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旧暦3/19 制御

[2008年04月24日(木) ]

垂渓庵です。

みなさんは自分で自分をコントロールできますか。
いえ、感情面での話ではなく、身体面での話です。

認知科学の本などを読むと、人間の意識は自己の限られた部分しかモニターしていないとか、道を歩くというような行為は特に意識を払わないでも自動的に行われる面がある、というようなことが書かれています。

人間の行動には、いわゆる無意識が司る領域があるということなのだろうと思います。わたしはそういう話をそこここで読むうちに、面白いなあと思い、自分の体の動きに注目するようになりました。自分の体がどういう動作を行っているか、目を向けてみるようにしてみたのです。

そもそもわたしの意識が関わらない動作を意識するなんてどうすりゃいいの、って感じでしたが、慣れてくると、「あ、おれは今こんな動作をしているぞ」とか、「へえ、こんな時には、知らないうちにこんな風に体が動くのか」というようなことに気づくようになりました。

たとえば生徒と面談をしているとき、わたしは自分が意識しないうちに前に身を乗り出したり、逆に後ろに体を反らしたりしていることに気づきます。どうやら、会話の流れによって無意識のうちにそんなことをしているようです。気づけば手振りつきで話していることもあります。

また、道を歩く際にも自分の手や足の動きに注目することがあります。これがまた興味深いのです。たとえば階段があるとします。目で確認してその上で足の動きを調節するときもありますが、多くの場合は、段の高さや幅に合わせて自動的に足の動きが調節されるのです。

どちらの場合も、わたしの意識の範囲内ではそんな動きをしようとはしていません。どうもわたしならざるわたしが自動的に身体の動きを調節しているかのごとくなのです。気味が悪いような、それらまで全て意識した上で決定しなければならないことを考えれば便利なような。

階段の例で言うなら、恐らくは、階段までの距離や階段の高さや段数、幅などなどを、わたしの精神領域のどこかの部分が把握していているのでしょう。目をつむってそんな芸当をするのは不可能ですから、目からの情報がわたしの意識以外の部分で処理されているのでしょう。

と書いてこの稿をしばらくほったらかしていた間に、駅の階段を一段とばしに走って降りている時につまずいて、あわや大怪我になったかもという経験をしました。降りているときでしたからね。そのまま前のめりに転げ落ちていた日には、骨ぐらい折れていたんじゃないでしょうか。

しかし、結果的には無傷でした。その折のことをできるだけ冷静に思い出してみると、もうだめか、と思う間もなく右手が手すりをつかみ、足はみごとに何段か下の階段をきちんととらえていたように思います。わたしが意識する間もなく体が勝手に動いたような感じでした。

階段の手すりや足を置いた段は視界の中には入っていたと思いますが、自分の手や足との位置関係を正確に把握できてはいませんでした。普段でも視界の端に入っているだけのものの細部を認識することは難しいですからね。その時もそんな状態だったはずです。

わたしの素朴な印象としては、視界に入っているものをわたしの意識とは別の部分が把握していて、非常事態に際して体を咄嗟に操ったような感じです。やはりわたしの中には自動的に体の動きを調節する仕組みが備わっているとしか思われません。

そうそう、駅などの雑踏を歩いているとき、こちらの進路上を向こうから歩いてくる人がいると、少し進路をずらす形で足が動いていく、ということもよくあります。これも意識的にそんな体の動きに注意を払わないと、気づかずに終わってしまうことですが。

そんな時に意図的に足を元の進路を直進する位置に置くようにするのは、何の支障もなくできます。どうやら無意識に行われる動作が意識的な動作の優位に立つ、ということはなさそうです。ま、相手とぶつかっても困るので、めったにやりませんけど(笑)

専門的に心的過程を研究しておられる方にはごく当たり前のことかもしれませんが、上に書いたようなことを自分で経験してみると、とても奇妙な気がします。わたしの体はわたしのものであってわたしのものではないようです。いや、そもそもわたしとは何なのでしょう。むう。

剣豪などが常人には及びもつかない動きをする話が伝わっていますが、ひょっとすると、ここに書いたような心と体の動きとの不思議な結びつきが、関係しているのかも知れないなと思ったりもします。

スポーツ選手の、これまた凡人には考えることもできないような、すばらしい反射的な動きなども同様なのではないでしょうか。もちろん、何でもかんでも無意識がやってくれるわけではなくて、意識的に鍛えること、技術を磨くことが大前提として必要なのだと思いますが。

いずれにしても、剣豪やスポーツ選手でなくとも、自分の身体の動きの不思議さを味わうことは可能です。皆さんも一度自分の体に目を向けてみられてはいかがでしょうか。きっとその不思議さに打たれるはずです。

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