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元中学コース編集部 繊粒庵ぽん吉

元中学コース編集部員から、日々の生活・考えたことをあなたに

     
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恐れず 驕らず 侮らず
[2007年06月20日(水) ]

昨晩のこと。今春晴れて社会人となったYくんから電話があった。

「外回り4日目で、大口のお客様から注文してもらえたんです。会社の記録を更新しちゃいました。うれしくて報告しました」

彼の声は弾んでいた。

3年程前の話、当時まだ会社の近所に住んでいた僕は、休日になると一人で横浜の下町を歩いていた。そこで見つけたある1軒の牛タン屋さんがある。僕も3年間東北地方に住んでいたので、その店名に懐かしさを感じて足を踏み入れてみたのだ。
店に入り、カウンターで黙々と飲んでいたのだが、メニュー表のウラに宮城県の地図と市区町村が記されていたり、店内に東北の写真が飾られていたりで、店名同様の懐かしい雰囲気が漂う店だった。東北の地酒も揃っていたし、牛タンもなかなか美味しかった。
2回目のときだったか、この店のご夫婦と仲よくなった。ご夫婦のやり取りはまるで漫才を見ているかのようで、その様子を見ているだけで楽しいものだった。
すっかり気に入って、休日になるとこの店に足を運び始めた。次第に、いっそこの町に住んでしまおうかな、と考えるようになった。
「このあたりにいい物件、ないですかね?」などとご夫婦に相談してみた。ご夫婦は親身に相談に乗ってくださった。
ある不動産情報誌に、この店から歩いて5分もかからないところに、安くていい物件を見つけた。年も押し迫った12月。いそいそと引っ越しを済ませた。
それからは、週に1回は必ずこの牛タン屋で夕飯を食べていた。ご夫婦はいろいろと相談に乗ってくれた。さまざまなキャラクターの常連さんとも仲よくなった。みんなで一緒に旅行をしたこともある。

その牛タン屋に不幸が襲ったのは、突然のことだった。
仕事を終えて、いつものようにその店へと足を運ぶと、シャッターが下りている。
「都合により、しばらくの間休業させていただきます」そうかかれた紙が貼ってあった。
慌てて店のお母さんに電話をかけた。
「お父さんが……脳溢血で倒れちゃって」気丈なお母さんの声が潤んでいた。
幸い一命はとりとめたものの、お父さんの半身は不自由になった。懸命なリハビリの結果、だいぶ言葉も話せるようになったが、今でもフライパンは握れない。
牛タン屋はそのまま閉店した。それから2年、ご夫婦は先日故郷の宮城県へと帰っていった。

Yくんというのは、実はこの牛タン屋さんの息子さんなのである。
お父さんの身体が不自由になり、一人息子の彼は一家を支えていかなければならなくなった。まだ大学生だった彼は、店を継ぐべきか、社会人として就職するかで悩んでいた。考えた挙句、大学の時から株式投資に興味を持っていた彼が選んだのは、証券会社の営業マンの道だった。店を継ぐならば、社会人としての経験を積んでからでも遅くはあるまい、と。

大学時代から投資の知識をもち、かつ人あたりのよい彼のこと、営業マンのセンスがあるというのは店の常連のみんなも認めるところだった。
そして彼はさっそく結果を出した。4日目にして新規顧客から数百万円の受注をとってくる彼の嗅覚には、天性のものを感じる。
まずは成功したときの仕事の楽しさを噛み締めてほしいなと思う。
しかし、実は本当の闘いはここからだよという気も、一方ではするのだ。

僕の新入社員時代を思い出してみる。僕の働いていた塾には授業評価というのがあり、節目節目で全国の講師のランキングが発表された。塾屋の評価=授業の質に他ならないと考えていた僕は、とにかく授業では誰にも負けないと意気込んでいた。次の日の授業の予習を、毎晩遅くまで、時には朝までやった。明日この部分を説明するには、どんな板書をすればよいのだろう、チョークの色は? 生徒に渡すプリントは……などなど。
結果、最初の発表で新人の講師としては破格の位置にランキングされた。2年目で全国トップに立った。
でも、今思い返せば、ここからが本当の闘いだったんだよなあと思うのだ。
授業のできない上司の話には、授業のうまいヤツが会社で認められるべきじゃないのかと、耳も貸さなくなった。トップになってこれっぽっちのカネしかもらえないのかと息巻いた。授業ではすでにうえに目指す人がいない。喪失感。今思えば、社員である自分は、仕事というものをもっと広い範囲で考えるべきだったのだが。このクソ会社めと、会社の上層部に質問状を送ったこともあった。
結果、日々の授業にも身が入らなくなっていった。3年目で僕はその会社を辞め、プータローになった。仕事がなくなるということがどんなにつらいことか。過信された才能に慢心していた僕は、辞めるまでそのことに気づかなかった。

