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元中学コース編集部 繊粒庵ぽん吉

元中学コース編集部員から、日々の生活・考えたことをあなたに

     
東海市教育委員会主催「第2回授業実践グランプリ」
[2008年05月27日(火) ]

僕の手元に、いま1枚の紙があります。
 「終着駅のない改革」――そう題されたこの文章は、東海市教員研修センターの前所長でいらっしゃった澤田広彰さんが書かれたものです。

澤田さんのお話を伺ったのは2月3日、雪の日に東京国際フォーラムで行われたNPO次世代教育推進機構さん主催のセミナー「Edu.Planning 21-22」でのことでした。壇上にあがり、恐縮されながらも子どもたちへの熱い思いを率直に語られた澤田さんの夢はとても大きく、聞いている僕の心は暖炉の灯に温められているかのようでした。

その後、セミナーのひとりの参加者として、失礼ながらも澤田さんに連絡をとらせていただきました。「ぜひ一度、お会いしてお話したいのですが、お時間はないでしょうか」とメールで伺ってみました。澤田さんはこのことを大変喜んでくれました。「セミナーを通じて、同志を得たことは私にとって記念すべきことです」――そんなうれしいお言葉をいただきました。

以前にもこのブログで書きましたが、実は僕はZ会に入社するまでは学習塾の会社で働いていました。次の日の授業のために、会社から帰って予習をする、授業では他のだれにも負けたくない、そんな思いで睡眠時間を削って、子どもたちにどう説明しようか、どう理解させようか、真剣に悩んだものでした。
そんな行動も、当時は僕個人のエゴを満たすためであったのかもしれません。オレにはこんなにいい授業ができる、生徒にも人気がある、どうだすごいだろう――そんな思いが多くを占めていたことは恥ずかしながら否定できません。
だけど、仮にそんなによい授業を自分がしているのであれば、周りの先生方にも影響を与えていけばいいんだよね。周りの先生まで含めて、みんなでよい授業をして、そしてたくさんの子どもたちに喜んでもらえれば、いいんだよね。
日々自分のことで精一杯だった当時の僕には、そんなでっかい情熱がなかったんだと思います。そしてそこから生み出された授業は、よい授業でもなんでもなかったのではないかな、振り返ってみてそう思います。

澤田さんは僕におっしゃいました。

「学校、塾を問わず、子どもたちをど真ん中にすえて、子どもたちのために何ができるかをまっすぐに考えていきたい」と。

僕がまだ塾にいた十年前、塾現場にはまだ「塾は公教育・学校のあくまで補完機能であり、我々は日陰の役目なのだ」という負の意識が根強く残っていたような気がします。塾にも素晴らしい技術、素質、知識を持った先生はたくさんいました。ただ、目的があくまで入試に限定されがちではありました。
時代は変わり、昨今では公立の中学校と民間の塾が連携して何かを行うといったことも報道されるようになってきました。
しかし、そこでいちばん失っちゃいけない思いってなんだろう?
それは、学校の先生であれ、塾の先生であれ、「子どもたちを教える」という使命を背負った人間は、子どもたちの成長、子どもたちの生活に日々とても大きな影響を及ぼしているということなのではないか。そんなふうに思います。

「子供たちをど真ん中にすえて」「まっすぐに」

力感のある、何とよい表現なのだろうと思います。

このような経緯があって、今年度、愛知県東海市教育委員会の主催する「第2回授業実践グランプリ」をZ会が後援することになりました。
東海市は、名古屋市に隣接する人口約10万人の都市です。規模の大きい市とはいえないかもしれません。しかし、「よりよい授業実践を募集することで、先生方の授業の参考にしていただき、子どもたちが家に帰ったときに笑顔で今日の授業のことを話してもらえるように」というこの取り組みからは、市区町村の大きさを問わない、真剣に子どもたちの授業を考えていこうという志の大きさが伝わってきます。
真剣だからこそ、「『学校』『学習塾』という枠を超えて、目の前にいる子どもたちのために互いが切磋琢磨」していきたいという趣旨なのです。募集を学校現場の先生に限定しているわけではありません。学習塾にお勤めの先生方でも、趣旨に賛同していただける方は、ぜひご応募いただきたいなと思います。
微力ながら、Z会として後援することでひとつでも多くの授業実践例が集まれば、そして応募作品が授業をされる先生方のヒントになり、何よりもその先生方の授業を受けた子どもたちの目が輝いてくれれば、これ以上うれしいことはありません。
「第2回授業実践グランプリ」の募集内容の詳細につきましては、下記「東海市教育委員会」のページをご覧ください。

http://www.city.tokai.aichi.jp/%7Ekyouinkenshuu/grand-prix/grand-prix.html

4月、澤田さんは東海市教員研修センターを離れ、現在は愛知県の小学校で校長先生をされています。
澤田さんのこと、新しい小学校でも情熱を前面に出し、子どもたちに好かれる校長先生を務めているにちがいありません。

最後になりましたが、今回の後援を前向きに進めてくださった東海市教員研修センターのみなさま、貴重な機会を作ってくださったNPO次世代教育推進機構のみなさま、企画に賛同してくれたZ会という会社・社員のみんなに、心から感謝しています。ありがとうございました。

給食食べなきゃ遊びにいけない
[2008年05月05日(月) ]

お、今回は更新がこれでも早いぞ。ちゃんと1ヵ月後の更新だ。
Z会はゴールデンウィーク中も通常どおりの営業である。会員さんの電話による質問も、ちゃんと受け付けていたりする……などと、去年も書いたような気がするけど。考えてみれば、もう1年も続いてるんですなあ、このページ。

世の中のゴールデンウィーク並みではないかもしれないが、ポツポツとお休みをいただいていたりする。29日の昭和の日は後輩の結婚式のため、日帰りで軽井沢へ。軽井沢で結婚式を挙げた自分の周りのカップルは、これで通算2組目になった。
最近の結婚式場は、和食と洋食を選べるところも多くなった。乳製品がニガテな自分にとって、これはとってもありがたいことだったりする。諸手を挙げて和食を注文、である。

僕が小学校の頃は、まだ「給食を残してはいけない」という文化が色濃く残っていた。
小学校に入学したとき、まず越えなくてはならなかった試練。それは、給食に必ず出される「牛乳」を飲むことだった。
机の上に置かれた三角パックの牛乳を前に、ただひたすら貝のように固まった。先生は優しい女性の方だった。「少しでもいいから、飲みなさい」という。仕方ないので一口飲んだ。うえっ。まずい。吐きそうだ。吐くのは恥ずかしいので、ぐっと堪える。涙が溜まる。
そんなお昼の時間が、毎日繰り返される。先生の励ましを、同級生の励ましを、毎日のように受けながら、ひたすら牛乳という敵に立ち向かう。馴れというのは恐ろしい。次第に「いかに味わうことなく喉を通すか」を覚え始めた。
励まされることで少なくとも牛乳を飲みきることはできるようになった。そんなきっかけを作ってくれた、小学校に上がったばかりの担任の女性の先生は、すでに十数年前に、交通事故で亡くなったと聞く。

いや、牛乳は何とか克服できたのでまだいい。
厄介なのは、乳製品がオカズに使われていたときのほうだった。
牛乳の場合は仮に残してもそれほど目立たなかったりする。味も単一なので、慣れてしまえば流し込むことが可能だ。
ところが、オカズの場合はそうはいかない。口のなかで味がぶわあっと広がってしまう。固形なので、そのまま飲み込むわけにはいかない。
毎朝登校前に、給食の献立表を見る。オカズに乳製品が使われている日は、とりわけ学校への足取りが重くなる。4時間目くらいから憂鬱になり、学校をサボりたくなってくる。

たとえば、こんなある日。小学校3年生だったか、4年生くらいのことだったと思う。
アルミホイルをあけると、そこに登場したのは鶏肉である。鶏肉は好きである。美味しくいただける。
が、その上に固形とも液体ともつかない黄色いものが、異臭を放っているではないか。
……チーズだ。をえっ。
大抵の人はとくに気にせず、あるいは儲けモノくらいの感覚なのだろうが、僕の場合はそうは行かない。
「……な、何てもったいないことをっ!!」
となってしまうのである。
ここで取れるテはいくつかある。

