[2008年11月27日(木) ]
[2008年11月20日(木) ]
垂渓庵です。
阪神淡路大震災の直後、わたしの小型テレビは壊れてしまいました。
スイッチを入れると「ブン」と音がしてランプが点灯するものの、
画面も明るくならず、スピーカーも鳴らず。
しばらくするとテレビの上部はうす温かくなります。
電気は通っています。
しかし、電気抵抗で微熱を発生するだけ。
テレビの役は果たしていません。
というか何の役にも立ちません。
戦艦大和状態。
いや、大和よりも無用の長物か。
この発熱量では暖房にも使えず、
ブックエンドにするにも巨大すぎ。
漬け物石にしようにも、わたしは漬け物を漬けない…。
それでもいずれ直るかなと思ってとっておきました。
が、数ヶ月後、スイッチを入れてもやはり結果は同じ。
画面も映らず、音も聞こえず…。
さすがに捨てました。
そしてわたしは地位も名誉も家族も捨て……。
[2008年11月13日(木) ]
かぐわしいタイトルですみません。垂渓庵です。
今日は先日わたしが思わず脱糞してしまった話です。
……。
……。
[2008年11月04日(火) ]
[2008年10月23日(木) ]
[2008年10月16日(木) ]
垂渓庵です。
再び宣伝を一つ。以前「世界一受けたい授業」に二回出演され、このブログにも一問一答の形で中高生にメッセージを下さった、千葉大学准教授の一川誠さんの新書「大人の時間はなぜ短いのか」 (集英社新書 460G)が先日出版されました。最新の知見をもとに、時間について蘊蓄を傾けておられます。時間の使い方のアドバイスなども書かれているとても読みやすい本です。中高生でも興味深く読めると思います。一度書店で御覧になって下さい。とりあえず書店サイトのリンクを貼り付けておきます。こちらをどうぞ。
さて、今回は習熟度ということを考えてみましょう。
前々回の合唱コンクールの話の際にも少し触れましたが、習熟度別のクラス編成にはなかなか難しいところがあります。勉強の得意なクラス、体育の得意なクラス、行事事に熱心なクラスなどが適当に散らばるのならいいのですが、どうもこれまでの経験上、それらの多くが上位クラスに集中してしまう傾向があります。ここらが習熟度別の難しいところです。
[2008年10月09日(木) ]
[2008年10月02日(木) ]
垂渓庵です。
先日中学高校合同の文化祭がありました。当日は幸いにして天候に恵まれ、盛況のうちに終わりました。
わたしの学年は今年は合唱コンクールを行いました。コンクールといっても、はっきり順位をつけるのではなく、総花的な賞を用意するものです。習熟度別のクラス編成をとっている中で、上位クラスがコンクールでも一位になるとあんまりよくないだろうという配慮の結果です。運動会で順位を設けないような気持ちの悪さがないではありませんが、全体の士気というものも考えねばなりません。習熟度には、そのような微妙な面があるのですが、そのあたりについてはまたいずれ。
[2008年09月25日(木) ]
垂渓庵です。
まずは宣伝を一つ。以前「世界一受けたい授業」に二回出演され、このブログにも一問一答の形で中高生にメッセージを下さった、千葉大学准教授の一川誠さんが新書「大人の時間はなぜ短いのか」 (集英社新書 460G)を出版されました。最新の知見をもとに、時間の使い方のアドバイスなども書かれているとても読みやすい本です。中高生でも興味深く読めると思います。一度書店で御覧になって下さい。とりあえず書店サイトのリンクを貼り付けておきます。こちらをどうぞ。
さてさて、本題に戻りましょう。どうもここんとこ耽読も翫市もしていないっぽい話が続いてしまいました。またもや看板に偽りありってことになってます。ここらで本のネタをひとつ。
以前から気になっているのですが、19世紀イギリスの小説家トマス・ハーディの小説は昨今どれぐらい読まれているのでしょうか。そう、「テス」や「ジュード」の作者のハーディです。ハイディハイディフレハイディホウの○大ハンバーグじゃありません。
……。ええと、ちょっと気になったので検索をかけてみました。結果はこんな感じです。
[2008年09月18日(木) ]
垂渓庵です。
わたしが大学入試に臨んだころは、今ほど学校の進路指導が手厚くなく、予備校などの情報発信も限られていました。というか、わたしにそれらを利用して情報収集してやろうという意識がなかったように思います。
高校三年間塾や予備校に行くわけでもなく、模擬試験も学校で年一、二回実施されるものを受けるだけでした。二年生のころは地学部で熱気球作りに邁進していて、自分の進路などについてもほとんど考えていなかったように思います。
同級生の中には予備校に通っている者もいましたので、やはりわたしの受験に関する意識が低かったのでしょう。でも、勉強はしないといけない状況にありました。家庭からのプレッシャーではなく、まわりの同級生たちの視線がそうさせていたのです。