今月3回目の更新。相変わらず亀の歩みのように、見事な更新の遅さである。
最近は中学受験を経験した保護者の方からお話を伺うことが多かった。実は僕も中学受験経験者である。でも、話を聞いていると今の中学受験って、自分の頃よりも大変だなあと思う。
僕の頃などはクラスで中学受験組みは2、3人。まだまだ少人数で、ときには先生や周りからは変な目で見られることも多かった。しかし、今ではクラスの半数以上が中学受験をする小学校などもあるのだという。塾通いも、僕は5年生の夏前くらいからだったが、今の小学生は3年生や4年生から。さらに習い事も何かしていないと、という家庭が多い。
そんな折、ふと僕が小学校に通っていたときの塾のことを思い出した。
僕の通っていた塾は、家から自転車で5分くらいのところだった。当時から大手塾はあったのだが、通うには電車に乗らなくてはいけない。そこまでして通うのはイヤだなあ。そこで通い始めたのが小さな地元塾。商店街からちょっと路地を入ったところにある雑居ビルの2階だった。
僕が5年生で入塾したとき、クラスの生徒は7人くらいいた。全員が中学受験組。しかし、同じ小学校の友達がいたわけではない。だから最初はやたらと緊張した覚えがある。
それでも、先生方が授業でクラスの雰囲気を作っていくうちに、次第に塾の雰囲気に馴染んでいった。先生は元気で明るい人が多かった。しかし、単に元気で明るいだけではない。当時はまだ体罰も当たり前の時代だった。宿題を忘れれば竹刀が飛んでくる。クラスがうるさいと、先生が突然こめかみに青い線を浮かべて怒鳴る。投げられたチョークが耳をかすめる。それでも、当時はやりすぎだろうっていう感覚はなかったな。実は小学校の先生は往復ビンタやらケツバットやらで、もっと酷かったのだ。
今思えば、塾の先生の中には大学生もいたのだろう。でも、小学生の僕にとっては、みんな随分と年齢が上の人たちに感じたものだ。
小学校6年生になると、クラスのほとんどが大手塾へと移ってしまった。残された生徒は僕ともう1人だけ。突然授業に活気がなくなっていった。それでもこの塾をやめたいなあとは思わなかった。先生がとてもかわいがってくれたし、成績も上がっていた。中学生の先輩もよくしてくれた。なんの不満もなかった。
たまに先生に弁当やタバコを買いに行かされたこともあった。お釣りはお駄賃としてもらえるのだ。小学校にはないそんな近さも、僕にとっては小学校よりも塾のほうが好きだった原因だったと思う。
授業も室長と呼ばれる責任ある立場の先生が教えてくれた。なかなか厳しい授業で、当時から算数が苦手だった僕は四苦八苦していた。人数が少ないのに、先生は一生懸命教えてくれている。伸び悩んでいる僕を見かねて、別の先生が「一緒に勉強しよう」と正月まで教室を開けてくれた。他には誰もいない教員室。ストーブの石油の匂い。薬缶の湯気。そんな空間で、先生と僕は入試の過去問を解いていた。
先日、ある保護者の方から「勉強マシンを育成するのではなく、人間的な部分を育ててくれる塾がいいですね」という意見を伺った。なるほど、おっしゃるとおりだ。
考えてみれば、僕はこの塾で人間としてしてはいけないことも学んだと思う。
途中から入ってきた、きざな生徒にいやがらせをしたことがある。そのとき、先生は本気で僕を殴った。確か家に帰らされたような気がする。また、今となっては詳しくは思い出せないが、入試前に僕は塾のある生徒の志望校や成績をしつこく問いただそうとした覚えもある。このときも塾の先生は、僕に人間として怒った。「オマエらしくない」と連絡ノートに書かれた覚えがある。勉強以前の「してはいけないこと」に対して、断固として怒る先生が多かった。
2/1、第一志望校の入試があった。入試が終わり、塾へと向かった。先生と一緒に採点してみる。算数を除く3教科は8、9割得点できている。しかし、やはり苦手な算数は半分できているかどうか。微妙なところだな……先生たちの表情に、不安の色が浮かんでいた。あとは結果を待つしかないか。
2/3、第二志望校の入試。この日の試験中に第一志望校の合格発表があった。合格発表は両親が見に行くことになっていた。
試験が終わり、両親と待ち合わせした。結果は、合格だった。よかった。その足で塾へと向かい、報告をした。僕の顔を見るや、塾長は受付の廊下で大泣きした。
家に帰ると、一通の電報が届いていた。正月に教室を開け、授業料も取らずに教えてくれたあの先生からだった。
「ゴウカクオメデトウ コレカラモガンバレ」そう記されていた。
送信された時間を見ると、まさに合格発表の直後だった。あとから聞けば、いてもたってもいられずに、直接掲示板を確認しに行ったのだという。
中学校になってからも、たまに塾へ遊びに行った。中学生の先輩がかわいがってくれた。しかし、結局公立には進まなかった僕は、やはり生意気なヤツに映るのだろう。そんな理由から、次第に思い出の詰まった塾から、足が遠のいていった。
あれは確か中3のときだ。学校からの帰り道、久しぶりに先生達に会いたくなり、僕は塾へと足を運んでみた。商店街から路地を曲がる。そこで見た光景に……僕は愕然とした。
「カラオケ トマトクラブ」
そう書かれた赤い看板が、入り口に立っていた。
僕の通っていた塾は、もうそこにはなかったのだ。
小さな塾だった。名前だけはでっかく「開成予備校」だったが、実際に開成中学に入学できる生徒など、誰もいなかった。近所の評判も決してよくなかった。それでも僕は……この塾が好きだった。
あの先生方は、その後どうしたのだろうか。
大学3年、就職活動をこれからするという段になり、オレって何をしたいんだろうなあと考えた。就職ガイドをめくるだけはめくった。
美辞麗句ばっか並べやがって、どこもツマラなそうだなあ。マジメくさってサラリーマンかあ、何かいやだねえ。
あ、そういえばオレ、昔は塾の先生好きだったよなあ。だったら塾の会社でも受けてみるか。いちおう
Z会が第一志望だけど。
卒業して3年間、僕が塾の教室で生徒を教えることになったのは、間違いなくあの先生方がいたからなのである。