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元中学コース編集部 繊粒庵ぽん吉

元中学コース編集部員から、日々の生活・考えたことをあなたに

     
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東海市教育委員会主催「第2回授業実践グランプリ」
[2008年05月27日(火) ]

僕の手元に、いま1枚の紙があります。
 「終着駅のない改革」――そう題されたこの文章は、東海市教員研修センターの前所長でいらっしゃった澤田広彰さんが書かれたものです。

澤田さんのお話を伺ったのは2月3日、雪の日に東京国際フォーラムで行われたNPO次世代教育推進機構さん主催のセミナー「Edu.Planning 21-22」でのことでした。壇上にあがり、恐縮されながらも子どもたちへの熱い思いを率直に語られた澤田さんの夢はとても大きく、聞いている僕の心は暖炉の灯に温められているかのようでした。

その後、セミナーのひとりの参加者として、失礼ながらも澤田さんに連絡をとらせていただきました。「ぜひ一度、お会いしてお話したいのですが、お時間はないでしょうか」とメールで伺ってみました。澤田さんはこのことを大変喜んでくれました。「セミナーを通じて、同志を得たことは私にとって記念すべきことです」――そんなうれしいお言葉をいただきました。

以前にもこのブログで書きましたが、実は僕はZ会に入社するまでは学習塾の会社で働いていました。次の日の授業のために、会社から帰って予習をする、授業では他のだれにも負けたくない、そんな思いで睡眠時間を削って、子どもたちにどう説明しようか、どう理解させようか、真剣に悩んだものでした。
そんな行動も、当時は僕個人のエゴを満たすためであったのかもしれません。オレにはこんなにいい授業ができる、生徒にも人気がある、どうだすごいだろう――そんな思いが多くを占めていたことは恥ずかしながら否定できません。
だけど、仮にそんなによい授業を自分がしているのであれば、周りの先生方にも影響を与えていけばいいんだよね。周りの先生まで含めて、みんなでよい授業をして、そしてたくさんの子どもたちに喜んでもらえれば、いいんだよね。
日々自分のことで精一杯だった当時の僕には、そんなでっかい情熱がなかったんだと思います。そしてそこから生み出された授業は、よい授業でもなんでもなかったのではないかな、振り返ってみてそう思います。

澤田さんは僕におっしゃいました。

「学校、塾を問わず、子どもたちをど真ん中にすえて、子どもたちのために何ができるかをまっすぐに考えていきたい」と。

僕がまだ塾にいた十年前、塾現場にはまだ「塾は公教育・学校のあくまで補完機能であり、我々は日陰の役目なのだ」という負の意識が根強く残っていたような気がします。塾にも素晴らしい技術、素質、知識を持った先生はたくさんいました。ただ、目的があくまで入試に限定されがちではありました。
時代は変わり、昨今では公立の中学校と民間の塾が連携して何かを行うといったことも報道されるようになってきました。
しかし、そこでいちばん失っちゃいけない思いってなんだろう?
それは、学校の先生であれ、塾の先生であれ、「子どもたちを教える」という使命を背負った人間は、子どもたちの成長、子どもたちの生活に日々とても大きな影響を及ぼしているということなのではないか。そんなふうに思います。

「子供たちをど真ん中にすえて」「まっすぐに」

力感のある、何とよい表現なのだろうと思います。

このような経緯があって、今年度、愛知県東海市教育委員会の主催する「第2回授業実践グランプリ」をZ会が後援することになりました。
東海市は、名古屋市に隣接する人口約10万人の都市です。規模の大きい市とはいえないかもしれません。しかし、「よりよい授業実践を募集することで、先生方の授業の参考にしていただき、子どもたちが家に帰ったときに笑顔で今日の授業のことを話してもらえるように」というこの取り組みからは、市区町村の大きさを問わない、真剣に子どもたちの授業を考えていこうという志の大きさが伝わってきます。
真剣だからこそ、「『学校』『学習塾』という枠を超えて、目の前にいる子どもたちのために互いが切磋琢磨」していきたいという趣旨なのです。募集を学校現場の先生に限定しているわけではありません。学習塾にお勤めの先生方でも、趣旨に賛同していただける方は、ぜひご応募いただきたいなと思います。
微力ながら、Z会として後援することでひとつでも多くの授業実践例が集まれば、そして応募作品が授業をされる先生方のヒントになり、何よりもその先生方の授業を受けた子どもたちの目が輝いてくれれば、これ以上うれしいことはありません。
「第2回授業実践グランプリ」の募集内容の詳細につきましては、下記「東海市教育委員会」のページをご覧ください。

http://www.city.tokai.aichi.jp/%7Ekyouinkenshuu/grand-prix/grand-prix.html

4月、澤田さんは東海市教員研修センターを離れ、現在は愛知県の小学校で校長先生をされています。
澤田さんのこと、新しい小学校でも情熱を前面に出し、子どもたちに好かれる校長先生を務めているにちがいありません。