先日雑誌を読んでいて、あるボクサーのトランクスに、こんな文言が刺繍されているのを見つけた。

「恐れず 驕らず 侮らず」

これって、とてもいい言葉だなあと思う。ボクシングの世界でも、デビュー戦で派手なKO勝ちを収めた選手が、その後必ず世界チャンピオンへの階段を登っていくわけではない。いや、それよりもむしろ、自分のもって生まれた才能に驕ることなく、常に技を磨き、自身のコンディションを長いスパンでコントロールできる人が大成できるのだ。そして、1戦1戦の試合では、恐れず前に出るファイトができないと、結果も出ない。ファンもついてこない。我を忘れて調子に乗れば、一発逆転のカウンターを食らうこともある。
仕事にも同じことがいえるんじゃないかなあと思う。与えられたひとつひとつの機会に、勇気をもって臨むこと。しかしそこで、「オレはすごいのだ」などと勘違いしたり、相手を見下すようなことをことをしたりすれば、悪い結果が待っているものかもしれない。
もっと大きく考えれば、会社そのものについても、これはあてはまるのかもしれないなと思う。

Yくんは電話の最後にこう付け加えた。

「まわりの皆さんのおかげです」

そんな謙虚な気持ちを持ったYくんであれば、これからもきっと大丈夫だろう。

今朝出社してから、まずは自分のパソコンのスクリーンセーバーの設定を変えた。
画面の右側から流れてくる文字。それは、

「恐れず 驕らず 侮らず」

と読める。

往復書簡
[2007年06月06日(水) ]

またまたのご無沙汰。なかなか「これは書きたい!」と思って書けるネタがなくて、いつも間隔が空いてしまう。
書ける人にとってはブログってのは正直に、毎日さらさらと書けるものらしい。そのような人は、おそらく心根の素直な、よい人なのだろうと思う。

然るに、素直に書けないのは、自分の心性が悪だから、悪だと思っているからじゃないかなと考えてみる。自分の内なる悪が過剰に認識されちゃうから、素直になることを極力避けようとする。そんな悪を心の中にしまってコミュニケーションを計ってこそ、見えてくるものもまたあったりする。
つらいけど、仮面は仮面で大事なんだよな、と今は思っている。不思議なことに、例年6月という時期になると、「素直になるとはどういうことか?」「本当の自分とは何か?」という命題を突きつけられることが、なぜか多い。

じゃ、いっそ素直に自分の内面を吐露しちゃったらどうなるか……書けば書くほど自分という人間の品性が疑われるようなことばかり書いちゃいそうだよなあ、俺。
ましてこの場は会社の日記。一応は肩に力が入る。業務日報よろしく会社の日常をそのまま書きでもすれば更新も頻繁になりよろしいのかもしれないが、仕事ってのは口外できないこともたくさんあるからね。

と、ちょっと素直な(?)前置きを書きながら久々の記事を書くのは、今日は伝えたいなと思うことができたからだ。

国語教材の編集をしていた頃の話。僕は詩の出典を選ぶのが好きだった。素直に驚きや感動を得やすかったからかもしれない。「これは中学生にも読んでもらいたい!」そんなふうに思った詩があれば、今度は問題として使用できないかを検討する。
問題文として使用するためには、どこに傍線を引け、どんな問いが準備できるかを考えなくてはならない。とくに、詩の場合は一定の解釈が成立しないことも多い。詩を読んでどんな感想を持つのかは、その人の感性に任せて自由でよいはずだ、という考え方もある。だから詩の問題を作るというのは、なかなか難しい作業であると同時に、作者の方の意に反する解釈をしかねない、もっと言えば創作の意に反する存在そのものになりかねない罪な作業でもあると僕は思っている。
そして、作問と同時に、必ずしなくてはならないことがある。その作品を書いた詩人の方に、「Z会の教材で使用してもよいですか?」と了解をとらなくてはならない。いわゆる著作権の申請だ。