その1.「仮病を使う」
しかし、担任の頭の中には、コイツは乳製品が給食に出されると途端に体調が悪くなるという情報がすでにインプットされている。「仮病」が通用するのは、最初の2〜3回くらいのものだ。担任に「体調悪いので食べられません」と正直に告白したところで、「半分は食え」と宣告されるのがオチである。通用しない。
その2.「机の中や手提げ袋に隠す」
担任の目を盗み、その間にささっと隠す。まずは担任の見ていない隙を伺わなければならない。しかし、敵は担任だけではない。一緒の班にマジメなヤツがいたりすると、「食べなきゃダメじゃん。いけないんだー」と騒がれてしまう。実行のタイミングが大変難しい。
さらには、このテを使ったときは、帰りのことまでしっかり考えなくてはならないのである。そもそも給食を机の中に隠したところで、ブツを持って帰るにはどうすればよいのか。放課後に机の中から出したところでマジメなクラスの生徒に見つかれば、それでアウトである。ここで持ち出すタイミングを逸すると、次の日から俺の周りに異臭騒ぎが起こる。これもすでに何度かやらかしており、担任にこっぴどく怒られている。
仮に持ち出しに成功したとしても、家にそのまま持って帰れば親にどやされる。どこかにコッソリ捨てなくてはならない。校舎の裏とか、校庭のタイヤ置き場とか……
コイツが角バターなどであれば実行するのはそれほど難しくない。小さいのでささっとズボンのポケットに隠してしまえばよい。あとは校舎の窓から呪いの言葉とともに投げ捨てる(よい子の皆さんは真似しないように)。
しかし、この日は「ホイル焼き」である。コイツをささっと隠すのは大変難しい。隠したところで液体が漏れ、被害が拡大する。
その3.「友人にコッソリ食わせる」
これは交渉力が問われる。その日給食を一緒に食っている同じ班のメンバーに、「食べてくれないか?」と持ちかけるのだが、成功率は低い。大抵は「先生に言わなきゃダメだ」と突っぱねられる。突っぱねられると給食が終わるまで自分のオカズに注目が集まることになるので、リスクが伴う。この日、罪の意識を共有してくれそうなヤツは、なかなか見あたらない。

かくして、残された選択肢は2つである。「我慢して食う」か、「頑として食わない」か。
しかし、どうして目の前の物体を食わなくてはならないのか、考えてもどうしてもわからない。別に栄養にならんでもいい。背丈も小さいままで結構だ。こんな思いをするくらいなら、別に学校なんぞ行かなくたって……
結果、どうなるか。
給食の時間が終わり、みんなが一斉に机を下げはじめる。給食の乗せられた机とともに、自分も後ろに下げられる。昼休みなので、みんなは外で遊びはじめる。
やがて、掃除の時間が始まる。それでも頑として、下げられた机での睨み合いが続く。「邪魔だから早く食え」そう言われているかのごとく、掃除当番の視線が刺さる。
5時間目が始まる。それでもまだ机の上には給食が乗っている。断固抵抗。不服従。
呆れた担任が「あと3口でいいから食え」という。できるだけ被害の少ないところを狙って、口に入れる。をえっ。「もういい」お許しが下る。ひとりで給食室にお盆を下げにいく。

昨日、横須賀の猿島というところでバーベキュー大会があった。その際に大学時代の同期が、連れの女性2人に僕のことをこんなふうに紹介する。
「コイツはZ会って会社で国語の教材作ってたんスよ。ひねくれてるから、難問で有名なZ会で問題作るのにはちょうどよかったのかも」
……そんな紹介のされ方があるかっつーの。いや、もしかしたらひねくれていると称されるのには、小学校のときのこんな経験も関係しているのかもしれない。あ、でも決して、国語科編集部のメンバーはひねた人たちとは限らないですからね。あしからず。

話は再び軽井沢での結婚式に戻る。乳製品を出されない結婚式ができたなんて、何と幸せな世の中になったことか。ありがたいことですなあ。
「和食と洋食、どちらになさいますか?」
「あ、和食でお願いします」さらにテーブル担当者がこう続ける。
「アレルギーなどはございますか?」
別段、乳製品が「アレルギー」というわけでもないのだと思う。乳製品を食って痙攣するとか、卒倒するとか、蕁麻疹が出るとか、そういうわけでもない。お腹が緩くなるのと、あとは気分が悪くなるくらいである。俺にとっては、タバコの匂いなんぞより、乳製品の匂いのほうがよほど苦痛だ。
ともあれ、せっかくだからこう答えてみた。
「あ、牛乳っスね」
まあ、和食なんだから牛乳がダメって答えたところで、さしてメニューも変わらんだろう。
ところがどっこい、これが驚いた。8品目ほどのメニューのなかで、実に半分の4品目のメニューががらっと変更されたのである。
いちばんビックリしたのは、「鯛ごはん」というメニューが、何とふつうの「赤飯」に変更された点である。うーむ、「鯛ごはん」には乳製品が使われていたのか……密かに楽しみにしてたんだけどなあ。
しかし、こんな自分ごとき小人に対して、ここまで徹底して料理を出していただいた式場の料理人に、何だか申し訳ない気分になった。文句言わずに、食えればいいんですよね、ハイ。何だかスミマセンねえ……

さて、そんな自分のような人間にとっての「給食の時間」の心情を、大変的確に表現した曲がある。
SEX MACHINEGUNSというバンドの「ONIGUNSOU」という曲。
最初に聴いたときには爆笑してしまった。いやあ、何でって、自分の小学生時代の切ない心情に酷似していたから。
「給食食べなきゃ遊びにいけない(オニッ! オニッ! オニッ!)」
目の前の給食が食べても食べてもなくならなかったり、掃除の時間に隠したオカズが出てきちゃったりするのである。
そして、曲は最後に「明日になればカレーが食べれるぞー!」でシメられる。そう、カレーなら、俺も食えた。
MACHINEGUNSは言いたくても言えない立場の心理とか、地味に味わい深いスポットを突いて笑いに変え、詞に表現するのが大変上手い。今さらながら、すっかり中毒気味だったりする。

振り返ってみれば、あの地獄の給食の時間から学んだことも結構あったのかもしれないな。嫌いなものを前にして、必死に頭使ったもんな。段取り力とか、交渉力とか、少しは身に付いたんですかね?……って、しちゃいけないことが前提じゃ、そうも言えないのかな。

桜花雑感
[2008年04月07日(月) ]

先日会議上で、宣伝担当O嬢に言われる。
「そういや、まったく更新されませんねー、ぽん吉さんのブログ」
ああ、このブログの存在を久々に思い出した。
久しぶりにページを開ければ、未だにトップ画面の自分のリンク部分には「謹賀新年」などと書かれている。なるほど、こりゃマズいわな……
1ヶ月に1回程度という、タダでさえノロマなカメペースの更新頻度だったのだが、すでに前回の更新からはや3ヶ月が経過している。ははは。寒い冬はとっくに過ぎて、すでに桜も散りはじめているじゃあないですか。
そんなわけで、一念発起。久々にこのブログを更新してみようという気になった。

さて、何を書きましょうかねえ。最近の我が身を振り返り、ネタになりそうなことを思い浮かべてみる。
うーん、おもしろそうなネタは案外ありそうだ。放浪ネタとか、見合いネタとか、バンドネタとか。とくに見合いネタは身を削って笑いを取れそうな話ではあるのだが……ま、コイツは相手もあることなので謹んで控えておきます。
今日は時節柄、桜についての雑感でも綴ってみようかなと思う。しばしお付き合いを。

昨日は、自分の住んでいる横浜の下町でお花見だった。
冬の時期、僕は毎週月曜日にはとある馴染みのバーのカウンターで湯豆腐を食べてから帰ることにしていた。その店の常連さんたちが集まり、近所の公園で昼から酒を飲む。
全国でも有数の歓楽街のど真ん中にある小さな公園。猥雑な街に咲く桜の花というのは、妖しい魅力があるものだ。
みんなが1品ずつを持ち合い、賑やかな宴が繰り広げられる。食べきれないほどのつまみの数々。この街の住人には、料理が上手な人が本当に多い。
散り際の桜の木から、風で花片が流され、酒の中に浮かぶ。風流だ。
やがて宴も酣となる。ミュージシャンがギターをかき鳴らし、歌う。沖縄料理屋の女性が持ってきた「サンバ」と呼ばれる琉球打楽器を、ギターのメロディに合わせてみる。
夕闇が迫り、片付けに入る。宴のあとに吹く風は、いつもちょっと切ない。

