[2008年09月18日(木) ]
垂渓庵です。
わたしが大学入試に臨んだころは、今ほど学校の進路指導が手厚くなく、予備校などの情報発信も限られていました。というか、わたしにそれらを利用して情報収集してやろうという意識がなかったように思います。
高校三年間塾や予備校に行くわけでもなく、模擬試験も学校で年一、二回実施されるものを受けるだけでした。二年生のころは地学部で熱気球作りに邁進していて、自分の進路などについてもほとんど考えていなかったように思います。
同級生の中には予備校に通っている者もいましたので、やはりわたしの受験に関する意識が低かったのでしょう。でも、勉強はしないといけない状況にありました。家庭からのプレッシャーではなく、まわりの同級生たちの視線がそうさせていたのです。
わたしは、生真面目にも高校に入学した春休みの課題をきちんと仕上げ、入学後に実施されるという宿題テストの準備もしっかりして新学期に臨みました。その努力のかいあってか、わたしはそのテストで一番になってしまったのです。
いや、単にまわりの連中が準備をしていなかったので、相対的にわたしの成績が上に来てしまっただけなんですが。でも、他のクラスからもわたしの顔を見に来たらしいやつらが何人もいました。
そうなると、次のテストも頑張らざるを得なくなってきます。わたしにも多少の虚栄心はありますし、まぐれだと思われるとしゃくですからね。そんなこんなで次のテストも、その次のテストもわたしは上位に食い込み続けました。
中学の時に並外れて優秀だったわけではないわたしが、学年で上位の成績を取り続けることができたのは、なんと言ってもわたしの通っていた学校の校風に与るところが大きかったと思います。とても自由な雰囲気で、みんな勉強にがつがつしていなかったのです。
後にわたしが聞いたわたしの学校評は、「四年制の高校」「ぬるま湯のような学校」というようなものでした。理由を聞いてみると、なるほどまことにその通りと言いたくなる、正鵠を射た評だったと思います。
「四年制の高校」とは、「高校三年+予備校一年で大学進学が可能になる」ということを意味していました。「ぬるま湯のような学校」には、「入っていると気持ちいいけど出ると風邪を引く」という意味がこめられています。
わたしがいたころはまさしくそんな雰囲気でした。服も私服でOKでしたから、自由な雰囲気の中で大半の生徒はのうのうと過ごしていたのではないかと思います。そういうわけで、わたしものうのうと気球作りに邁進しつつ、そこそこ勉強しているだけで上位に食い込めたのです。
そんなわたしも大学受験を迎えることになって、多少あわてました。大学の要綱などをとりよせたり、情報収集をしたりすることもなかったですから、どこに行っていいのやら皆目見当がつかなかったのです。
で、結局どうしたかというと、高校の先生に相談したのでした。それも担任でもなんでもない国語の先生に、です。どうしてそんなことをしたのかというと、わたしは古典に多少興味があったので、大学で古典の勉強をできないかなあと思ったのです。
そんなことを話すと、ホウザン先生は、「それなら○○大学や。お前みたいにしっかり勉強したいやつにぴったりや。そこらの大学よりもええ先生がそろってるし、しっかり勉強できるで。」というお話でした。で、志望校は決定。とは言え、関西でいちおうは銘柄大学に含まれるその学校に進学するためにはやはり勉強せねばなりません。
というわけで、ある意味のうのうと学生生活を送っていたわたしは、高校三年生になって受験を意識して、はじめて勉強というものを真剣に捉えだしたのです。そして努力をはじめるのですが、その顛末はまた機会があれば書くことにしましょう。
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