今から4年前のこと。中学コースの教材で、ある詩人の方の作品を使用させていただいたことがある。事情があり、この場で詩人の方のお名前・作品名は出せない。仮にお名前をKさんとしておこう。この詩を読んだとき、僕は「これは中学生に読んでもらいたい!」と思った。驚きと優しさに溢れた、ビビっとくる詩だった。
さっそくKさんに連絡をとってもらった。返事はOKだった。

その1年後くらいだったと思う。Kさんから1冊の詩集とお手紙が送られてきた。1篇の詩をこちらから使わせていただいただけなのに……なんと丁寧な方だろう。
実はこのとき、僕は最初にこの詩の存在を教えてくれたある先生と仲たがいしてしまっていた。この詩をめぐる、解釈の違いが発端だった。お詫びの意味も込めて、Kさんから送られてきた詩集を先生にお送りした。Kさんには、直筆で御礼のお返事を書いた。

Kさんから次の詩集が届いたのは、それからまた2年が経った去年のことだ。
「その時のあて先に詩集を送っても、もう、そこにはおみえにならないかなあ、と思っていますが」「無事届きますように」手紙にはそう書かれていた。
こげ茶色の上品な装丁に包まれた紙の一枚一枚に、「瑞」を感じさせるKさんらしい優しい作品が散りばめられていた。
あまりにうれしくて、国語科編集部内で詩集を回覧した。収録された詩を読んで涙ぐんだというスタッフ、お昼休みに熟読したというスタッフ。みんなKさんの詩が大好きだった。
この詩集は、僕がいただいた。会社からの帰り道、家の側のカレー屋で一読した。1篇めの作品の静寂さに、さっそく涙がたまった。
実は今日も、僕の枕もとにこの詩集がある。ごまかしながらとりあえず密度だけを埋めていく日常。そこから立ち止まって、自分を見直してみないとって思ったとき、Kさんの詩集を開き、どこか1篇を読んでみる。ときには涙をこぼす。

不義理とはこういうことを言うのだろう。
僕はこの詩集をいただいたとき、これは是が非でも読後の感想をKさんにお送りしなくては、と思っていた。手書きで、直筆で、職場ではなく自宅で、感想を書かなくてはと思った。
しかし、今に至るまで、実は一向にお返事を差し上げていないのだ。

国語の編集担当を引退して、3ヶ月以上が過ぎた。
新しい仕事は楽しい。しかし、編集とはまったく別次元の仕事をするために、あえて自分の中から懸命に捨てようとしてきた過去があるのも事実だ。国語時代に得てきた文学性や、感性。読書も一切しなくなってしまった。これらによって今の僕が形づくられていることは紛れもない事実である限り、完全に捨て切れるようなものでもないのだけれど、それでも変わらなきゃ、そんな焦燥感があったことは、否定できない。
そんな折、昨日のことだった。
なんとKさんから、3冊目の本が届いたのだ。

「しばらくは、もう、本をつくることもないと思うので、『わっ、また来た!』と怖がらないで、受けとってくださいね。」

ブルーブラックのインクにやや丸い文字。一目でKさんからだとわかる温かいお手紙。
薄い水色の上品な装丁。今回は詩集ではない。ある詩人の方との往復書簡をまとめたものだった。
Kさんは「ささやかながら発信したい、と思うことが自分にあってこの本をつくりました」とおっしゃっていた。
往復書簡という懐かしい響き。僕は中学〜大学までずっと手紙を書くのが趣味だった。大学時代、クラスのある女の子と手紙のやり取りをしていた。本やCDの貸し借りと一緒に、必ず3、4枚のお手紙をしたためた。相手も相手、僕よりもずっと筆まめで、字の丁寧な人だった。文字にしてやっと打ち明けられる懊悩もあった。手紙同士でケンカしたこともあった。そんな過去があって、口下手が文章で何とかカバーできる今の僕がいるのだろう。

「ほんとうに、いいの? あなたは捨てちゃって、いいの?」

Kさんに、そう問い掛けられているようで、何だかとても恥ずかしくなった。
昨年いただいた詩集の感想を未だに送れずにいる不義理な自分が察せられているようでもあり、ますます恥ずかしくなった。

ページはまだ開いていない。今晩ゆっくり、作品に向かってみようと思っている。Kさんが「発信したい」と思ったのは、どんなことなのだろうか。そして、「しばらくは、もう、本をつくることもないと思うので」という手紙の一節が、妙に心に引っかかっている。
そして今回こそは、お手紙を書かなくては、と思う。まだ見ぬ詩人、Kさんに――。