桜について書かれた文章といえば、教科書に掲載されていた二つの作品を思い出す。
ひとつは大岡信さんの「言葉の力」という作品。もうひとつは工藤直子さんの「満開の桜」という作品。どちらも国語科編集時代には何度となく読んだ作品で、思い出深い。
桜というのは、花びらだけが薄いピンク色なのではない。実はあの黒い木の幹の内側で、木全体が美しいピンク色を作り出しているのだ。大岡さんの「言葉の力」にそんなことを教えられ、1本1本の桜の木を眺めるときの眼が変わった。あの美しい花は、桜全体から生み出される芸術なのだ、と。
常夏の台湾に咲く原色の花を見て育った作者が、生まれて初めて日本で目にした桜の印象は「紙くずみたい」だった。その十数年後、作者の父が突然亡くなる。火葬場の桜の大木は満開の花をつけ、それは本当に美しいものだった。工藤さんの「満開の桜」には、日本人であれば春の常と感じられる桜花を別の視点から見たときの印象、そして桜という花が人間の死と重なったときのはかなさ、切なさが語られている。しみじみとした、読んでいてすうっと心に入ってくる作品だ。

Z会に入社するまで、僕は東北に住んでいた。東北の桜も印象深い。
「冬来たりなば春遠からじ」そんな言葉がある。実はこの言葉、日本人が語り継いできたものではなく、もともとはシェリーというイギリスの詩人の『西風に寄せる歌(Ode to the West Wind)』という作品の一節なのだそうだ。原文は「If winter comes, can spring be far behind?」。これを「な+ば」という仮定表現、「じ」という打消推量を用いて日本人の感覚に馴染む形で翻訳したのは、明治から大正にかけて活躍した英文学者の上田敏。名訳である。
東北の冬は厳しい。僕の住んでいた庄内は、雪に加えて風も非常に強い地方で、冬になると地吹雪が起こる。時には車が風に流されて田んぼに落ちてしまったりするほどだ。
そんな厳しい冬の荒天が、次第に和らぎ、やがて桜が蕾をつけるようになる。4月の下旬には、公園の桜が満開になる。厳しい冬を耐えてきたからこそ、際立って美しく思える春の光景。
Z会に入社する直前、大学時代の先輩と一緒に青森県の弘前公園の桜を観に行ったことがある。弘前城の本丸、そしてまだ雪の残る岩木山を背景に、見事な桜が咲き誇る。まるで冬の間に木の中に溜めていた力を、一気に発散させたかの如くに。
そういえば、Z会に入社したときに自己紹介書なるページを作らされたのだが、そのときの写真は、弘前公園で撮ったものだったなあと思い出す。

1週間ほど前の週末、とある友人に誘われて鎌倉の街を訪れた。鎌倉の桜といえば鶴岡八幡宮への参道という印象があるが、鎌倉の街を車で移動していると、桜というのが何も特別な木ではないことが実感できる。桜の木は、鎌倉の街の到るところに生えているのだ。
考えてみれば、小学校や中学校の校庭には桜が植えられていることが多い。育った家の近所の公園にも、桜の木があったという記憶をお持ちの方は多いのではなかろうか。
そういう意味では、僕たち日本人は桜とともに育ち、生きてきたといえるのかもしれない。

桜咲くとき、僕たちはまたひとつ年を重ね、人生の歩を進めてゆく。
秘められた経験がひとつひとつの花片となり、やがて木全体で美しい春の情景を描き出すようになっていく。
みなさんは、今年の桜の花に、どんな人生を重ねたのだろうか。

謹賀新年〜今年の3つの目標
[2008年01月14日(月) ]

えー、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します……って、もう1/14かよ!
Z会ブログで最も遅い謹賀新年かもしれません。
昨年末に「来年の目標は『Z会ブログを1週間に1度更新する』とでもしましょうかね?」なんて書いたのだが、ええ、今年もたぶん更新は遅いです。「隠れキャラ万歳」をポリシーに、いつの間にか更新されているブログを目指します(目指すモンなのか?)。

「一年の計は元旦にあり」――正月に「今年の目標はこれだ!」と決めた方も多いのではないかと思う。
人には「目標を立てて実現に向けてがんばるタイプ」と、「目標を立てると力んでしまうので目標は立てず、地道な努力を重ねるタイプ」があるのかもしれない。いや、仮にそうしておこう。
こう仮定すると、僕はどちらかというと目標を立てるほうではないので、後者に属するということになりそうだ。もちろん、仕事では目標を立てたりするけどね。私生活に限った話。
事実、昨年までで目標を立てた年というのはなかったような気がする。昨年も元旦に「目標なんて立てないよ」などと語った記憶がある。結果、昨年一年間を振り返れば、まあいい年だったなでシャンシャン、と。

そんな目標をあまり立てない自分だったのだが、今年は勝手がちょっと違った。年末に1年間を振り返ってみたところ、今年はこうしたいなあという目標が3つ、なぜか自然に浮かんだのだ。

今年の目標。
「貯金」「旅行」「ライブ」

まずは「貯金」。しかし、これは単にケチになればいいというものではない。人と一緒に楽しむお金は減らすことなく、それでも溜められるところでお金を溜めよう、と。そこで考えた。
名づけて、「出勤中1,000円計画」。
朝出社すると、僕は必ず野菜ジュースを飲む(朝飯は食べない)。昼には職場の近所で外食。午後は缶コーヒー2本。ときには3本。タバコが切れればタバコを買い求める。簡単に1,000円をオーバーする。
しかし、これを1,000円以内に収める。そして、1,000円から1日で使ったお金を差し引き、その分を貯金しようではないかという壮大な(どこがだ)計画である。
「何事も形から」が僕の信条である。結果はそのあと、ついてくる。
そこで昨年末、横浜の中華街でまずはこんなものを買ってみた。

金の豚である。中国では大変縁起がよろしいらしい。
こいつを「倹約の豚」と名づけ、1日の差し引き分を餌として与えつづけるのだ。いや、そんなつましい自分の姿を見て、心優しい社員が「善意の豚」として寄付をしてくれるかもしれないではないか。
ちなみにこの豚、たったの1,050円である。たったの。
しかし、隣のKさん(いつぞやBBQの前にコメを持ってきてくれた大恩人である)曰く、

「貯金箱に1,050円も使っているところからしてぽん吉くんはダメね。いらないビンとかを持ってくるのがホントの倹約でしょ」

……で、でも中華街で金の豚が、僕のほうを見て微笑んでて、それに……

「……それに、誰かがお金を入れる前に、持ち逃げされるわよ。だいいち何よコレ、フタがついてるだけで鍵すらついてないじゃない」

……

気を取り直してその2。「旅行」。
昨年は出張は多かったのだが、個人的に泊まりでどこかへ旅行をする機会というのがあまりなかった。
実は僕はかなりの旅行好きである。大学時代は旅行のサークルに入っていたし、国内であればすでに47都道府県すべてに足を踏み入れちゃったりしているのである。
しかし昨年は、2月に九州・水俣市のマラソンに出場した際に2泊したのが精一杯。他には10月に仙台へ1泊しただけである。
芭蕉ではないが「そぞろ神」が心の中で蠢いてきた。何とか今年は、個人的に旅行をしたいものだ。
なるほど、目標を立てると自分のどこかで能動的に目標に近づこうという意識が出るものなのかもしれない。今週末、仲間たちと久方ぶりに庄内を旅行しようということになった。2月には昨年同様、水俣市のマラソンに出場。その前に甑島に行ってみようかなどという計画が進んでいる。おおっ、これは年初から順調だ。
と、これまた隣のKさん。

