英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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おしゃれとリスペクト
[2008年10月31日(金) ]

こんにちは。

突然ですが、私は洋服が大好きです。普段ほとんど家に居るので服なんてそんなに数要らないだろうと言われると「はいその通りですすみません」と謝ってしまいたくなりますが、流行に関係なく色々持っています。安物ばかりですが、洋服ダンスはいつも「帰省時の新幹線の乗車率」状態になっています。もういい歳なので「いいものを少しだけ大切に」にシフトしたいのですが、昨日も近所のスーパーでチュニックとタートルネックのアンサンブルを処分価格750円!でゲットしてしまいました。(元の値段は確か2900円とかそのくらいだったと思います)また夫に呆れられそうです…。

という話から派生してまたつらつら書きます。
どこぞの高校入試で、受験生の服装が乱れていたから不合格にしたことで校長先生が更迭されてしまったことについて、校長先生に対し同情の声が上がっているそうですが、実は私も校長先生擁護派だったりします。ことの詳細をきちんと把握していないのであまり偉そうなことは言えませんが、「外見で判断するな、中身で判断してくれ」という人に限って中身がない、というのが私の偏見だからです。
外見がぶっとんでても中身で判断してもらえる人は確かに存在しますが、それはごく限られた人にすぎないと思うんですよね。そういう人達はいちいち「中身で判断してくれ云々」なんて言わないだろうし、いい中身のにじみ出る人になるのはそれだけ難しいことだと思うんです。だから40近くなった私も困っているし、それなりに努力しています。効果は全く出ていませんが。

それから、TPOという言葉があります。(Time, Place, Occasionの頭文字をとったものです)
受験とか面接のときの服装というのは、自分の個性を主張するのと同時に、相手に対してどれだけリスペクトを払っているのか、というのも表現しなければならないと思います。

その昔私が勤めていた音楽系の会社は、面接時の服装が「自由」でした。最初の書類選考の会場には「おまえがアーティストかい」とつっこみを入れたくなるような人が何人もいてびびったものです。(そのアーティストもどきの人々が同期になったかどうかは不明です)で、当時はそれがあの会社の「表現の自由の尊重」の表れだと思っていましたが、実際は違ったんだろうなと今となっては思います。本当の意図は勿論分かりませんが、「自由」と言われたときにどれだけ自己主張とリスペクトのバランスを取れるか、というのを見ていたのかも知れないなと。もっとも、私はいつもスーツでしたが、スーツ着たから受かった、という訳ではないと思いますけれど(いまだにどうして受かったのか不明。)それは他社と日にちが重なっていたことが多かったから というのと私服がごく普通で自己主張できるほどのものでもなかったから
という単純な理由だったもので。

ちょっと話がずれる&手前味噌になりますが、私は祖母の居る施設に会いに行くときにできるだけ明るい色の服を着るようにしています。私は暗い色の服が多いのであくまで当社比ですが(汗)、私が明るい服装で行くことによってストレスを溜めやすい祖母が少しでも和らいでくれるといいな、という気持ちがあるからです。もう一人の祖母の居る施設は遠いので長いこと会いに行けていませんが、こちらの祖母はおしゃれで派手好きで有名だったので(何せ私の結婚式で一番華やかだったのが祖母でしたからね〜。私は化粧のダメだしをされ、控え室で直してもらいました。)祖母に会うときはど派手(当社比)な服装で行きます。指輪やネックレスいっぱいつけて。

不合格になってしまった子たちは恐らくどこか別の高校に入って青春を謳歌していると思いますが、一連の報道を見聞きして心当たりがあるなと思ったら、社会に出たら外見で判断されることは残念ながらいっぱいあることを肝に銘じつつ、「それってどういうことなのか」を考えるきっかけになれば、校長先生の更迭も本当の意味で無駄にならないのではないでしょうか。
大正プロレタリア
[2008年10月29日(水) ]

こんにちは。何だか急に寒くなってきましたね。
冷え性の私には保温下着が不可欠、ということで買って来ました。これで何とか凌げますように…

さて、久しぶりに「いにしえごと」です。と言っても私のではなく祖母の。
今日は某施設にいる母方の祖母を訪ねてきました。
大正12年生まれ85歳の祖母は、記憶力がかなりゆるくなっていることを覗けば至って元気です。ゆるいと言ってもそれはごく最近のことについてのみで、昔の記憶はしっかり残っています。

