いやー、またまたご無沙汰である。え、生きてたのかって? まあ、そう簡単には死にやしませんので、ご安心を。単に不精なだけですから。
何度か「今日こそ更新を!」と思ったのだが、ネタも浮かばず、忘れてそのまま帰宅を繰り返し、このザマだ。
まずは、ちょっとだけ宣伝でも。企業連合「エコネットみなまた」発行の「かづら」90号に、「水俣訪問記」という僕の文章が1Pほど掲載されてます。下記のページから甘夏なぞを注文すると、付録としてついてくる……はず。
http://homepage2.nifty.com/-kokage-/suzuran/hannouren.htm
実は上記のページに登場する水俣市の大沢さん宅で、僕は何度か農作業のお手伝いをさせてもらっています。無農薬の甘夏は、本当においしいんですよ。とくに収穫のあとの味は格別です。
過去の惨事に対して目を背けることなく、できることから地道に、正直に努力を続けていこうという水俣の農業の姿勢には、心打たれるものがあります。「見るべきところを」「きちんと見て」「行動する」、3つがきちんとできているなあと。過去を反省して行動することで、未来はよくなっていくはず。生産者のみなさんの姿勢には尊敬の念を送りたいです。
それはさておき……と。
近況でも。自宅から歩いて3分のところに、遅い時間まで営業しているスタジオを発見した。これなら遅い時間に帰っても練習できるって訳だ。そんなこんなで、先週はドラム三昧。打つべし! 打つべし! ってなテンションで、深夜の0時までドラムを叩いたりしていた。
ところが日曜日、バンドの音合わせの際に耳が「キーン」と。クラッシュシンバルの音がモロに右耳を直撃しちゃったみたいで、以来「ゴーッ」というクーラーのような音が右耳に響き続ける。今日になってだいぶよくなってきたのだが、昨日までは平衡感覚が欠如気味で、フラフラと。
しかしまあ、数年前には突発性難聴に罹ったこともあるし、耳の不具合にはもう慣れてきたな……平衡感覚がなくなっても、昼間から職場で酔っ払っているようで、何だか不思議な気分だ。この調子ならオレは「酔拳」でも使えるんじゃないかと(※ちなみに、中国の「酔拳」は実際にお酒を飲んで闘うのではないらしいです。へーっ)。あ、ハイ、仕事しますけど。
ところで、先日
Z会の中学コースを受講してくれている人はどんなところに住んでいるのだろうと調査していて、驚いた。
市区町村別の比率の上位を眺めていると、そこに「鹿児島県十島村」の名前があったからだ。
うれしいな……実は僕は去年の春に、十島村を訪れている。
十島村っていうのは、実は日本で最も細長い村なのだ。それもそのはず。この村は屋久島と奄美大島の間、東シナ海に浮かぶ12の島から構成されているからだ。
この島々を「トカラ列島」と呼ぶ。12の島のうち、有人島は7つ。村民は660人余り(平成16年調査より)。最も人口の多い中ノ島で167人、最も人口の少ない小宝島では43人の島民が暮らしている。
僕が去年訪れたのはこの7つの有人島の1つ、悪石島。以前からその名前に引かれていて、死ぬまでに一度は足を運んでみたかったのだ。鹿児島から週に2便しかないフェリーに揺られること11時間余り、ようやく着いた悪石島は海に囲まれた険しい島だった。本屋はおろか、商店すら1件もない。つまり何もない。携帯電話も圏外(ただし、ドコモは電波が入る)。それでも人口わずか70人余りのこの島には、厳しくもあり、優しくもある本当の自然があったと思う。「秘境トカラ」――そのキャッチコピーのとおりだった。4日間お世話になった民宿の83歳のおばあちゃん……島のいろんな話を聞かせてくれたっけ。元気かなあ。また会いたいなあ。
そんな十島村の島々に、
Z会の中学コースを受講してくれている中学生がいる! なんてうれしいんだろう、と。
郵便物だって週に2便しかないフェリーで届けるしかないのだ。そのフェリーに乗って、
Z会の教材が運ばれて、島に住む中学生に届いているんだよね。そして、一生懸命解いた答案がポストに入れられて、またフェリーで運ばれて、添削されて、またフェリーに乗って島に着いて……
都会とは違って、塾がそこいらにあるわけではない。本屋すらないから参考書もなかなか買えないだろう。そんな島の中学生が、
Z会の中学コースで勉強してくれている。
十島村だけではないんだよね。北海道の十勝岳の麓の小さな温泉地に住んでいる中学生もいる。日本海に面した小さな村の中学生がたくさん受講してくれていたりする。
個人情報保護法の関係で具体的なことは書けないのだけれど、僕はそんなみんなに
「○○都道府県××市区町村の中学生のみんな、
Z会を受講してくれてありがとう! オレもがんばってるよ。君たちもがんばれ!」
って声をかけたくなった。
通信教育のよさって、こんなところにあるのかもしれないね。
とっても広い範囲で、自分たちの作った教材を使ってくれている人がいる。黙々とデスクで検討していた国語の問題が、日本全国の中学生のもとに飛んでいく。
そのスケールの大きさを実感するとき、編集部ってすごい仕事をしていたんだなあと、改めて過去の自分の責任の重さを痛感せざるを得ないのだった。