「だいたいね、旅行に行きたいとか言ってる時点で、貯金できないでしょ。いちばんお金かかるんだからさあ、旅行って」

……嗚呼。

その3は「ライブ」である。
僕は私生活でバンドを組んでいる。結成して1年半。ボーカル2人+ギター2人+ベース+キーボード+ドラムという7人編成で、僕はドラムを担当している。
昨年末に音を合わせたとき、「来年はライブやりたいよね」という話になる。ですよねえ、そろそろメンバーでステージに上がりたいですなあ。
ちなみに、昨日もバンドの音合わせだったのだが、ついにドラムを叩きながらリードボーカルを取るカバー曲まで誕生した。何をカバーしたかって? ブルーハーツの「青空」。何度聴いても胸にぐっと来る曲。
ま、歌はド下手なんでこれはお遊びだが、30過ぎてからドラムを初めて、はや数年。そろそろ腕を披露する場があってもよいかもしれないなあ、などと思ったりもする。

そんな目標を年末に考えていたら、何と年初からライブ出場が実現してしまった。うーむ目標、恐るべし。
ところが、これがちょいと勝手が違う。実はドラムではなく、何とボーカルでの出演。いや、ボーカルというのも正しくない。一生懸命ボーカルを日々勉強なさっている方には、甚だ失礼である。正しく言えば、「叫び」というか、「語り」というか、そんな役割である。
実は我がZ会には「音楽部ライブ」というイベントがあるのだ。簡単にいうと社員の皆さんでバンドを組んで出場しましょう、というものなのだが、同僚のTさんに声をかけていただき、このたび初めて出演することになった。
音を合わせてみて思う。いやはや、Tさんのドラム、巧すぎ。Oくんのギター、巧すぎ。そこに乗るのがなぜか、意味不明な自分の叫びだ。
バンド名は「テンパーず」である。かの有名な「ベンチャーズ」のカバーバンドではない。何でこの名前かって、メンバー3人が3人とも天然パーマだから「テンパーず」。バンド紹介は「真っ直ぐに生きられません」。かなりイタい。観衆の気分(temper)を逆撫でするようなハードコアになる予定。ハードコアだからして、やりてヱように弾いて叩いて、言いてヱように言って、3人がすがすがしい気分でステージを降りられればそれでよい。
曲はすべてオリジナルで、こんな4曲になる予定。

1.ねずみ年
2.Tribute for Osamu Dazai
3.Kaba-dhi
4.キーストン

ということで、3の目標は早くも実現の見通しだ。金曜日の時点でインフルエンザでも発病しない限りにおいて、なのだが。
もちろん、ドラムとしてでも、今年はライブ出場を狙う。よし、がんばる。がんばれ、オレ。

と、こんな話を同僚にしていたら、隣の席のKさんはじめ、複数のお姉さま方に苦々しげな笑顔で言われる。

「ぽん吉くんさあ、大事なものが抜けてない?」

はあ、そうっすかね?

「ぽん吉くん、もういい年なんだから。そろそろさあ、いい加減にやる気出してさあ、カノジョとかさあ、結婚とかさあ……」

コホン。ま、まあ、いいじゃないか。今年も楽しく過ごせれば。

太宰治「メリイクリスマス」
[2007年12月15日(土) ]

毎度ご無沙汰していたら、今年もあと2週間。来年の目標は「Z会ブログを1週間に1度更新する」とでもしましょうかね?

12月は「師走」。よく「師」を「走」らすほどにバタバタと忙しい月なのだなどと解釈されるのだが、「師走」の語源は実は定かではない。しかしまあ、年末のいそいそとした世相のイメージには合っているから、当て字とは言えどなかなかおもしろいものだと感じさせられる。
ここ数年の僕の「師走」には、例年一定の流れがあったりする。上旬〜中旬にかけて忘年会や飲み会が集中する。それが過ぎるとクリスマス。編集時代はなぜかクリスマス前後の仕事が一年でもとくに忙しかった記憶がある。クリスマスを過ぎればいよいよ年の瀬で、これまた忘年会が入る。で、大晦日になって、ようやく年賀状を印刷しはじめる。手遅れ。除夜の鐘が響く頃は、大抵机の上で年賀状と格闘中だ。

クリスマスにまつわる作品といえば、すぐに思い浮かぶ作品が二篇。ひとつは向田邦子さんの「チーコとグランデ」(文春文庫『父の詫び状』所収)。名エッセイストだった向田さんは、実は生涯独身だった。「クリスマスにケーキを食べなくなって何年たつだろう」の書き出しから、クリスマスの夜の通勤電車内での心の葛藤が描かれる。
もう一篇はというと……

ある作家の小説の世界を知ると、しばらくその世界にどっぷりと浸かってしまい、出られなくなることがある。
僕がこれまでに心底からどっぷり浸かった作家さんは三人だった。宮本輝、立原正秋、そしてもう一人が、太宰治。
その太宰が、「メリイクリスマス」という短編作品を残しているのをご存知だろうか。

数年前のこと。父方の祖母が亡くなったため、年始の挨拶を控えることになった。しかし、12月も中旬のこと。これから喪中はがきを印刷し、投函する時間もない。
そこで、メールアドレスのわかっている知人に向けて、クリスマスにe−カードを出すことにした。
毎年、年賀状には大抵その年の干支が含まれた作品の一節を引用する。「虎」「午」といったあたりは作品も思い浮かぶのだが、「未」「亥」といったあたりはなかなか思い浮かばなかったりもする。
その点では、たまには「クリスマス」にまつわる作品を引用してみるのもおもしろい。そこで、すぐに浮かんだのが太宰の「メリイクリスマス」(新潮文庫『グッド・バイ』所収)の最後のシーンだった。

太宰の「メリイクリスマス」のラストシーンは、クリスマスのイルミネーションのイメージとはまた異なった、静かでしんみりとした趣きで締めくくられる。
12月のはじめ、主人公の笠井(モティーフはおそらく太宰その人の私生活である。そういえば、「太宰」と「笠井」という名前は響きが似ている)が東京郊外でばったり会ったのは、以前親しくしていた女性の娘だったのだ。
お母さんも誘って街で飲もうと切り出した笠井だが、娘は乗り気ではない。
ここで笠井は大きな勘違いをする。このあたりがいかにも太宰らしい、人間の弱さの描写である。この娘は自分に恋をしているのではないかと勘違いしてしまうのだ。
母娘が暮らしているはずの家に近づくにつれ、足取りが重くなる娘。これは恋愛だという思いを確信へと変えていく笠井。
やがて母が住んでいるはずのバラックのアパートに到着する二人。そこで、娘は突然血の気を失い、泣き出してしまう。
母はすでに広島の空襲で亡くなっていたのだった。死の間際のうわごとに、笠井の名前も出たのだという。
母の死を言いそびれ、母の話題になると寡黙になっていた娘。それを自分に対する嫉妬であると勘違いしていた笠井。

二人はそのまま引き返し、母の好きだったうなぎを食わせる店へと入る。

(以下、引用)
「いらっしゃいまし。」
 客は、立ちんぼの客は私たち二人だけで、屋台の奥に腰かけて飲んでいる紳士がひとり。
「大串がよござんすか、小串が?」
「小串を。三人前。」
「へえ、承知しました。」
 その若い主人は、江戸っ子らしく見えた。ばたばたと威勢よく七輪をあおぐ。
「お皿を、三人、べつべつにしてくれ。」
「へえ。もうひとかたは? あとで?」
「三人いるじゃないか。」私は笑わずに言った。
「へ?」
「このひとと、僕とのあいだに、もうひとり、心配そうな顔をしたべっぴんさんが、いるじゃねえか。」こんどは私も少し笑って言った。
 若い主人は、私の言葉を何と解したのか、
「や、かなわねえ。」
 と言って笑い、鉢巻の結び目のところあたりへ片手をやった。
(引用終わり)

亡くなった娘の母の分までうなぎを注文し、あたかも三人で飲んでいるかのように振舞う笠井。コップ酒も三人分が並べられる。
にこりともせず、黙々と酒を飲む主人公。先ほどまでの浮ついた恋愛の兆しはどこへ行ったのか。一言も会話を交わさない二人。
そして、最後のシーンがやってくる。