祖母の昔話を聴くのが私は結構好きなんですよね。話を聴いていると、祖母は昔から祖母だったわけではなく(当たり前ですが)私がそうであるように、子供時代→青春時代→大人時代を経て今に至っている。(私も最初から小太りの中年女だった訳じゃないんですよん。)ただ歳をとっただけの人なんて世の中にはいない、ってことがよーく分かります。

今日は話の流れで、祖母の職歴について聞かせてもらいました。
そう、祖母は「職業婦人」のはしりだったのです。
祖母は女学校を優秀な成績で卒業後花嫁修業なんぞしていたのですが、折りしも時は太平洋戦争。教師が戦場に駆り出されることはあまりなかったとはいえ、男の先生がいっぱいいなくなってしまって、教員が足りなくなってしまったのだそうです。それで、県庁の教育課(?)から連絡が来て、祖母に白羽の矢が立ったのだとか。地元の小学校で、結婚するまで1〜2年間教えたそうです。
「それって今で言うヘッドハンティングってことじゃないですか」と言ったら
「いやいや」とご謙遜していましたが(笑)

祖母は祖父と結婚して母を授かりますが、母の誕生と前後?してなんと祖父が病気で早世してしまいます。20代前半という若さで未亡人となってしまった祖母。小学校の先生に復帰、の誘いもあったらしいですが、何故か復帰せず。代りに会社勤めをはじめました。そこで経理を一手に引き受けていたそうです。

その後(恐らく戦後のごたごたで)税法が変わり、その会社は規模が大きかったので、地元の税務署ではなく、その上の立場にある隣県の税務署の直轄になりました。(という感じの言い方を祖母はしていた。事実確認は面倒なので割愛します。)となると、新しい税務署とのやり取りの中で、今までよりも専門的な話が出てくるかも知れない。渡り合えるようになっておかなくちゃ!と思ったそうです。当時は女性の会社員なんて少なかったでしょうし、私みたいな男女雇用機会均等法の恩恵享受しまくりの世代からは想像もつかないような理不尽な思いをしたことがあるのかも知れませんね。(勿論、働く女性を取り巻く環境は今も決して完備していないことは認識しています。)

で、祖母は何をしたかというと、一時期夜学に通ったのだそうです。寺子屋みたいな形態のものだったらしいですが、両親(私にとっての曽祖父母)の育児ヘルプがあったとはいえ、お母さんやって職業婦人やって夜学行ってって。すごすぎます。(@_@)それはそれはハードな生活だったそうですが、それで簿記の知識がついたことによって、税務署との連絡もスムーズに出来、会社でも重宝され、定年後もしばらく残ってくれと言われて働いたそうです。

…その努力気質が少しでも隔世遺伝していればよかったのに(苦笑)

ともあれ、改めて祖母を尊敬しました。
今は記憶力もゆるくなってしまったし、10分前の話がずっとループしていたりするけれど、若いときに一生懸命何かをやった、と言う記憶が深く刻み込まれているのはすばらしいことだなと思いました。戦後の激動を生き抜いて来たからこその記憶かも知れません。私以降の世代だとモノもお金も恵まれてしまっていて、何かを掴むために頑張ったり工夫してみたりってことがそれ以前の世代よりうんと少ないと思うので、将来「過去の記憶までゆるい」老人がうじゃうじゃ、みたいなことになってしまうんじゃないでしょうか。

将来私の記憶力が「遠い過去」にのみ作用するようになったとき、私は何を思い出すんだろう。
おかげさまで家族にも友人にも恵まれて、基本的には幸せに生かしてもらっているけれど、些細なことでくよくよ悩んで不平不満ばっかし言っていた記憶ばかり色濃く残っていたらやだなあ。と急に危機感を感じ、今まで何を一生懸命やったかな?と帰り道考えてみたら少しはありました。よかった。

まだ祖母の半分も生きていない私。
そう考えると、おばちゃん化したとは言えまだまだ若いのかも知れません。
将来記憶力が今以上にゆるくなっても、「若いときに頑張ったこと」のネタがいっぱいある老人になりたい、それは今からでも十分間に合うかも知れないから、色んなことを面白がって頑張って生きよう。そう思いながら帰って来ました。
インタビュー
[2008年10月27日(月) ]

こんにちは。

わたくしごとですが、先週妹に女の子が生まれました。妹の第2子は私にとって初めての姪。病院に観に行ったらお目目ぱっちりのべっぴんちゃんでした。と早速伯母ばかぶり発揮、失礼しました〜 甥もますます可愛いし、何だかおサイフの紐がどんどん緩くなりそうで困ります。(笑)

