[2008年08月25日(月) ]
垂渓庵です。
前回のブログに書いたように、霊感のれの字もなさそうなわたしたちでしたが、一度不思議な経験をしたことがあります。
わたしたちは小学校の低学年のころから、夏休みに入るとカブトムシやクワガタを捕りに裏山に出かけていました。学年が上がるにつれて行動範囲や行動時間は拡大していきました。高学年になるころには、朝まだ暗いうちに行動を開始していました。
暗い山道は恐いものです。後に山登りを始めてから、よんどころない事情で夜明けの遙か前に大峰山上の宿坊からふもとに下山したことがありますが、あの時も恐かった。頼みの綱は電池がへたり気味のヘッドライト一つでした。信仰の山ですからね。確実に何かいます。実体を持っているかのように濃く存在感のある闇に包まれながら降りていきました。途中の茶屋の建物を通った時に起き上がる影が見えてぎょっとしたのですが、店番の兄ちゃんでした。結局この時はあやかしに出逢うことなく無事下山しました。が、あのクワガタ捕りの日は…。
そう、あの日もよく晴れて暑くなりそうな一日でした。わたしたちは星空のもと、懐中電灯を片手に勇躍裏山に出かけました。
カブトムシやクワガタをとる時は、墓場へ行く道を途中まで上がり、六地蔵を越えたあたりで細いわき道に入ります。墓場の先にも多少はクヌギの木などがありますが、カブトやクワガタが多く集まってくる木はそちらにはありません。わき道を通って墓場の上方を巻いてさらに登っていったところにわたしたちが目指す木があるのです。
上に書いた大峰山ほど山深くはありませんが、裏山の山道もまだ夜明けが遠いと不気味です。カブトムシやクワガタという報賞がなければ、わざわざ行きたい場所ではありません。何かいそうですしね。
で、上に書いた日も内心不気味さを感じながらも、カブトムシやクワガタを捕まえることを夢想しながら山道を登っていきました。道は左手が崖になって落ち込んでいます。右側は逆に急な斜面が上に続いていきます。
その道を登って、六地蔵の手前にさしかかったあたりで、右側の斜面に腰を下ろしているおばあさんと行き会いました。こんな早くに何をしているんだろう、と思うこともなく、わたしたちは通り過ぎたのではなかったかと思います。
少し行き過ぎて六地蔵にさしかかったあたりで、誰かが「今おばあさんがいたな」と言い出しました。
「おお、おったおった。今ごろ何してんねんやろな」と答えたのはわたしだったのでしょうか。はっきり覚えていません。が、やはり誰かが次のように言ったのを覚えています。
「なんでこんな暗いのにおばあさんてわかったんやろ」確かに不思議です。懐中電灯で足元を照らさないととても歩けないような暗さです。しっかりと目に焼き付いているおばあさんの姿は懐中電灯に照らされた姿ではありませんでした。
気がつけばわたしたちは六地蔵のところで立ち止まって話していました。
「変やで」「戻って確かめてみよ」と話がまとまったのは、話し出してすぐだったはずです。
わたしたちは半ば恐る恐るおばあさんがいたところまで戻りました。が、……。
そう、おばあさんはいなくなっていました。わたしたちはぞっとしました。で、一散に山道を駆け下りたのです。下る途中では誰にも会いませんでした。
道は一本道です。斜面を登るのも崖を下るのも不可能ではありませんが、暗い中でおばあさんがやりそうなことではありません。墓場へ続く道の入り口近くに一本わき道があるのですが、おばあさんがわたしたちと出会ってすぐに、よほどの早足で下りでもしない限り、わたしたちより早くそこに辿り着くのは不可能です。
そうやって考えていくとおばあさん自身が消えたという可能性しか残らなくなるのです。もちろん、真相は不明です。わたしたちの勘違い、あるいは古い記憶をわたしが再構成している、真実はそんなところなのかもしれません。
が、あれ以来、わたしたちが朝まだ暗いうちに山に入らなくなったのは確かなことなのです。
今週は月木の二回更新です。