(以下、引用)
私は黙々として四はい五はいと飲みつづけているうちに、屋台の奥の紳士が、うなぎ屋の主人を相手に、やたらと騒ぎはじめた。実につまらない、不思議なくらいに下手くそな、まるっきりセンスの無い冗談を言い、そうしてご本人が最も面白そうに笑い、主人もお附き合いに笑い、「トカナントカイッチャテネ、ソレデスカラネエ、ポオットシチャテネエ、リンゴ可愛イヤ、気持ガワカルトヤッチャテネエ、ワハハハ、アイツ頭ガイイカラネエ、東京駅ハオレノ家ダト言ッチャテネエ、マイッチャテネエ、オレノ妾宅ハ丸ビルダト言ッタラ、コンドハ向ウガマイッチャテネエ、……」という工合いの何一つ面白くも、可笑しくもない冗談がいつまでも、ペラペラと続き、私は日本の酔客のユウモア感覚の欠如に、いまさらながらうんざりして、どんなにその紳士と主人が笑い合っても、こちらは、にこりともせず酒を飲み、屋台の傍をとおる師走ちかい人の流れを、ぼんやり見ているばかりなのである。
 紳士は、ふいと私の視線をたどって、そうして、私と同様にしばらく屋台の外の人の流れを眺め、だしぬけに大声で、
「ハロー、メリイ、クリスマアス。」
 と叫んだ。アメリカの兵士が歩いているのだ。
 何というわけもなく、私は紳士のその諧ぎゃくにだけは噴き出した。
 呼びかけられた兵士は、とんでもないというような顔をして首を振り、大股で歩み去る。
「この、うなぎも食べちゃおうか。」
 私はまんなかに取り残されてあるうなぎの皿に箸をつける。
「ええ。」
「半分ずつ。」
 東京は相変らず。以前と少しも変らない。
(引用終わり・作品完)

「ハロー、メリイ、クリスマアス。」酔客の発したこの一言が、重苦しい雰囲気を柔らかにさせた。思わず吹き出した主人公にとって、このたわいもなくひねりのない冗談が、娘の母への思慕を断ち切るきっかけになったのだろう。最後に母の分のうなぎを娘と分けあい、この短編は終了する。

「メリイ」は「メリー」ではいけない。いかにも酔客が発した「メリイ」でなくてはいけない。同じ理由で、「クリスマアス」も「クリスマス」ではいけない。太宰の表現の巧さが光る。
しかもこの最後の場面では、「クリスマス」という日本の歴史においてはちょっと異質な年中行事に対する民衆の感覚を、巧く使っている。太宰がこの作品の冒頭で記している「東京の形而上の気質」に、主人公が救われた結末をとるあたりは構成の妙だ。そしてこの結末が、いかにも太宰らしい。

実は二番目に引用した最後の場面をe−カードに掲載したのだが、これがなかなか好評であった。
「知らなかったけどこの話、読んでみたくなった」「しんみりしていて好き」「いかにもぽん吉らしい」などなど。

そういえば今年は、太宰の代表作『人間失格』が6月〜8月の1ヵ月半で7万5000部という古典作品としては異例の売上を記録し、話題になった。集英社が文庫本の表紙に「DEATH NOTE」で知られる人気漫画家・小畑健さんのイラストを使用したところ、漫画購買層が大きく反応したなどと報じられた。
7年ほど前、とある高校の国語の先生に話を伺ったときのこと。「今の高校生はどんな作家さんが好きなんですかねえ?」と質問してみると、「太宰の『人間失格』は今でも意外に好きな生徒が多いんだよねえ。クラスの1/4くらいは、自分から読むんじゃないかな」という答えが返ってきたのも、もはや昔の話というわけではなさそうだ。
太宰の作品というと、単に暗いだけと思われる人もいるかもしれないが、そうではないと僕は思う。この人は実に、ユーモアが巧い。人間の弱さを、実感を込めて笑いを交えて表現するのが巧い。人間としての生まれながらの哀しみに直面したとき、なぜか心に沸いてくる笑いを表現するのが巧い。このことは、「メリイクリスマス」と同じ新潮文庫の短編集『グッド・バイ』に収められた「眉山」や「渡り鳥」といった作品にもいえる。
かといって、中学校の教科書に収められた「走れメロス」を太宰の代表作とする向きについては、僕は首肯しがたい気持ちがある。あの作品は、太宰のなかでは異質だ。モティーフがギリシア神話ということもあり、太宰の持ち味である「根源的な弱さ、暗さ」への表現には迫れていないような気がする。むしろ太宰作品であれば、主人公のメロスよりも、暴君ディオニスが人間不信に到った経緯などが主題にされそうだ。もっとも、太宰作品で中学校の教科書に掲載できる作品となると、かなり限定されるんだろうけれど。太宰はもっと、おもしろい。

太宰治が玉川上水に入水してから、来年で六十年を迎える。今年も桜桃忌には、たくさんの人々が訪れるにちがいない。
「ポジティブシンキング」を宗教のようにただただ連呼するだけではなく、たまには太宰でも読みながら、自分の根源的な暗さと弱さに向き合ってみるのもいいものだ。そんな経験が、「ひと」としての表現の豊かさや奥深さに結びつくのではないかななどと、僕は思っている。

コメに困る
[2007年11月05日(月) ]

ご無沙汰しています。ついに更新頻度が1ヶ月に1回から、1.5ヶ月に1回になっちゃいました。だんだんプレミア付きの隠れキャラみたいになってきましたな。
しかしまあ、これだけ更新していないにもかかわらず、どうやらこのページにたどり着く方もいらっしゃるようで……
このブログの「設定」にはアクセス数の推移なる機能が付いている。あまりの更新の少なさにさすがに呆れて、読んでいる人ももういないでしょうと思いながら、今チラッと見て驚いた。

10/28(日) 93件
10/29(月) 76件

……まったく更新されていないこのブログに、一体何が起こったのでしょうか?? 謎です。
アクセス数が多いと、むしろ「オレ、なんかマズイことでも過去に書いたっけな?」と妙に不安を掻き立てられちゃったりして。ああ、オレって天邪鬼。

近況でも。最近は全国行脚もひと段落。まずまず落ち着いたワークライフを送っております。自分の座席にいることが多くなりました。
休日も休日で、ドラム打ったりスポーツ観たり、充実しておりますな。

そんな中、先週の土曜日は立川の昭和記念公園でバーベキュー大会。
最近の若者はバーベキューを「BBQ」と書くそうだよ。うーむ。横文字が苦手な僕にはどうも馴染みにくいですなあ。
実は僕は乳製品が大の苦手である。中でも、チーズについては突出して苦手度が高い。
「BBQ」という綴りを見て、「そういや昔、『QBBチーズ』ってのが給食で出たなあ。おえっ」と思い出してしまう。したがって、「BBQ」という表現には、どうもイヤな感を受けてしまうのだ。「何でチーズまで、焼かなあかんねん!」と。
ということで、やはりこの日記では、以後「バーベキュー」と書くことにしましょう。

学生時代は友人とよくキャンプに行ったりしたものだが、最近では屋外でみんなでメシを作って食べるということがめっきり減った。お誘いを受けたときも、当日何を持参すればよいのかさえ皆目つかず。
と、バーベキュー当日の3日前の夜、このイベントの参加要項を確認すると、次の一言が。

「持ち物:お米1合」

はたと気がつく。あ、そういやオレんちにゃ、コメがない。
気ままな一人暮らしゆえ、もはや自炊はまったくしていない。晩酌も兼ねて近所の飲食店でメシを食って帰宅するのが常になっている。最近では家で湯を沸かすことすらないありさまだ。
いや、昔はこれでも作ってたんだけどね。ちゃんとハマグリの砂抜きなんかしちゃったりして。オイスターソースで炒めたりとかさ。茶碗蒸しまで作っちゃったりしてたのだ。
しかし、今は食材を買わないどころか、家にはコメすらない惨状である。いいのかオレ、こんな生活で?

