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旧暦7/4 臨時便 異議申し立て

[2008年08月04日(月) ]

垂渓庵です。

本の中にはとても重いものがあります。重量ではありません。内容が、です。あまりにも悲惨な事実を告げるものや、人間性の闇を白日の下にさらすものがいわゆる重い本になるかと思います。

わたしにとっての重い本とは、たとえば、

苦海浄土 石牟礼道子
口伝亜砒焼き谷 河原一之
筑豊炭坑絵巻 山本作兵衛
夜と霧 V・E・フランクル
絞首台からのレポート ユリウス・フチーク
インディアスの破壊に ついての簡潔な報告 ラス・カサス

などになるでしょうか。どれも重苦しさを感じて呻吟しながら読み進めた本です。義務感、というとちょっと違うように思うのですが、とにかく読まねばならないという思いから読み進めました。


なぜわたしはこれらの本を読まねばならないと思ったのでしょうか。これまであまりそんなことを考えたことはありません。何となく、これらの悲惨な事実から目を背けてはならないのだ、
的なことを考えていたのかなと思うぐらいです。

が、こう書き出してみて、これらの本には共通する特徴があることに今気づきました。これらの本は重苦しい事実を扱っているにもかかわらず、著者や登場人物が人間性というかすかな希望の輝きをを示しているのです。

虐げられる人にあくまでも寄り添う著者もいれば、抑圧に声を上げて反抗し、死んでいった著者もいます。やむにやまれず現状を告発した著者もいます。弾圧によって死の淵を見たけれどもあくまでも人間性を捨てなかった著者もいます。重圧や抑圧に対するスタンスはそれぞれ様々ですが、人の世の不合理に対して力強く異議申し立てをしている点は共通しています。

悲惨な事実にも関わらず、彼らのような存在がいる限りは人間も捨てたものではない、どうやらわたしはそう感じていたようです。そして、日常に流されて生活しているけれども、彼らとともにありたいという願いというか、彼らの側に少しでも近づきたいという希望のようなものがこれらの本を読ませたのではないか、というのが今の感想です。

わざわざ臨時便としてこのようなことを書くのはなぜか。他でもありません。やはりわたしの読んだ重い本の「収容所群島1〜6」の著者であるソルジェニーツィンの訃報に接したからです。

わたしが最初に「収容所群島」を読んだのは中学のころでしたか。はっきり言って内容をきちんと理解していませんでした。そのためもあって、その後、高校から大学にかけて折に触れて読み直していました。そしてそのたびに重苦しい気分になっていたのです(笑)当時新潮社からは、「イワン・デニーソヴィッチの一日」や「マトリョーナの家」「ガン病棟」など、ソルジェニーツィンの作品がいくつか出ていましたが、重苦しさではやはり「収容所群島」が一番です。何しろ読む度に確実に暗い気分になれるのですから。

旧ソ連の断罪をしているだけの本ならわたしはたぶん手にとらなかったと思います。旧ソ連華やかなりし頃は、収容所送りという名の一種の粛正が国家規模で行われました。ソルジェニーツィンは、その大きな渦の中に巻き込まれながらも、それに抗い、生き抜き、その非人間性を告発したのです。そこには、やはり強い異議申し立ての意志が感じられます。

割と熱心に読んだけれども人に薦めようとは思わない本。わたしにとってそんな本である「収容所群島」の著者、ソルジェニーツィンは死にました。が、彼の行ったような強烈な異議申し立てがまったく不必要な世の中になったわけではありません。そういう意味では、彼の精神は死んでいない、いや、死なせてはならないのだと思います。

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