[2008年07月18日(金) ]
垂渓庵です。
今回は卒業生に贈った言葉の第二弾です。第一弾はこちら。
この第二弾の文章は、初めて送り出した卒業生に向けて書きましたから、正確に言うとこちらの方が第一弾になります。つまり、第一弾の方はほんとうは第一弾ではなかったのです。が、第一弾ならざる第一弾をご紹介したときには、この第二弾ではない第二弾の文書ファイルは残っていないと思いこんでいました。それが載った校内誌を探すのも面倒なのでうっちゃっていたのですが、先日文書ファイルを整理した折に見つけたのです。そんなこんなでかなり古い文章なのですが、とりあえずお目にかけましょう。
卒業おめでとう
卒業生のみなさん、卒業おめでとう。大学へ進学する人、来年再度挑戦する人、留学する人、就職をする人と、今後進んでいく方面はさまざまですが、それぞれに自分の選んだ道で精一杯努力して下さい。大いに活躍されることを期待しています。
さて、高校を卒業して、君たちはいわゆる社会人に一歩近づくことになります。何年か後にはほぼ全員が社会の第一線で働いているはずです。
社会に出れば、さまざまな不公正を身にしみて感じる場面に出会うことがあるはずです。いわゆる「正直者が馬鹿をみる」ことは、残念ながら社会ではまれではありません。人を出し抜き、出し抜かれ、裏切り、裏切られ、踏みつけにし、踏みつけにされ……。そんなことが毎日どこかで行われているのが世の中の現実です。
今は純粋な正義感の持ち主も、社会に出て何度も「馬鹿をみる」側に回っているうちに、正しく振る舞うことが馬鹿らしくなり、いつしか、人を出し抜き、裏切ることに何のやましさも感じず、むしろその方が「正しい」のだと思うようになっていくかもしれません。
私は、君たちにそんな大人にならないでほしいとは言いません。私自身そのように言えるほど立派な大人ではないですし、家族の生活を守るために人に勝とうと懸命になることには、何ほどかの「正しさ」が含まれていると思うからです。
しかし、こうも思います。世の中では正直者が馬鹿をみることは珍しくないけれども、正直であること、人を出し抜いたり裏切ったりしようとしないこと自体が間違っているのではないはずだと。いくら愚かしく見えようとも、そこにはやはり否定しきれない価値があるのです。
正直でばかりいては世の中は渡っていけない、おそらくそれは真実です。しかし、馬鹿を見させてしまう世の中──残念ながら私もその一員でないとは言えません。そして君たちの多くもそこに含まれることになるでしょう。──がどこか間違っているのだという気持ちは、失わないで下さい。自分が馬鹿を見させた時には恥ずかしさを、馬鹿を見た時には相手への憐憫と自分への矜恃を感じる人間でいてほしいと思います。
では、今後の君たちの健闘を祈ります。
この文章を書いた折の卒業生たちも今ではそれなりに経験を積んだ社会人として活躍しています。偽装問題や裏金疑惑などなどのお寒い話題が世上を賑わす昨今、彼らはどんな大人になっているのでしょうか。願わくは、正直者がばかをみるのは間違っていると言える大人になっていてほしいと思います。