最後になりましたが、今回の後援を前向きに進めてくださった東海市教員研修センターのみなさま、貴重な機会を作ってくださったNPO次世代教育推進機構のみなさま、企画に賛同してくれたZ会という会社・社員のみんなに、心から感謝しています。ありがとうございました。

給食食べなきゃ遊びにいけない
[2008年05月05日(月) ]

お、今回は更新がこれでも早いぞ。ちゃんと1ヵ月後の更新だ。
Z会はゴールデンウィーク中も通常どおりの営業である。会員さんの電話による質問も、ちゃんと受け付けていたりする……などと、去年も書いたような気がするけど。考えてみれば、もう1年も続いてるんですなあ、このページ。

世の中のゴールデンウィーク並みではないかもしれないが、ポツポツとお休みをいただいていたりする。29日の昭和の日は後輩の結婚式のため、日帰りで軽井沢へ。軽井沢で結婚式を挙げた自分の周りのカップルは、これで通算2組目になった。
最近の結婚式場は、和食と洋食を選べるところも多くなった。乳製品がニガテな自分にとって、これはとってもありがたいことだったりする。諸手を挙げて和食を注文、である。

僕が小学校の頃は、まだ「給食を残してはいけない」という文化が色濃く残っていた。
小学校に入学したとき、まず越えなくてはならなかった試練。それは、給食に必ず出される「牛乳」を飲むことだった。
机の上に置かれた三角パックの牛乳を前に、ただひたすら貝のように固まった。先生は優しい女性の方だった。「少しでもいいから、飲みなさい」という。仕方ないので一口飲んだ。うえっ。まずい。吐きそうだ。吐くのは恥ずかしいので、ぐっと堪える。涙が溜まる。
そんなお昼の時間が、毎日繰り返される。先生の励ましを、同級生の励ましを、毎日のように受けながら、ひたすら牛乳という敵に立ち向かう。馴れというのは恐ろしい。次第に「いかに味わうことなく喉を通すか」を覚え始めた。
励まされることで少なくとも牛乳を飲みきることはできるようになった。そんなきっかけを作ってくれた、小学校に上がったばかりの担任の女性の先生は、すでに十数年前に、交通事故で亡くなったと聞く。

いや、牛乳は何とか克服できたのでまだいい。
厄介なのは、乳製品がオカズに使われていたときのほうだった。
牛乳の場合は仮に残してもそれほど目立たなかったりする。味も単一なので、慣れてしまえば流し込むことが可能だ。
ところが、オカズの場合はそうはいかない。口のなかで味がぶわあっと広がってしまう。固形なので、そのまま飲み込むわけにはいかない。
毎朝登校前に、給食の献立表を見る。オカズに乳製品が使われている日は、とりわけ学校への足取りが重くなる。4時間目くらいから憂鬱になり、学校をサボりたくなってくる。

たとえば、こんなある日。小学校3年生だったか、4年生くらいのことだったと思う。
アルミホイルをあけると、そこに登場したのは鶏肉である。鶏肉は好きである。美味しくいただける。
が、その上に固形とも液体ともつかない黄色いものが、異臭を放っているではないか。
……チーズだ。をえっ。
大抵の人はとくに気にせず、あるいは儲けモノくらいの感覚なのだろうが、僕の場合はそうは行かない。
「……な、何てもったいないことをっ!!」
となってしまうのである。
ここで取れるテはいくつかある。

その1.「仮病を使う」
しかし、担任の頭の中には、コイツは乳製品が給食に出されると途端に体調が悪くなるという情報がすでにインプットされている。「仮病」が通用するのは、最初の2〜3回くらいのものだ。担任に「体調悪いので食べられません」と正直に告白したところで、「半分は食え」と宣告されるのがオチである。通用しない。
その2.「机の中や手提げ袋に隠す」
担任の目を盗み、その間にささっと隠す。まずは担任の見ていない隙を伺わなければならない。しかし、敵は担任だけではない。一緒の班にマジメなヤツがいたりすると、「食べなきゃダメじゃん。いけないんだー」と騒がれてしまう。実行のタイミングが大変難しい。
さらには、このテを使ったときは、帰りのことまでしっかり考えなくてはならないのである。そもそも給食を机の中に隠したところで、ブツを持って帰るにはどうすればよいのか。放課後に机の中から出したところでマジメなクラスの生徒に見つかれば、それでアウトである。ここで持ち出すタイミングを逸すると、次の日から俺の周りに異臭騒ぎが起こる。これもすでに何度かやらかしており、担任にこっぴどく怒られている。
仮に持ち出しに成功したとしても、家にそのまま持って帰れば親にどやされる。どこかにコッソリ捨てなくてはならない。校舎の裏とか、校庭のタイヤ置き場とか……
コイツが角バターなどであれば実行するのはそれほど難しくない。小さいのでささっとズボンのポケットに隠してしまえばよい。あとは校舎の窓から呪いの言葉とともに投げ捨てる(よい子の皆さんは真似しないように)。
しかし、この日は「ホイル焼き」である。コイツをささっと隠すのは大変難しい。隠したところで液体が漏れ、被害が拡大する。
その3.「友人にコッソリ食わせる」
これは交渉力が問われる。その日給食を一緒に食っている同じ班のメンバーに、「食べてくれないか?」と持ちかけるのだが、成功率は低い。大抵は「先生に言わなきゃダメだ」と突っぱねられる。突っぱねられると給食が終わるまで自分のオカズに注目が集まることになるので、リスクが伴う。この日、罪の意識を共有してくれそうなヤツは、なかなか見あたらない。

