)

「人生別離足る=人生に別れは十分にある=人生に別れはつきものだ」と、「さよならだけが人生だ」とでは、意味内容が少しずれていますから、正確な訳かという点については、実は問題がなくもありません。が、翻訳であるということを離れて、「さよならだけが人生だ」というフレーズ自体を見てみると、よくできた名文句だと思います。そのため、一般に広くこのフレーズが知れ渡ることになったようです。また、口調の良さもあって、井伏鱒二の訳を好む人も多いようです。

この于武陵の詩は、お別れの酒宴で寂しさを胸に別れのひとときを惜しみながら、お酒を酌み交わしているさまを彷彿とさせます。高校生は卒業してもまだまだ未成年ですから、お酒を酌み交わすというわけにはいきませんが、卒業式後に生徒と話しているときにはこの詩が頭をよぎります。また、親しい同僚の歓送会  では、お酒も入り、まさしくこの詩にあるような気分になります。もちろん、お酒を無理強いするようなことはしませんが

「人生別離足る」、現代では教職に就いている者が最も実感する機会が多いのかもしれません。

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