旧暦7/3 中村さんを覚えていますか

垂渓庵です。

間もなく終戦の日がやってきます。

前の戦争からはや六十五年。戦火に直接さらされ、戦中戦後を身につまされて振り返る人も減ってきました。などというわたし自身、生まれたのは戦争が終わって二十年近く経ってからのこと。当然戦争を経験していませんし、戦後の混乱期も知りません。

それでも、わたしが子どもの頃は、近所のお寺のお祭りで傷痍軍人の方たちが白い装束でアコーディオンを弾きながら物乞いをしておられたり、軍服姿の写真が祖父母の家に飾られている父の兄の遺品を見せてもらったりと、微かにではありますが、日常の生活の中に戦争の匂いを感じる機会がありました。

そうそう、身近な人の戦争体験の聞き語りをまとめるという宿題が小学校で出たこともありました。祖父母に話を聞いたのではなかったか。そういうスペシャルな課題としてだけではなく、父や母に戦時中の経験をあれこれ聞かされたりもしましたっけ。

そんな風に時に戦争の影を感じることはあったものの、ほぼのほほんと過ごしていたある日、衝撃のできごと起こりました。
グアム島から日本人残留兵の横井庄一さんが戦後三十年近くを経て帰還されたのです。小学1年生ぐらいだったわたしは、テレビで横井さんのことを知りました。特番なども組まれたように思います。三十年近くも敗戦を知らずにジャングルに潜伏し続けていた。驚異でした。

「恥ずかしながら帰ってまいりました」。横井さんが数十年ぶりに日本本土の土を踏んだ際のことばです。当時のわたしはテレビで見ながら「すごい人がいるなあ」という感想を持ったぐらいですが、今は思います。「恥ずかしがる必要はないのに」と。

さらに二年ほど後にルバング島から小野田寛郎さんが帰還されました。軍服姿で飛行機から降りられたのではなかったでしょうか。これもまたわたしにとっては衝撃でした。やはり一連の報道で小野田さんについてあれやこれやと知りました。横井さんの帰還の時もそうでしたが、少年誌でも巻頭のカラーページなどで特集が組まれたはず。

確か、小野田さんが発見されて日本への帰還を進められた際、上官からの命令がなければ帰還することはできないとおっしゃったと記憶しています。まさにあっぱれ。殊勲甲です。

その小野田さんが帰還してからしばらくして、今度は中村さんという方が帰還されました。

わたしと同世代あるいはそれより上の世代の方の中にも、「中村さんなんていたっけ」とおっしゃる方がおられるかもしれません。確かに、第三の日本兵が発見されたというので、当初はすごく騒がれたのですが、急にフェードアウトして、帰国される前後あたりから中村さん関連のニュースがなくなってしまったのです。空港で飛行機を降りられる中村さんの姿をテレビで見たように思うのですが、記憶違いかも知れません。

その後も小野田さんや横井さんは折に触れてマスコミに登場されましたが、中村さんはとんと音沙汰がありませんでした。変だなあと思うこともなく、わたしも中村さんの存在を意識しないようになっていきました。

ちょうどそんな折、中村さんという方は実は台湾出身の人だったということを知りました。いまは「台湾人」なので、発見されて日本にたどり着くか着かないかで、すぐに台湾に帰っていったというのです。「日本人」じゃない兵隊さんはマスコミがブームとして煽ることもなく、フェードアウトしてしまったということのようです。

わたしがそれを知ったのは中村さんの「帰還」後どれぐらい経ってからだったのだろう。まだ小学生だったんじゃないか。いずれにしても、「ひどくねえか」とはげしく思ったことだけは、はっきりと覚えています。

その思いは今も変わりません。当時のわたしはその思いの拠って来たる所以をうまく説明できなかったことでしょうが、その感覚は間違っちゃいなかったと自分でほめてやりたい気がします。

今回この稿を書くにあたり、中村さんの帰国前後の経緯はほんとのところどんなものだったのか、ちょっと気になったので検索をかけてみました。で、フルネームが中村輝夫、高砂族の方で、日本政府からの補償も「日本人」ならざるがゆえに受けておられないということを知りました。いや、日本政府からは正確には六万何千円かの未払い給与と帰還手当が支払われたのだそうです。で、早々に台湾に送られた……。みなさん、一斉にどうぞ。「それってひどくねえか」。

わたしは左がかった人たちが言いそうな「過去の植民地支配がもたらした悲劇だ」なんてことを言いたいわけではありません。ただ単に、「日本国」を背負って戦地に赴き、戦後三十年間生き抜き、ようやっと帰ってきた方に対してあまりにも礼を失するのではないかと思うのです。「ご苦労さま」「ありがとうございました」と言って頭を下げるのが当たり前なんじゃないか。満足な補償が行われないなら、そのことに恥ずかしさと怒りを覚えて当然なんじゃないか。

中村さんが「日本人」ならざるがゆえに報道を終息させ、こんな理不尽な扱いを糾弾しなかったマスコミ──小学校低学年だったわたしはそれほどニュースをフォローできたわけじゃないので、実際はそうでもなかったのかもしれませんが、今の中村さんの知名度を考えても、マスコミの扱いが横井さんや小野田さんと違ったことは明らかだと思います──もつくづく腹立たしい限りです。

ネットの記述を信用するなら、中村さんの発見された1974年は、日中国交正常化直後にあたり、中国の意向を気にする政府やマスコミが中村さんを冷遇したのだとか。当時の日本全体がそうだったのでしょうか。もしそうだとしたら情けない限りです。

残念ながらわたしたちはネットが発達した現代においても、確実なニュースソースとしてはマスコミを利用するしかありません。そこで報道されないことは往々にして「なかったこと」になってしまいます。

が、中村さんの帰還は決して「なかったこと」ではありません。総じて日本国が温かく出迎えなかったことも、そして台湾に帰った中村さんが苦労の末にわずか四年後に亡くなったのも、やはり「なかったこと」ではありません。

戦争ははるか昔のことになりました。戦後の経済復興の努力もあり、日本は経済的に豊かな国となりました。そしてわたしたちはその恩恵を享受しています。が、その過程でどれほど多くのことが「なかったこと」にされてきたのか。一年に一度ぐらいはそのことに思いを致すようにしようとわたしは思うのです。



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