かくして、残された選択肢は2つである。「我慢して食う」か、「頑として食わない」か。
しかし、どうして目の前の物体を食わなくてはならないのか、考えてもどうしてもわからない。別に栄養にならんでもいい。背丈も小さいままで結構だ。こんな思いをするくらいなら、別に学校なんぞ行かなくたって……
結果、どうなるか。
給食の時間が終わり、みんなが一斉に机を下げはじめる。給食の乗せられた机とともに、自分も後ろに下げられる。昼休みなので、みんなは外で遊びはじめる。
やがて、掃除の時間が始まる。それでも頑として、下げられた机での睨み合いが続く。「邪魔だから早く食え」そう言われているかのごとく、掃除当番の視線が刺さる。
5時間目が始まる。それでもまだ机の上には給食が乗っている。断固抵抗。不服従。
呆れた担任が「あと3口でいいから食え」という。できるだけ被害の少ないところを狙って、口に入れる。をえっ。「もういい」お許しが下る。ひとりで給食室にお盆を下げにいく。

昨日、横須賀の猿島というところでバーベキュー大会があった。その際に大学時代の同期が、連れの女性2人に僕のことをこんなふうに紹介する。
「コイツはZ会って会社で国語の教材作ってたんスよ。ひねくれてるから、難問で有名なZ会で問題作るのにはちょうどよかったのかも」
……そんな紹介のされ方があるかっつーの。いや、もしかしたらひねくれていると称されるのには、小学校のときのこんな経験も関係しているのかもしれない。あ、でも決して、国語科編集部のメンバーはひねた人たちとは限らないですからね。あしからず。

話は再び軽井沢での結婚式に戻る。乳製品を出されない結婚式ができたなんて、何と幸せな世の中になったことか。ありがたいことですなあ。
「和食と洋食、どちらになさいますか?」
「あ、和食でお願いします」さらにテーブル担当者がこう続ける。
「アレルギーなどはございますか?」
別段、乳製品が「アレルギー」というわけでもないのだと思う。乳製品を食って痙攣するとか、卒倒するとか、蕁麻疹が出るとか、そういうわけでもない。お腹が緩くなるのと、あとは気分が悪くなるくらいである。俺にとっては、タバコの匂いなんぞより、乳製品の匂いのほうがよほど苦痛だ。
ともあれ、せっかくだからこう答えてみた。
「あ、牛乳っスね」
まあ、和食なんだから牛乳がダメって答えたところで、さしてメニューも変わらんだろう。
ところがどっこい、これが驚いた。8品目ほどのメニューのなかで、実に半分の4品目のメニューががらっと変更されたのである。
いちばんビックリしたのは、「鯛ごはん」というメニューが、何とふつうの「赤飯」に変更された点である。うーむ、「鯛ごはん」には乳製品が使われていたのか……密かに楽しみにしてたんだけどなあ。
しかし、こんな自分ごとき小人に対して、ここまで徹底して料理を出していただいた式場の料理人に、何だか申し訳ない気分になった。文句言わずに、食えればいいんですよね、ハイ。何だかスミマセンねえ……

さて、そんな自分のような人間にとっての「給食の時間」の心情を、大変的確に表現した曲がある。
SEX MACHINEGUNSというバンドの「ONIGUNSOU」という曲。
最初に聴いたときには爆笑してしまった。いやあ、何でって、自分の小学生時代の切ない心情に酷似していたから。
「給食食べなきゃ遊びにいけない(オニッ! オニッ! オニッ!)」
目の前の給食が食べても食べてもなくならなかったり、掃除の時間に隠したオカズが出てきちゃったりするのである。
そして、曲は最後に「明日になればカレーが食べれるぞー!」でシメられる。そう、カレーなら、俺も食えた。
MACHINEGUNSは言いたくても言えない立場の心理とか、地味に味わい深いスポットを突いて笑いに変え、詞に表現するのが大変上手い。今さらながら、すっかり中毒気味だったりする。

振り返ってみれば、あの地獄の給食の時間から学んだことも結構あったのかもしれないな。嫌いなものを前にして、必死に頭使ったもんな。段取り力とか、交渉力とか、少しは身に付いたんですかね?……って、しちゃいけないことが前提じゃ、そうも言えないのかな。