さて、たまには仕事の話をしようと思います。
私の仕事は翻訳が主ですが、たまにインタビューの仕事をいただくことがあります。

アーティストによってはインタビューをするよりも本業の音楽活動にエネルギーを注ぎたいなどの主旨のもと、「ジェネリック・インタビュー」を1本または数本録音して、それを使ってくれ、ということがあります。
ジェネリック(generic)という言葉は医薬品の分野では日本でもよく聞かれるようになりましたが、医薬品の分野では「登録商標されているものと同じ効果がある薬」をさすのに対し、音楽業界のそれは「汎用性のあるもの」という意味を持つようです。つまり、それを資料に記事を複数書いたり、場合によっては録音したものをそのままオンエアしたり(勿論アーティスト側の許可が要りますが)できる素材だということですね。
また、時には海外のテレビやラジオ番組に出演したときのインタビューで何を言っていたのか、日本でそのアーティストを売るために使えるネタはあるかどうかをみるために、私のような人にお声がかかることがあります。

という訳で、先日1枚のCD-Rを送ってもらいました。
訳にいたるまでの作業は、ひょっとして中学生のみなさんがヒアリングの練習をするときに役立つかも知れないので書いてみますね。

まずざっとCD-Rを聴き、大体何分何秒くらいのところで質問があって答えがあるのかをメモします。
2回目に聴くときは、その質問・答えの内容を大まかにメモします。
あと、特徴的な言葉と思われるもの(人名、アルバム名、曲名、地名etc)も拾っておきます。
そして3回目以降はじっくり聴きます。分かりにくい箇所は何度も巻き戻して聴きなおします。
この3回目以降で聴き漏れがないようにするには、1回目と2回目(特に2回目)をちゃんとやることが不可欠です。というのも、英語圏だからと言ってどのアクセントも大丈夫、という訳ではないので…。
で、今回の場合は個人的に不案内な地域のアクセントだったのです。(ちなみに今までで一番難しかったのは、イギリスのリヴァプール地方のアクセント!あれは参りました…でも、私が得意とする米国東海岸もかなりくせがあります。)なので、何度も何度も巻き戻さなければならない箇所が多々ありました。
今でこそパソコンのプレイヤーで音源の再生や巻き戻しが楽になりましたが、ちょっと前まではカセットテープしかなかったので(今でも、自分が電話インタビューをする場合はカセットプレイヤーしかないのです…mp3プレイヤーがほしい〜。)巻き戻ししている間にテープがびろびろになってしまうかプレイヤーが壊れてしまうのでは?とはらはらしたものでした。
聴き取れない単語があるときは、聞こえる発音を紙に数パターン書き出してみて、ひたすらネットで検索。アーティスト名と一緒に検索すると、過去のインタビュー記事が出てきてヒントが出てくることもあります。本当に便利な時代になったものです。

そうやって何度も何度も語りに耳を傾けていると、アーティストが一つ一つの作品にどれだけ命をこめているかがよく分かって段々情が移ってきます。
仕事を納品する頃にはもう大ファンです。(笑)
新人さんのインタビューを訳すときは、日本で自分が一番この人のことを知っているかも?なんて密かに鼻高々になったりします。もっとも、今は海外の情報を得やすくなったので、日本ではアルバムが出ていなくても既にマニアなファンがいたりするんですよね。なので私の鼻高々も自己満足に過ぎないのですが、この仕事をしていてよかったと思うときの一つです。

そうそう、このインタビュー訳仕事、Z会さん用の英文を作成するときも役立っているんですよ。
会話文を作るときに、どういう質問にどういう切り返しをするのが自然なのか、あるいは面白くなるのか、がだいぶ体得できてきた気がします。
沖縄が教えてくれたこと
[2008年10月20日(月) ]

こんにちは。
いつまで旅行に行っているんだ、と言われそうですね。申し訳ありません。
旅行自体は3泊4日で、去年に引き続き沖縄県に行って来ました。どこまでも美しい空と海に癒され、「青」ってこんなに色んな色があるんだな〜 と感動しっぱなしの日々でした。特に、日本最南端の有人島の波照間島に上陸できたのが一番の思い出です。