いや、実は家にコメを常備していないのには、別の訳もあるのだ。
昔、まだ本社のある三島に住んでいた頃の話。この頃はまだコメくらいは自分で炊く生活を細々と続けていたのかもしれない。しかし、それも2日に1回になり、1週間に1回になり、やがてキッチン下の扉を開けることもなくなり……

そんなある日のことだった。仕事を終え、帰宅する。部屋の電気をつけると、家の白い壁にぽつっと黒い点のようなものがついている。
何じゃコリャ? 近づいてみると、虫であった。カブトムシを小さくしたような、甲虫だ。
どっかから入ってきたのかな……まあ、放っておけばそのうちいなくなるだろう。

次の日。仕事を終え、帰宅する。部屋の電気をつけると、布団のシーツの上にまた黒い点が。しかも2匹。昨日の虫と同じヤツだ。最近三島周辺で流行ってるんですかね? この虫。が、深くは気にせず、ちり紙でつまんでポイっと捨てる。

また次の日。仕事を終え、帰宅する。部屋の電気をつけると、あれれ、今度は家の白い壁に5匹くらいがモゾモゾしてますなあ。布団にも3匹くらいいるんですが……
確実に増殖している。さすがに僕も無気味になってきた。これは何か原因があるのかもしれない。天変地異の前には小虫が増殖するらしいと聞いたことがある。もしや大地震の前触れか?

次の日。出社して、喫煙所でどうぶつ博士の先輩・Iさんにこのことを話してみる。
「何か最近、ウチで変な虫が増えてるんですけど、Iさんの家とか、どうですかね?」
「変な虫ってどんなのよ?」
「あー、えーっと、カブトムシを小さくしたような形の虫ですね。動きはトロいです」
「カブトムシが小さい。うーん……あ、それさ、ひょっとしてコクゾウじゃねえ?」
「コクゾウ、ですか?」
「そうそう、よくコメから涌いちゃうやつだよ。もしかしたら、古いコメとかを口が開いたまま放置してたりしないかな?」
……ありうる。

早めに仕事を終え、帰宅する。部屋に入る。黒い虫はさらに増殖している。壁には10数匹、床にも数匹。これは……間違いない。
おそるおそる、キッチンの扉を開けると……

ぎゃああああああああ!!(うようようようようようようようよ)

数ヶ月放置してあった無洗米から、おびただしい数のコクゾウ虫が……阿鼻叫喚の宴を繰り広げていたのであった。
バルサンをカチっ。さよならっ。僕はさっさと車で遠くまで逃げましたとさ。

そんなことを契機に、コメはレンジでチンのご飯になり、やがてそれすらも買わなくなり、現在に至る。

バーベキューに持参するコメ1合のために、わざわざスーパーで袋に詰まったコメを買えば、余った分はまた家で放置され、同じことになってしまうかもしれない。そこで……
会社で隣に座るKさんに、恥を承知でおそるおそる聞いてみる。

「あのぉー、Kさんの家って、コメあります?」

そりゃあるわよ、さも当たり前のように答えるKさん。

「もしよかったら、1合だけ明日持ってきてもらえないですかね? スミマセン、お金は払いますんで」

事情を聞き、Kさん笑う。「そろそろ自炊したら?」ハイ、スミマセン……
翌朝、恩人Kさんは、ご丁寧にもビニール袋に白いリボンまで施してくれたコメ1合を持ってきてくれたのであった。まるでこれから友達とキャンプに出かける小学生の子どものような気分である。

さてそのバーベキュー。総勢25名ほどの男女が参加。
バーベキューには得体の知れない魔力があるようで、作って食って飲んでーを繰り返していると、無限連鎖に陥るらしい。飯も酒も止まらなくなる。テンションが上がり、縄跳びなんぞをおっぱじめる。終了。げぷっ。心地よい疲れが、帰りの電車での爆睡を誘ったのであった。
Kさんが持ってきてくれたコメ1合は、見事に美味しい栗ご飯へと化けたのでした。ホントに感謝です。

月は東に、日は西に
[2007年09月19日(水) ]

ご無沙汰しております。

最近は仕事で日本全国を東奔西走。夏休み返上であちらこちらへと飛び回っている。

先週は山形県米沢市、茨城県つくば市、そして大阪府堺市へ。これまですでに日本全国47都道府県のすべてに一応足を踏み入れているとはいえ、その土地土地の様子をじっくり見てきたわけではない。同じ都道府県といっても、山沿いの町、海沿いの町によってもまったく表情は異なっていたりする。都市圏では駅前が画一的に区画化され、同じような表情をしたりするものだが、都市圏から離れれば離れるほど、街の表情に独自性が見えたりする。

そんな東奔西走の日常を送っていたら、「東」「西」ということばから、この俳句を思い出した。

菜の花や月は東に日は西に

さて、この俳句、誰が読んだ句だかわかりますか? 次の@〜Cの中から選んでみましょう。

@松尾芭蕉
A与謝蕪村
B正岡子規
C斎藤茂吉

答えはAの与謝蕪村。松尾芭蕉が確立した近世俳諧の作風「蕉風」への回帰を呼びかけ、「天明調」と呼ばれる俳風を確立したとされる俳人だ。
蕪村の俳句というのは、しばしば「絵画的」と呼ばれるように、情景を頭に描きやすいものが多い。だから、俳句の楽しさを味わうのであれば、蕪村から入るのはオススメだと思う。この「菜の花や月は東に日は西に」も、菜の花の「黄」と、黄昏時の薄い藍に白んだ「月」と真っ赤な「日」という色彩のコントラストが、とても美しい。
蕪村の句では、その他以下に挙げるような句も、情景を想像しやすいのではないか。

さみだれや大河を前に家二軒

牡丹散つてうちかさなりぬニ三片

四五人に月落ちかかるをどりかな

情景ではなく時間の流れを巧みな表現で表した次の句も好きだ。

春の海ひねもすのたりのたりかな

「ひねもす」は漢字で「終日」と書く。でも、「終日」はひらがなで表記したほうが、直後の「のたりのたり」というスローなテンポと、視覚上でも一緒になっておもしろいような気がする。忙しいときなどにこの句を口ずさんでみると、少し心が癒されるかもしれない。「ああ、焦っても仕方ないか」のような感覚になる。

生活に根ざした句を読むのを得意としたのは、蕪村より後の小林一茶だが、蕪村の句の中にもこんな作品がある。

葱買うて枯木の中を帰りけり

この句などは、理想的・叙情的な風景というよりは、率直で庶民的な色が強い句だと思う。近代の詩人・萩原朔太郎はこの句の中に、葱の煮える庶民の生活背景、日常生活の艱難辛苦を読み取っている。
「葱」という野菜つながりで考えれば、小林一茶にはわかりやすくてほほえましいこんな庶民的な句がある。

大根引き大根で道を教へけり

「大根引き」は「だいこひき」と読む。大根の収穫のこと。畑で大根の収穫をしている農家の人に道を尋ねたら、大根で進むべき方角を示してくれたというもの。蕪村の句風とはまた違った、庶民の生活のおかしみが想像しやすい形で伝わってくる句で、ついついニンマリしてしまう。貧しい庶民の生活をユーモラスな表現を交えて詠みこむところは、小林一茶の句の特徴といえるだろう。

忙しい日常の中でも、作品を鑑賞し、味わうくらいの余裕はもっておきたいものだ。想像力が、癒しと活力をもたらしてくれる。
さて、明日は名古屋の街が待っている。

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる  松尾芭蕉

の境地には、まだまだ早い。

トマトの話
[2007年08月13日(月) ]

気づけば立秋を過ぎていました。残暑お見舞い申し上げます。

横浜でも毎日暑い日が続いている。と言っても、勤務中は建物の中にいるわけだから外界の暑さはわからない。
今年は何か夏らしいことをしたかなーと考えてみるのだが、プールや海とは無縁の生活だ。避暑地に出かけてもいない。強いていうならば、7月に仲間内で屋形船に乗ったことくらいかな。神奈川新町というところから、横浜のみなとみらい地区まで。夜の海風が心地よい。心地よいから、お酒も進む道理だ。

ふと気づいたのだが、そういえば今年は蚊をまったく見ていない。
例年であれば部屋やら店やらで、耳もとでブンブンと唸る蚊との格闘シーンがあるものなのだが、どういうわけか今年はその姿さえ見ていない。目にするのはショウジョウバエくらいなものだ。無論、一度も刺されていない。
同じことはゴキブリについても言える。毎年この時期までに1匹や2匹くらいは目にするものなのだけれど、今年はどういうわけか見ていないなあ。
ま、どちらも害虫ゆえ、見なくなって寂しいというものでもない。自分が鈍感になってきたのかもしれない。いや、それとも世の中自体が衛生的になったのかもしれないな。天邪鬼な僕は、ここで「いやいや、もしかしたらヤツらは、殺虫剤に負けないような『スーパー蚊』や『快足ゴキブリ』へと変身すべく、今は休業中なのかもしれんぞ」などと想像しちゃったりするんだけど。