今回の旅で気づいたこと、思ったことを3つ書いておきます。

1)伝統文化が今も生活の中に生きていること
石垣島で入った居酒屋さんでは、隣のテーブルで「○○中学3年5組」の同窓会をやっていました。私と同年代の人々が卓を囲み、近況報告をスピーチしていました。中には東京で働いている人も。(→すみません、聞き耳立ててました。)
そして話が弾む中、誰かがおもむろに三線(さんしん)を取り出しててんけてんけてん♪と沖縄民謡を弾き出すと、同窓生たちがそれに合わせて穏やかな笑みをたたえながら歌い始めたのです。三線は何人かが代わりばんこに弾き、他には、お店のおかみさんに三板(さんば。カスタネットみたいな楽器)を借りてリズムを取る人もいました。
わ〜 これが本場の「ゆんたく」なのね〜。と興味津々に見入ってしまいました。
(沖縄の言葉で、「何人かで集まっておしゃべりすること」だそうです。)
それにしても伝統楽器を弾ける人が多くて、しかもみんな民謡をそらで歌えるなんて、今も伝統文化が日常に根付いているんだな〜 と感動しました。
そういう地域って、今の日本には少ないんじゃないでしょうか。2年前に青森を旅行したときは、今回みたいに津軽三味線が割と身近なところにあるのに感動したものですが、少なくとも首都圏郊外ではまず見られないと思います。
私は千葉県出身なので「なのはな体操」(ラジオ体操みたいなもので、私が中学生の頃は盛んでした。)が踊れますが、千葉県の民謡とかもひも解いてみようかな、と思ったひとときでした。

2)やる気があれば英語はできること。
とある離島で、その島に1つしかない中学校の壁新聞を見かける機会がありました。
私の目に留まったのが、その学校の生徒さんが、他の地域の生徒さんも一緒の英語のスピーチコンテストで優秀な成績を取った、という記事。
恐らく塾も外国人教師もいなさそうで、本屋さんも見かけなかったその島で、英語の先生と二人三脚で頑張ったんだろうな〜。英会話教室に行かないと英語は喋れるようにならない、なんて思っている人々に見せてあげたくなる記事でした。
勿論私は、英会話教室が必要ない、と言っているわけではありません。ただ、その子が「英語喋れるようになりたいけどこんな田舎じゃ無理」とか思ったりしないで、与えられた環境を最大限に活用してその成績を取ったことがすばらしい!と思いました。
(よいしょする訳じゃないですが、Z会さんみたいな通信教育ってこういう場所で力を発揮することも多いだろうな、とも思いました。その子が通信教育を受けていたかどうかは分かりませんが。)
英語に限らず、そして中学生に限らず私みたいな大人でも、「○○したいけど環境的に無理」とかばっさり判断しないで、まず身近なところから活用してみるのが大事だということをその記事から教わった気がします。

3)やはり戦争は人の心を狂わせる。
皆さんご存知の通り、沖縄本島は太平洋戦争当時日本唯一の戦場になりました。
恥ずかしながら歴史はまだまだ詳しくないので詳細について色々語るのは割愛しますが、沖縄本島の海を空から見たときに感じたこと。
「こんなきれいな海を見て、爆弾落とそうと思うなんて」
戦争当時の映像というものは白黒かせいぜいセピア色のフィルムで録られているものが殆どなので、戦争というと曇り空の下で起こるものみたいなイメージをつい持ってしまいますが(って私だけ?)、実際は青空の下で起こることもあるんですよね。9.11のテロに遭遇したときも同じことを思いましたが、私(非常事態にない人)が沖縄の美しい海を見たら、戦意が萎えると思うんだけどな〜。あまりにも平和に佇んでいるのだもの。
でも、それでも爆弾を落としてしまう、また、落とさなければならない状況に追い込まれてしまう、そういうところに戦争の異常性があるのだなと改めて思いました。
イデオロギーとかそういうの抜きにして考えても、やっぱり戦争はしてはいけないことなんだ、という気持ちを新たにしました。これからも二度とあの美しい海や空が爆撃の煙や血に染まることのありませんように。

以上、かいつまんで書いてみました。 
最後に波照間島の海をおすそ分けします。
仕事と結婚と。
[2008年10月06日(月) ]

こんにちは。ようやく秋がやって来そうですね。
と書いておきながら、今週は遅い夏休みをとることになりました。
夏は仕事とオリンピックテレビ観戦で終わってしまったので、旅行先で心の洗濯をしつつ年末に向けて充電してこようと思います。

平日に夏休みを取ることもあり、ここしばらくは休日返上でばたばたとしておりました。というか、もともと私みたいな仕事の人は、平日にぽっかり時間が空いたり、休日返上で働いたりすることが多いんですよね。急ぎの仕事だと、金曜にいただいて月曜が締め切りだったりするので。
勝手なもので、平日にぽっかり休めるときは「わーいこの仕事でよかった♪」と思いますが、土日(特に天気がよいとき)にパソコンに向かっていると段々機嫌が悪くなります(苦笑)。でもつきつめて考えるとやはり私は仕事が好きで、この「英語よろずや」(自称)が天職だと思っているんですよね。「わーんいい訳が浮かばない〜」「わーんあと○h以内にアイデア考えなきゃ」なんてばたばたしながら生きているのが性に合っている気がします。優雅さからは程遠いですが。以前「私のなりたかったもの履歴」でもちらっと触れましたが、私にとって仕事は自己実現の一環でもあるので、これでいいと思っています。あとはもうすぐ40になる身としては、このせわしない生活にどのように優雅さを取り入れるか、というのが課題になりますね。

そしてこういう生活をするには、結婚している場合、パートナーがどんな人かも結構大切だと思います。
私の場合は今の夫といわば「腐れ縁」で結婚したので(笑)「仕事をやりたいからこの人を選んだ」とかそういう感じではなかったんですが、もし私が好きになった人が女性が働くことをよしとしない人だったり、働くのはいいとしても協力的でないとか、そういう人だったら、今みたいに自由に働くことができたかどうか分かりません。うちの夫(会社員です)は自分自身も忙しいので普段こそなかなか家事に加担してもらえませんが、私が忙しいときは外食してくれたり、ごはんを作ってくれたりするので、そういう意味ではラッキーだったと思います。

それで思い出すのが、大学時代の男友達A君のこと。
彼は結婚することになったとき報告の電話をくれました。「俺、結婚するんだ」
相手のB子さんは私も面識があり、可憐で気立てのいい女性だったので結婚するのは時間の問題だとかねてから思っていました。ですからA君が結婚すること自体は驚きでも何でもなかったんですが、その頃私と今の夫の間には結婚のけの字も出ていなかったので、男の人がどういうときに結婚を決意するのか興味がありました。それで聞いたんですね。
すると、興味深い答えが返って来ました。
A君とB子さんは同じ会社の同期として知り合ったのですが、何年か働いているうちに、その仕事は自分に向いていないと彼女は悟ったらしいのです。ところがその会社の女性社員は「寿退職」(死語かな?結婚を理由に退職することです)が王道みたいな感じだったそうで。
そこで彼女はある日何かの拍子に「私、結婚しないと、会社辞められないな〜」と言ったのだとか。
それで彼は「よし、この子は俺が一生をかけて守ってやろう。仕事で悩んだりしなくて済むようにしてあげよう」と思い、後日プロポーズした、と言っていました。

美しい話です。
ところが、美しい話で済ませればいいものを、ばかな私はこう言ってしまいました。
「私がB子ちゃんだったら結婚する前に転職するけどね〜」

全く、普段はべらべら喋っているくせに、こういうときに限って言葉が足りない私です。私がその時言いたかったこと…私は優柔不断なヘタレのくせに気が強いので「守ってあげたいタイプ」には程遠く、当然男性にもそういう目(ハアコちゃんが悩まなくて済むように守ってあげよう、という目)で見られたことは歴代の数少ないもと彼からすらなく、あ〜 やっぱりB子ちゃんみたいな可憐なタイプだったら一生かけて守ってあげたいとか思わせる何かを持っているんだろうな、こりゃ私は結婚一生無理かもな、と思った、ということだったのです。

A君はいい人なので怒ったりはしませんでしたが、電話の向こうで一瞬絶句していたのを憶えています。ごめんA君。と言っても今じゃ音信不通になってしまったんですが、今頃どうしているんでしょうか。

ちなみに、A君ご夫妻のことを知っている夫に近年この話をする機会がありまして、夫はこう言ったのです。「それはAさんだからそういう気になったんだと思うよ。俺だったら『結婚しないと辞められない』といわれた時点で『じゃあ転職すれば?』というと思う」
どうやら世の中の男の人は、全員が全員「女性を守るのが男の甲斐性」と思っている訳ではないらしい。だから私みたいなのも結婚できたのかも知れません。じゃあ夫は何で結婚したのか?というとそれはいまだに謎ですが…

働くことを自己実現の一部にしたい方は、理解・協力してくれる人に周りにいてもらうことが大切だと思います。あなたが男性でも女性でも。理解・協力相手がパートナーであろうとお友達であろうと家族であろうと。そして、理解・協力したくなるような自分になる努力も必要ですよね。私はそれが著しく欠けているくせに周りに恵まれてしまったので、それにあぐらをかくことをせず、今から埋め合わせができるように頑張ろうと思います。
ああまた話がどんどんずれてしまった…