夏においしい野菜といえば、枝豆にトマトだろう。風呂上りのお父さんが、枝豆や冷やしトマトをつまみにビールなどを飲む光景などは、家庭でもたまに見られるのではないか。
枝豆もトマトも、最近はブランド志向のようだ。
僕が昔住んでいた山形県・庄内で取れる枝豆は「だだちゃ豆」と呼ばれ、今では大変人気のあるブランドになった。農学部の学生だったバイトくんが大学でたまたま豆の栽培を担当していたものだから、毎年タダで家に持ってきてくれた。茹でると、鍋から普通の枝豆よりも香ばしい匂いが漂ってくる。食べれば手が止まらなくなる美味しさだった。農学部の学生になぜ味が異なるのかと尋ねれば、やはり最も大きいのは土壌の違いですとの答えだったと記憶している。
トマトといえば、最近の飲食店のメニューでは「桃太郎トマト」というブランド名をよく目にするようになった。「桃太郎」という名前から察しがつくように、岡山県で栽培されているトマトだ。真っ赤に熟れた色が食欲をそそる。トマトは雨が苦手で、日照時間の長い地域で栽培される。岡山県の高原地帯は、気候条件がトマトの栽培に適しているのだそうだ。

トマトといえば、夏になるとふと思い出す短編小説がある。
宮本輝『トマトの話』(新潮文庫『五千回の生死』所収)。

宮本輝さんの小説には、一時期熱中した覚えがある。きっかけは、僕が浪人時代に通っていた予備校のテキストに過去問として掲載されていた、『途中下車』(講談社文庫『二十歳の火影』所収)というエッセイだった。この業界、「国語の得点アップの秘訣は、問題文を読んで自分がどう感じたかを捨てること」云々とよく言われるが、そんな御託を見事に覆すほどの力強さ、二重の驚きと、人間としての切なさに満ちた思い出深い作品だった。
無事に大学に入学してから、宮本さんの作品を読み漁った。とくに『幻の光』『星々の悲しみ』といった短編集が好きだった。

『トマトの話』は、『五千回の生死』という短編集の冒頭に収められている短編だ。
冒頭のこの作品の「夏の匂い」と「イメージ」に、まず「やられた」。

工事現場での夏の作業。できるだけ賃金の高いアルバイトをと思い応募した主人公だったが、仕事は思いのほか辛い。そんな工事現場で、主人公はある瀕死の労働者に出会うことになる。「トマトを買ってきてほしい」と嘆願され、そして一通の手紙を渡されるのだが……
そう、美味しそうなトマトほど、真っ赤なのだ。そして、その真っ赤なトマトから想起されるイメージが、この短編に登場する主人公の人生に影響する。
夏の夜の工事現場。アスファルトは昼間の熱気を吸い込み、その熱気は夜に放出される。まるで息をしているかのような夏のアスファルトの匂い。そして、そんな工事現場で働く人間たちの汗臭い匂い。
これらのイメージと匂いが混ぜ合わさって、忘れたくても忘れられない夏の出来事が紡ぎ出されることになる。

『五千回の生死』には、その他にもよい短編が収められていたなあと思う。表題作の『五千回の生死』をはじめ、『眉墨』も好きな作品だった。
その他の短編では、『星々の悲しみ』に収められている『西瓜トラック』も夏らしい作品といえるかもしれない。

夏といえば、子どもにとっては読書感想文の時期だったりもする。
上に紹介した作品は、大人になった今読み直しても何かを感じることができる作品かもしれない。だからこうして文章に綴ることができるのかもしれないなと思う。
夏の夜に、短編小説でもいかがでしょう?
今日は家に帰ったら、僕も久しぶりに宮本作品を手に取ってみようと思う。でも、トマトを食べながら宮本作品を読むことは、僕にはさすがにできないなあ。

魚クイズ
[2007年07月28日(土) ]

ついこの間まで6月……と思っていたら、気づけばもう7月も下旬。ここ数日の関東地方は本格的な夏空の趣だ。青空を見上げ、すでに中学生の皆さんは夏休みに入っているんだなあと気づいた。そんな基本的なことが意識からスッポリと抜けてしまうほどに、時の流れが速い。趣味のドラムも、最近はご無沙汰気味。ドラムキットに座れる時間と余裕が、なかなかない。
最近は会社のデスクにいるよりも、外に出ていることが多い。横浜と静岡を往復したり、新幹線で神戸に向かったりと、慌しく動いているうちにどんどん時が過ぎていく印象だ。そんな生活の中で、街を歩けば何気ない発見がある。人とたわいのない話をすることで、新しいアイデアが浮かんできたりする。仕事に対する直接的なアプローチからは一歩離れた、ふとしたところにおもしろいヒントが隠れていたりする。視野を広く持っておくことは大事だなあと思う。

そんな近況なのだが、最近の気分転換法を2つほど。

1つはスパ通い。会社帰りにスパに立ち寄って、ひたすらダラダラとする。考えてみれば、人間の身体ってすごいよなあと思う。水道管は20年くらいでダメになってしまうらしいが、自浄作用が備わった人間の器官っていうのは、そう簡単には壊れない。日本に住んでいる限り、医療を含めてこれだけ環境が充実しているのだから、壊れて大事故につながることも稀である。先日のニュースによれば、2006年の日本人の平均寿命は男性が79.00歳、女性が85.81歳で、いずれも過去最高だったそうだ。とくに女性は22年連続で長寿世界一、男性はアイスランドに次いで2位だという。
それでもまあ、34年も生きればそれなりに身体にもガタがくるものだ。心の部分も含めて、定期的にメンテナンスをしていく必要が生じる(なーんて書くと、「ぽん吉さん、その前にタバコと酒を止めましょうって」などと言われそうだが)。夜景を見ながら風呂に入り、風呂上りにマッサージを施してもらう。ビールを飲んで、その後はリクライニングチェアで雑誌やらテレビやらを眺めながらぐだぐだとくつろぐ。至福。ひとしきりリラックスしてから、タクシーで我が街へと帰る。

もう1つは寿司屋のカウンターだ。僕の家は横浜でも、いや全国でも有数の繁華街に位置している。仕事で帰りが遅くなっても、少し歩けばネオンたなびくにぎやかな街が待っている。そんな繁華街に、朝の4時まで営業している寿司屋を見つけた。いわゆる「廻る寿司」ではなく、職人さんがきちんと魚を捌いて握る寿司屋である。こう聞けば値段が高そうなイメージがあるのだが、実際には回転寿司屋で飲み食いするのとさほど変わらない良心的な値段なのだ。カウンターのショーケースを眺めながら、今日はとり貝がよさそうだとか、珍しいネタが入っているからつまんでみようかなどと思考を巡らせるのが楽しい。

先日、この寿司屋の店内に「鱧の梅肉焼き」というメニューを見つけた。「鱧」という魚の名前を見て、ああ夏だなあと実感する。僕は関西育ちではないので(その割りには「関西人っぽい」とよく言われたりするんだけど)、子どものころは「鱧」という魚を知らなかった。初めて食べたのも社会人になってからである。それでも「鱧」という漢字を見て夏を感じるのは、すでに社会人生活が長くなってきたということか。
さっと焦げ目がつく程度に焼かれた鱧は、爽やかで上品な味わいで、冷酒によく合った。

夏の旬の魚といえば、関東では「穴子」、関西では「鱧」。土用の丑では、全国的に「鰻」を食する。共通しているのは体長が長い点。そんな日本の食文化がおもしろい。
ところで、「鱧」という漢字を読めなかった人もいるかもしれない。これは「はも」と読む。「さかなへん」に「豊」と書くとおり、調理法も実に豊かな魚なのだそうだ。
考えてみれば、魚を表す漢字というのはおもしろい。東海大学名誉教授の鈴木克美さんによれば、魚を表す漢字はもともと中国から伝わってきた漢字に、海に囲まれた文化をもつ日本人が意味を添えて作り出されたものが多いのだそうだ(これを「国字」「つくり字」という)。しかし、表意文字である漢字を学習する場合には、実はこの視点は非常に大事なのである。意味を考えて漢字を学習するようになれば、「にんべん」「てへん」などの部首を混同して覚えてしまうことも少なくなる。何度も書いて練習することは勿論大事だが、漢字の場合、字形から意味をきちんと考えて頭に入れれば、覚えられないという悩みは解決されることが多い(お、久しぶりに国語担当に戻ったな)。

ということで、今日は最後に魚にまつわる漢字クイズでも出題してみよう。さて、あなたはどれだけ読めますか?

●「さかなへん」にまつわる漢字(次第に読みが難しくなります)
@鯨  A鮃  B鰈  C鰯  D鰤  E鮑  F鰆  G鰍  H鮗  I鯑

【ヒント】@の「京」は「兆」のさらに上の数の単位。つまりそれだけ大きいってこと。Aは「平」の意味から。Bは「むしへん」なら「蝶」。では「蝶」はどんな昆虫? C「弱」ということは、それだけ小さいということ。日本人が好きな魚の代表選手。D「師走」なら12月を表す。寒い季節に美味しい魚。E「包」から想像される形は? FGHは季節の魚。ただしGは「サンマ」ではない。Hは寿司ネタでは「こはだ」。稚魚は「新子」と言われ、上物とされる。I「希」には〈珍しい〉という意味がある。珍しいからお正月などに縁起物として食べるんですね。

●熟字で読まれる海生動物(こちらはノーヒントで。難しい?)
J秋刀魚  K烏賊  L海栗  M河豚  N針魚  O蝦蛄  P御師さん  Q公魚  R石斑魚  S海松食

いかがでしょう? 解答はこの記事のいちばん最後に。1つ5点で採点してみるとおもしろいかも。50点以上の人は魚にくわしい人、80点以上の人は魚通、100点の人は魚博士です!

























漢字クイズの答え
@くじら  Aひらめ  Bかれい  Cいわし  Dぶり  Eあわび  Fさわら  Gかじか  Hこのしろ  Iかずのこ  Jさんま  Kいか  Lうに  Mふぐ  Nさより  Oしゃこ  Pおじさん  Qわかさぎ  Rうぐい  Sみるがい

恐れず 驕らず 侮らず
[2007年06月20日(水) ]

昨晩のこと。今春晴れて社会人となったYくんから電話があった。

「外回り4日目で、大口のお客様から注文してもらえたんです。会社の記録を更新しちゃいました。うれしくて報告しました」

彼の声は弾んでいた。

3年程前の話、当時まだ会社の近所に住んでいた僕は、休日になると一人で横浜の下町を歩いていた。そこで見つけたある1軒の牛タン屋さんがある。僕も3年間東北地方に住んでいたので、その店名に懐かしさを感じて足を踏み入れてみたのだ。
店に入り、カウンターで黙々と飲んでいたのだが、メニュー表のウラに宮城県の地図と市区町村が記されていたり、店内に東北の写真が飾られていたりで、店名同様の懐かしい雰囲気が漂う店だった。東北の地酒も揃っていたし、牛タンもなかなか美味しかった。
2回目のときだったか、この店のご夫婦と仲よくなった。ご夫婦のやり取りはまるで漫才を見ているかのようで、その様子を見ているだけで楽しいものだった。
すっかり気に入って、休日になるとこの店に足を運び始めた。次第に、いっそこの町に住んでしまおうかな、と考えるようになった。
「このあたりにいい物件、ないですかね?」などとご夫婦に相談してみた。ご夫婦は親身に相談に乗ってくださった。
ある不動産情報誌に、この店から歩いて5分もかからないところに、安くていい物件を見つけた。年も押し迫った12月。いそいそと引っ越しを済ませた。
それからは、週に1回は必ずこの牛タン屋で夕飯を食べていた。ご夫婦はいろいろと相談に乗ってくれた。さまざまなキャラクターの常連さんとも仲よくなった。みんなで一緒に旅行をしたこともある。

その牛タン屋に不幸が襲ったのは、突然のことだった。
仕事を終えて、いつものようにその店へと足を運ぶと、シャッターが下りている。
「都合により、しばらくの間休業させていただきます」そうかかれた紙が貼ってあった。
慌てて店のお母さんに電話をかけた。
「お父さんが……脳溢血で倒れちゃって」気丈なお母さんの声が潤んでいた。
幸い一命はとりとめたものの、お父さんの半身は不自由になった。懸命なリハビリの結果、だいぶ言葉も話せるようになったが、今でもフライパンは握れない。
牛タン屋はそのまま閉店した。それから2年、ご夫婦は先日故郷の宮城県へと帰っていった。

Yくんというのは、実はこの牛タン屋さんの息子さんなのである。
お父さんの身体が不自由になり、一人息子の彼は一家を支えていかなければならなくなった。まだ大学生だった彼は、店を継ぐべきか、社会人として就職するかで悩んでいた。考えた挙句、大学の時から株式投資に興味を持っていた彼が選んだのは、証券会社の営業マンの道だった。店を継ぐならば、社会人としての経験を積んでからでも遅くはあるまい、と。

大学時代から投資の知識をもち、かつ人あたりのよい彼のこと、営業マンのセンスがあるというのは店の常連のみんなも認めるところだった。
そして彼はさっそく結果を出した。4日目にして新規顧客から数百万円の受注をとってくる彼の嗅覚には、天性のものを感じる。
まずは成功したときの仕事の楽しさを噛み締めてほしいなと思う。
しかし、実は本当の闘いはここからだよという気も、一方ではするのだ。

僕の新入社員時代を思い出してみる。僕の働いていた塾には授業評価というのがあり、節目節目で全国の講師のランキングが発表された。塾屋の評価=授業の質に他ならないと考えていた僕は、とにかく授業では誰にも負けないと意気込んでいた。次の日の授業の予習を、毎晩遅くまで、時には朝までやった。明日この部分を説明するには、どんな板書をすればよいのだろう、チョークの色は? 生徒に渡すプリントは……などなど。
結果、最初の発表で新人の講師としては破格の位置にランキングされた。2年目で全国トップに立った。
でも、今思い返せば、ここからが本当の闘いだったんだよなあと思うのだ。
授業のできない上司の話には、授業のうまいヤツが会社で認められるべきじゃないのかと、耳も貸さなくなった。トップになってこれっぽっちのカネしかもらえないのかと息巻いた。授業ではすでにうえに目指す人がいない。喪失感。今思えば、社員である自分は、仕事というものをもっと広い範囲で考えるべきだったのだが。このクソ会社めと、会社の上層部に質問状を送ったこともあった。
結果、日々の授業にも身が入らなくなっていった。3年目で僕はその会社を辞め、プータローになった。仕事がなくなるということがどんなにつらいことか。過信された才能に慢心していた僕は、辞めるまでそのことに気づかなかった。

先日雑誌を読んでいて、あるボクサーのトランクスに、こんな文言が刺繍されているのを見つけた。

「恐れず 驕らず 侮らず」

これって、とてもいい言葉だなあと思う。ボクシングの世界でも、デビュー戦で派手なKO勝ちを収めた選手が、その後必ず世界チャンピオンへの階段を登っていくわけではない。いや、それよりもむしろ、自分のもって生まれた才能に驕ることなく、常に技を磨き、自身のコンディションを長いスパンでコントロールできる人が大成できるのだ。そして、1戦1戦の試合では、恐れず前に出るファイトができないと、結果も出ない。ファンもついてこない。我を忘れて調子に乗れば、一発逆転のカウンターを食らうこともある。
仕事にも同じことがいえるんじゃないかなあと思う。与えられたひとつひとつの機会に、勇気をもって臨むこと。しかしそこで、「オレはすごいのだ」などと勘違いしたり、相手を見下すようなことをことをしたりすれば、悪い結果が待っているものかもしれない。
もっと大きく考えれば、会社そのものについても、これはあてはまるのかもしれないなと思う。

Yくんは電話の最後にこう付け加えた。

「まわりの皆さんのおかげです」

そんな謙虚な気持ちを持ったYくんであれば、これからもきっと大丈夫だろう。

今朝出社してから、まずは自分のパソコンのスクリーンセーバーの設定を変えた。
画面の右側から流れてくる文字。それは、

「恐れず 驕らず 侮らず」

と読める。

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